エッセイ「白い男の願い」
私にとって暗黒時代のひとつは、6歳の頃だ。
すきな食べ物は、黒い海苔と茶色のおかか。食べられないものの方が多すぎて、よく呆れられた。どんくさいのに繊細で、悩みの多い子どもだった。
とくに当時の『残してはいけない給食の時間』は、バイオリズムの底辺となる。涙をためてうつむく5時間目は、まるで「孤独という悲しみ」を学ぶ授業だ。
みんなの机には教科書、わたしの机には給食のおぼん。肉や魚も、食べることができなかった。無理やり食べさせらるなんて、今の時代からは信じられないだろうけれど……
「野生の大国」というテレビ番組で小鹿がライオンに食べられるシーンを見て、胸が張り裂けそうになった。悪夢ばかりみるので、眠ることさえも怖かった。
そんな暗い6歳の通学路に、不思議な家があり、不思議な男がいた。
白いのだ。家も男も。そして、2匹の大きな犬さえも。
しかも男は白髪で、登下校中によく顔を合わせた。白い男は、大人たちからは変わり者扱いだった。
その男は決して愛想笑いなどしなかったが、幼い私たちに時々家を見せてくれた。その時の優しい眼差しは、意外だった。
ある時、同級生の男の子たちがふざけて白い犬をからかい、手を噛まれてしまった。誰かがわたしに、そっと耳打ちした。「人を噛んだ犬は、殺されるらしいよ。」
再び、野生の王国の悲しいシーンが浮かんできた。内向的な私は、声にならない声で叫んでいた。「おねがい!ころさないで!ころさないで!ころさないで!」
何日も苦しかったのを、今でも覚えている。そして、その後の記憶には霞がかかる。
時が流れ……
私もあの男とおなじような年頃になり、ふと思ったことがある。
もしかしてあの家は、男の「平和」への祈りだったのではないか……
辛かった暗黒時代、幼い私は確かに心洗われていた。毎日の通学路に、白い男が創ったあの『白』があったことで。
後に知ったこと……
白い男は、現代アーティストの故・中本誠司さんで、白い家は、彼のつくったものだった。大きな白い犬は、秋田犬だと聞いた。名前は、印象的だったのに忘れてしまった。
【あとがき】
現在その思い出の白い家は、現代美術館になっています。