ひとつ・ふたつ前の時代までは 人が望む幸せの形が 何となく みんな同じようなものが 多かったけれど 今は 幸せの選択肢が増えて 幸せも それぞれだったりすると思うの たとえば 人生キラキラした人たちの 象徴とされる タワーマンションや高級車 別荘や ハイブランドのバックなど 一つ・二つ前の時代ならば みんなが わかりやすく 見てわかる 同じようなもので 自分の価値を 表現する流れがあったから 無理をしても 人から見られる幸せを
私は 自分の資質を考えてみると ありがたい事に 運良く生きてこられたと 思っているのだけれど 唯一 人間関係では そうは思えない事に 溢れていたの ただ リアル世界ではない ネットで繋がりあう人 や 何度もお会いして ご縁を繋げる人ではない場合には ありがたい事に まるで この世界の良い人だけが 選別されて 出会いを 結んで頂いているのではないかと 思うくらい 良い方ばかりで 感謝と感動が溢れる機会を 数えきれないほど 与えて
私にとって NOを伝える事は YESを表現するよりも 何十倍ものエネルギーと 心の負担があるから たとえ 好ましく思えないと 思える事でも 受け入れてしまう事の方が 楽に感じる事さえ あったの その様な流れを 幾度も経験する中で 次第に できるだけ 心の負担になるような 刺激を作りたくないと 思うようになって 人とのふれあいを 最小限にするように なっていったの 私は驚くほど 地球での暮らしに 適応能力がなく (笑) 食べ物の
早いもので 17年間 ずーっと私に寄り添ってくれていた にゃんこが 虹の橋を渡って行って 二年が過ぎたの 同じころ 周りの人たちも 同じような年齢の ニャンコやわんこが 虹の橋を渡ってゆき 同じ思いを 互いに抱えながら 過ごしていたのだけれど 私以外の知り合いたちは すぐに 新たなワンコやニャンコを 迎え入れて 心の瞳を 未来に向けて 一歩 一歩 前に進んでいるの そんな周りを見習って
どんな人にも 才能が宿されているけれど ほとんどが 気づくことなく 過ごしているんじゃないかなって 感じているの 才能や能力を 量る時にも ほとんどの場合 経済を産む事ができているのか や 社会的評価基準で 才能や能力を 決める事が 多いと思うの その才能が 自分の望む人生に フィットしない場合には 才能に分類されず 欠点やコンプレックスの カテゴリーに 分けをしてしまうことさえ あるんじゃないかなって 思うの 才能とは 生ま
私は元々 自分に自信がなく 自己肯定感が低いので いつもちょっとした 誰かの振る舞いに 過剰なほど刺激を受けて 一人で勝手に 傷ついたり 自分の思いを 表現する事が苦手で それゆえ いつも気がつくと 自分以外の誰かの 望むことを優先し 自分の気持ちや 思いを控える事が よくあったの その様な流れの中で 気がつくと いつも 楽しさよりも 人と会うたび 疲労が広がって 一人で過ごす事が 心地よくなっていったの
今までの時代の 人生安定・成功パターンは 学生時代から どんな時でも 続けてゆくという事を軸に 歩んでゆく事が 人生の安定と成功を もたらしてくれると 考えられていたと 思うの どんなに辛い事があっても 続ける事をやめずに 頑張った人だけが 将来に予測される不安を 回避できると 思われていたと思うの 学校をやめてしまったり 就職できた会社を 退職したり スキルを 高めようと始めた事を 続けられなかったりすると 将来の不安が 大きく
社会的な繋がりのない方や 友達・恋人・家族などがいない 自分以外の頼れる人が 想像できない方の中には 何となく漠然とした 未来への不安を 秘めていたりする事が あったりする事も あると思うの その不安解消のために 人によっては 婚活をしたり 将来頼れる 人間関係を創ろうと 今から 努力されている方も いたり ・・・ 頭で考えると その様な行動が 最も 不安解消の近道に 映るかもしれないのだけれど 大人になって わかったのは 実
