死に逃げしやがって。

「死に逃げしやがって!」

そう叫ぶ、自らの声で目が覚めた。
自分が今し方発した言葉を理解した瞬間、心がギクッとした。

夢の中で、そのセリフを発した相手は、今年1月に死んだばかりの実の父だった。

父とは、最期まで分かり合う機会もなく、私は父に言いたいことの1億分の1も言えないままだった。

父との確執は、一冊目の著書に記しており、プライベートでは本を読んでくれた方からこっそり「あのお父さんとは、その後どうなったの?」と聞かれることも多かった。

このnoteを立ち上げたのは、私の人生に伴う雑多な感情を整理するための場所が欲しかったということが、最大の理由だ。

整理してアウトプットしていかなければバランスが保てない程、今の私の中には、理不尽で、傲慢で、脆弱な自分の中で折り合いがつかない感情がひしめき合っている。

だから今回は、夢の中の父に向かって言った言葉から向き合ってみようと思う。

夢の中とはいえ、唯一父に言いたかった本音が、「死に逃げしやがって!」という言葉というのが、私たち父娘の歪さをよく現していると、我ながら感心してしまった。

父としての責任を果たさず、払うと言った学費も払わず、何度も養育費から逃げようとし、芸能活動をする娘を自らのビジネスの道具にしようとしたり、心筋梗塞になり、半身が麻痺した状態の自分の体を受け入れられないまま、「機械の体になりたい」と言って、40日以上も意識不明の状態で死んでいった。

自分の人生を、最期まで受け入れられないまま、多分、死んだのだと思う。

夢の中で「死に逃げしやがって!」と私に言われた父の顔は、見えないままだった。私は父の後ろ姿に向かって、泣きながらただひたすらにその言葉を言っていた。

その夢を見た時、私は自分の人生というものを持て余し始めていた時期だった。

朝起きて、全くベッドの上から動けないという日が、増え始めていたのだ。

仕事ややれること、肩書きも増えて、術後の母の食事の世話という大役も増え、とりあえず「倒れるまでは働く」と決め、毎日本当に動けなくなるまで、頭を回し、体を動かして働いた。

そうするうちに、本当に動けなくなり、体の疲れに比例するように、物事への情熱が消えていく実感が伴いだした。

目の前で消えていく炎が見えていて、それをどうにかせねばと思うのに、動く気力がもうなくて、ただそれを呆然と立ち尽くしてみているような日々が続いていた。

そんな中で初めてまともに言えた、父への本音。

こんなことすら、ぶつけ合える関係になれなかった。残された私は、その後悔に囚われているのに、自分はさっさと死にやがって。

自覚していなかったが、どうやら私はそんなことを思っていたらしい。
自分自身、そんな夢を見たことがショックでならなかった。

でも、今この夢を見たことに意義を見出せるのは、生きている者にだけ許された特権だ。

生きづらさは、生きている間にしか解消できない。
死んだらもう、解決できないと私は思う。

だから、生きている間に課題と向き合わず、解消しないまま、死に逃げすることだけは、避けたい。

「倒れるまで働く」と決めて、本当に倒れたら、その時は自分の生き方を変える時なんだと、私は直感的に思っていた。

人生には今までとは全く違う自分になる変わり方と、今までの自分のまま、新しい自分になる二種類の変化があると思う。

今の私に必要なのは、きっと後者の方だ。
変わらないまま変わる。

ポケモンで例えるなら、元の形状を残したまま、少し見た目が変化してパワーアップするメガシンカみたいなものが、多分今の私には求められている。

仕事や環境は変えられない。問題も解決はしていない。
変えられないものがあるからこそ、向き合い方を変えるしかない。

自分の体が思うようにいかなくて、頑張れば頑張るほど、疲弊する日々に絶望する日もあったが、それは「今までの自分に戻ろうとしている」から上手くいかないのだと最近は思う。

「今あるものを受け入れること」でしか、新たな自分を作っていけない。

なのに、父はずっと”きっと未来でなれるであろう自分を、何の努力もせず、先取りして何者かになった気で生きていた人”だった。

私は、未来がきっと良くなることを期待することは、やめた。
何故なら私が直接、干渉できるのは「今」しかないから。

今までの自分の生き方はもうここで終わり。
きっと新たな何かが始まる予兆なのかもしれないし、何も変わらないかもしれない。

でも未来がどうなるかには、さほど興味がない。

新たな自分として生きる権利は、死に逃げしなかった者にだけ与えられる”自由”であり”解放”でもある。

だから私は、父の生き方を真正面から、否定し続けようと決めた。

そうすることで、父は私にとっての糧になり、私の中でずっと生き続けるだろうから。

あの世からせいぜい、指くわえて、娘が必死で生きる姿を見てろよ。
なんてね。