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57.田中滉基の過去~中学校編②~

皆さんこんにちは。
田中滉基です。

昨日の続きを書いていきたいと思います。
中学に入り、自分の中での一番の思い出に近い
部活動について書いていきます。

自分は中学校に入り以前から継続していた
水泳部に入りました。


継続してきた水泳でしたが
あまり自分は早いタイプではありませんでした。
簡単に言えばすごくフォームがきれいなタイプの水泳選手でした。


そんな私ですが以外にも
自分が入った中学の水泳部は関東大会に進めるレベルの実力でした。
先輩たちも普段と違い練習の時はすごく真剣な顔をして取り組むほどです。


自分もこの部活動をし始めて
毎日厳しい練習を乗り越えてきました。


競泳には4つの泳法があります。
・自由形(クロール)
・平泳ぎ
・背泳ぎ
・バタフライ

自分はこの中で中学の間に
2つの泳法を中心に泳いでいました。


中学に入った当初は「平泳ぎ」
単純に北島康介の影響が大きかったです。
あんな風に影響力のある人が泳いでいた種目名だけに
かっこいいと思っていました。
ただその気持ちだけではダメだという出来事が起こりました。

最初は平泳ぎを練習して
先輩たちに一矢報いるために
日々練習に努めていました。


ただ残酷なことに
そんなに努力をしても先輩たちには勝てなかったです。
ほかの同期が県大会に出場している中
自分だけ地区大会どまりに!

そんなときに転機が来ました。
それは「背泳ぎ」へのコンバートでした。


自分の中では最初に決めた種目をやり遂げたい、成長していきたいという
気持ちもありましたが、3年の先輩の卒業などいろいろな面を考えて
背泳ぎへのコンバートを決意しました。


自分の中で背泳ぎは2番目に不得意な種目でした。
自分の中でもすごく不安な気持ちがありましたが
練習に明け暮れました。


結果として中学1年の9月の新人戦では
無事県大会出場という結果を残せました。

出場人数が少ないのもありましたが
自分が頑張ってきたことがやっと形になった時だったので
すごくうれしかったです。


中学2年になってからライバルといえる存在にも出会えましたし、
本当に人は周りの環境次第で成長できるなと感じました。

中学1年の新人戦から中学2年の大会まで県大会に
出場し続けることができました。

中学3年生では結果として競り負けてしまい、
県大会出場とはならなかったが
副部長として地区大会の優勝旗を持つことができたのは
すごく記憶に残っています。


自分が信じて突き進んできたからこそ
手にすることができた結果ですし、
苦手だと思っていてもやり続けたら
できるようになって好きになるなと思いました。

今でも本当にたまに一人で市民プールに
泳ぎに行って体を動かします。
昔ほど動けなくなってきましたが
これからも健康のために体を動かし続けますし、
中学校のこの時の経験はこれからの人生の糧になると信じています。

これからも苦手だからやらないのではなく
やってみて継続して得意にしていく人生にしていきます。

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