数年前から 様々なことを 見直す機会が届けられて 人生の 断捨離をしているの 10年位前に 母が魂の故郷へと旅立った時 実家の整理をしようと 家族で集まり タンスを開けると 数枚のお下着 数枚の洋服 靴なども2足くらいしかなく いくつもあったアルバムも 母が笑顔になれる 母のお気に入りの写真ばかりが 一冊のアルバムに まとめられていて そこには 母からのメッセージが 書かれていたり・・・ 掃除をしようと 集まった家族は ふっと
人生では 人間関係が 時に 自分の意志よりも 人生の方向性を 決めてしまう事さえ あるほど 大きな影響力が あると思うの 私自身 10代から今まで 人に好まれるよう 努力をしてきたのだけれど 何か 人との違いを 共同体の中で 感じさせてしまうのか 時間と共に みんなの結束や 共感を高めるための ターゲットとされ 噂の的になったり 時には いじめという 悲しい出来事も
女性の人生には ライフイベントが いくつもあるのだけれど その時々 真逆の選択に 思いが大きく揺れる時が あると思うの たとえば 結婚を選んだ場合には もったいない せっかく仕事で キャリアップできるのに・・・ と言われ 結婚よりも 仕事を選ぶと やっぱり女性の人生は 結婚だよねと 言われ 子供を産み 母親になると 女の子の場合は男の子も・・・ となり 逆も同じく そして 子供が一人の場合には 兄弟がいないのは かわいそうな
この間 何かの動画を見ていた時に 小学生くらいの男の子に 母親世代の女性が 「かわいい」と 何度も表現していた時 男の子に反応がなかったので 「かっこいいがいいのかな?どっちがいいのかな?」 と尋ねると その男の子は 「どっちも言わなくていい」と 伝えていたの その様子を見ていた私は 言葉では 上手に表現できないのだけれど 新たな時代の始まりを 感じていたの なんとなく 日常の中で いつも 二つの選択肢からしか 選べないという思い込み
私の母は 運命は決まっていると 考えていた人で 若いころの私は 母が どのような想いで その様な思想だったのか 分からず いつも 否定し 反発していたの 人生は努力で どうにでも できるもので 人生が整っていない人は 努力が足りないだけだと 思っていたから・・・ 年を重ね 母と同じ遺伝子の私は 何となく 母の思いに重なる思考が 育まれているのか 母の思いが今になって 何となくだけれど わかるような 気がしているの
私は幼い頃から 「運」という見えないチカラに 心惹かれているの 「運」って 産また時から宿る「運」もあれば 日々の生き方や 足を運んだ場所で宿した 「運」など 行動によって宿るものが あると思うの 私には弟がいるのだけれど 弟は強運で 例えるならば 転んだ場所で手をつき 立ち上がろうとしたら 手に油が・・・もしや油田?・・・ という感じの人生なの(笑) そんな弟を 幼い頃から見ていて 運というものは 自分で強化できるものと 生まれた時
今まで 自分の中にあった カテゴリー分けされている 思い込みを ひとつずつ ゆっくりと 紐解いてみたの たとえば 何となく 自分の中にある 深い意味を持たない チョットしたことで 好ましい人かどうかを カテゴリー分けしていた人が 思っている以上に 多くいたのだけれど そのほとんどが 自分の浅く視野の狭い 何の基準も持たない判断で 決めつけていた事ばかりで その カテゴリー分け していた人への思いが 年々 理解できたり 許せたり
ずーっと仲が良かった友人と私は 若い頃 引っ越しが大好きで 一年以上暮らした場所が ないくらい いつも環境を変えながら 過ごしていたの そんな流れの中で またまた 友人が 引っ越しをする事になって いつものように 一緒に物件を見ている時 友人が窓の外を見ながら 何かハッと気づいたような 表情になったの 内見している窓の外から見える マンションの一室に 美容室があって 友人は 学生時代に その美容室に いつも 足を運んでいたそうで