私の双子妊娠記〜タイムライン〜
2019年3月末、お腹に命が宿った。
4月、一卵性の双子(MD双胎)だと分かった。
4月9日、心音が確認できて待ちに待った母子手帳をもらえた。
最初に分娩予約した産院では、
双子は診てもらえず、
双胎外来のある大学病院に転院した。
(里帰り希望でMD双子の健診だけを診てくれる
都内の病院は本当かな少なく、
NICU併設の病院リストの上から順に電話をしていったが、
ことごとく断られるので、
妊娠中の情緒不安定も相まって心が折れ、
泣きながら電話をかけ続けた。笑
結果、順天堂付属病院と帝京大学付属病院が、
状態を見てから相談に応じてくれるとのことだった。
※2019年4月時点での電話結果。)
双子のため、検診は1-2週間に1回の頻回。
5月中旬、胃袋が確認できた。
5月下旬頃から周りから、
お腹が大きくなっていると言われる。
またお腹の片方が重たいと思うようになる。
双子だからなのか、
もしくは2人が片方に偏っているのか、
と思っていたが、
これは片方の羊水量が増え始めたことに
よるものだったのだと思う。
6月上旬、双子のうち1人の膀胱が見えづらい。
羊水量にまだ明確な差は無いため、
双胎間輸血症候群(TTTS)とは確定せず。
6月13日、羊水量に偏りが出たため、
TTTSの疑いあり。
初めて病院に来れた旦那とともに説明を聞く。
6月17日(妊娠18週)、
胎児治療の専門医のいる国立生育医療センター受診。
TTTSの確定診断。
翌日の手術確定。
各種検査をし入院。
これまでの手術例を元にしたTTTS手術の説明を受ける。
双子のうちの1児がとても小さいため、
過去例よりもより、小さい子には特にリスクが高いことを聞く。
泣きそうになりながら上司に翌日からの休みについて電話。
旦那に連絡。
6月18日、午後から手術。
双子が共有する血管をレーザーで焼く。
生まれて初めての大規模手術。
帝王切開時と同じく半身麻酔+胎児への麻酔のため、
意識のある状態で手術を受ける。
羊水も大量に抜く。
約1時間の手術が終わり、双子が2人とも手術を乗り切ったことを聞く。
2週間の入院のあと、
状態が落ち着いたいることから、
里帰り先の病院へ転院。
7月下旬、スクリーニングで小さい子(ドナー児)の
腸管が拡張してみえるとのことで、
要観察。
TTTSの術後でもあるため、
遅くとも25週から管理入院になることを聞く。
8月上旬、管理入院。
数日間MFICUに入る。
早産の兆候はなく、
元気なため、どこにも出られないMFICUから
一般産科病棟への移動を希望する。
TTTSの術後とは思えないほど
病院内で退屈しながら元気に過ごす。
小さい子の腸管は拡張していっているものの、
入院時にあった小さい子の心拍の異常は治り、
毎日2回のNSTを取りながら日々を過ごす。
9月末、帝王切開予定日が10月末に決まり、
自己貯血をする。
10月頭、33週を前にもしも早産になった時のために、
肺の成熟を促すステロイド注射を打つ。
10月6日、AMのNSTでは問題なし。
数日前から身体は熱い感じがするが
熱は平熱。
PMのNSTを取ろうとするも、
2人分の別々の心音が拾えない。
こういうことは、体位によっても
たまにあるため、
時間を少し置きながら入れ替わり立ち替わり色んな
看護婦さん助産師さんが取ろうとするが取れない。
2時間以上経ってしまったので、
先生を呼んでもらい超音波エコーで確認してもらうと、
小さい子の心音がないという。
先生が一体何を言っているのかわからなかった。
緊急オペになるから、
家族に連絡する様に言われる。
スマホが手元になかったため、
病院の携帯で番号を覚えている実家に連絡。
スマホを持ってきてもらって、
旦那に連絡。
この日は日曜だったため、
平日なら電話に出られない旦那が出れた。
『〇〇君(小さい子)の心音が無くて、
これから緊急帝王切開になる』
旦那も驚き、〇〇君はもうだめってこと?
と聞くが、私もよく理解できておらず、
『とにかく新幹線に乗って今すぐきて』と電話を切る。
刻々と緊急オペの準備が進む中、
事前のトイレへ行き、お腹に向かって話しかける。
『〇〇君、がんばって、心音戻って。
◎◎君(大きい子)、これからお腹開けて出てくるからね、がんばろうね。』
超音波エコーから約30分後、
緊急帝王切開が始まった。
1回目の麻酔は失敗したようで
左半身に痺れを感じる。
2回目の麻酔が効いてきて、
切開が開始された。
しばらくして、
1人の赤ちゃんの泣き声が聞こえた。
執刀医の先生から、元気な男の子だと言われる。
はじめに私の胸元に運ばれてきたのは、
エコーで心音が確認できなかった小さい子。
とっても綺麗で生きて産まれてきたみたいだった。
しばらくして大きい子が運ばれてきた。
大きい子はうぇーん、うぇーんと顔を真っ赤にして
泣いている。
そこで最初に運ばれてきた左胸にいる小さい子は
もう生きていないんだと分かった。
お腹を縫う処置の間、
私はお腹の中にいた時と同じ位置で
左胸に小さい子、右胸に大きい子を乗せて、
泣きながら右手で大きい子を撫で、
小さい子にキスをしていた。
管理入院の2ヶ月間、
見守ってくれていた立ち会った助産師さんも
泣きながら2人を支えてくれていた。
これが2人を一緒に抱いた最初で最後だった。
大きい子はNICUに入り、
小さい子は夜病室に運ばれてきた。
私は2日間と半日、
お腹の中で空へ還っていった小さい子と
病室で過ごし、お別れをした。
【ママとお兄ちゃんを守ってくれてありがとう。
またどこかでお会いしましょう。】
お別れの前、看護師長さんが病室にきて
手を合わせてこう言ってくれた。
2日半の間に、
仲良しの看護師さんが、
小さい子とやりたいことはないか聞いてくれ、
ほんとうに僅かに出た初乳を口に含ませてあげたり、
手形と足形を取らせてもらった。
今回の妊娠で関わってくれた
全ての医療機関、医療スタッフの方々には
感謝の気持ちでいっぱいだ。
おかげで、
私はいま母となれている。
大きい子はすくすく元気に育ってくれ、
1ヶ月のNICU・GCUの入院のあと退院した。
いまは7ヶ月を過ぎて離乳食もどんどん食べ、
ずっしりと重たくなり、
どんどん活動的になっている。
大きくなってお話しできるようになったら、
お腹の中での様子を聞いてみたい。
出産前、エコーを見ると、
いつも2人は頭を寄せ合ってお話しているようだったから。
お腹の中で何を話していたの?と。
妊娠中、
管理入院になりながらも
たまーに外出許可が出て外出したり、
マタニティフォトを撮ったり、
双子と私と旦那と4人で思い出が作れたのは
本当に良かった。
知人が
【私はお腹の中に宿った時が生命の誕生だと思ってる】
と言っていた。
私もそう思う。
2ヶ月間毎日聴いていた
2人分の心音を忘れない。
お空へ還った〇〇くん、
ママを選んできてくれてありがとう。
お腹の中でがんばってくれてありがとう。
またどこかで会おうね。
◎◎くん、元気に育ってくれてありがとう。
ママにしてくれてありがとう。
これからも沢山楽しんでいこうね。
産まれてくるって
命って奇跡の連続。