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バック・トゥ・ザ・ソーギョー(創業) SALMIXが会社っぽくなったあの日

前回、今年一年を振り返るはずが、創業までさかのぼりすぎたうっかりさんことサルミックスです。今回こそは2021年の総括をば。

でもその前に、、、
俺流(©落合)にリフォームしたスタジオが、その後いかにして第二形態に進化したのか、そこに触れずして今年を終えるのは申し訳ないので少し追記をさせていただきたいと思います。

民家をリフォームしてすっかり素敵空間となったサルミックスのMAスタジオですが、その後編集室を増築。さらにオフライン室をオープンと、昇り調子の中ついにスタジオ[BASEMENT]を開設。今までのスタジオを[アットホーム]という名前にして2拠点となります。
[BASEMENT]は現在の[BASEMENT]と同じで、“自由が丘の駅から近い方”でおなじみです。
地下にあることが由来でこの名がつきましたが、この好立地でスタジオを開設するまでに至ったのは、社長のもう何度目かのラッキーボーイ伝説が炸裂したからに他なりません。
ちょうど拡張を考えていた矢先、地元のネットワークから「良い空き物件がある」との朗報がラッキーボーイの耳に届き、これまでのリフォームとは違った本格的なスタジオの運営に走り出したのです。ふつうに考えて、企業でもないのに自由が丘で本格的なスタジオを経営することがこんなにぬるっと上手く進むわけがありません。自由が丘で需要があるかはさておき…。
そして背景には、音楽業界の潮流の変化に伴いインディーズレーベルからメジャーレーベルの作品に携わるようになったこと・これまで少数精鋭で賄っていたMA業務においてフリーのミキサーとのコネクションが開けたことが、一歩踏み出すことに大きく影響しました。

このように、社長の運の良さと音楽業界のお客様方との有り難いご縁、新たな人材との交流が、偶然か必然か重なって、あーなってこーなって、立派な門構えでお客様をお迎えするまでに至りました。

当時のチラシ


このころのサルミックスは、まるで家族経営かのようなアットホームな雰囲気から、外部の風を取り込み空気も運営も一新した過渡期であり、第一のフィーバー期だったといえるでしょう。
翌年起こる未曽有の災害に東日本が飲み込まれるまでは……。
















すみません2021年の総括のこと忘れてました。
また次回にどーんとご期待ください。

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