年を重ねるということ
私は昨年48になった。
ついに大台に近づいてきた。あと2年で50歳になってしまう。
そう、「なれる!」ではなくて「なってしまう……」なのだ。
年を取ることを「老いる」と思ってしまい、「年を重ねて、人としてまた成長できる」と思えないのはなぜなのだろうか。
懐かしの芸能人を見て、年取ったな~老けたな~なんて思ってしまう。
自分の母が、何を言っているのかわからなかったりすると、こういう風に自分もなってしまうのかもしれないな。嫌だなと思ってしまったり。
転職のスカウトが来ても、これはマッチする条件の人だけに送っていただけで、話を聞いてみてこの年齢だとあかんわ。と思われてNGなんだろうな~。と決めつけてしまったり。
とにかく、年を取ることに対するネガティブな思い込みがあり、ひどくこびりついているのだ。
なぜだろうか。
世の中の風潮もあるだろう。
私が人を中身ではなく、見た目で判断しているからなのかもしれない。
自分の周りにイキイキと楽しく活躍して輝いている人がいないからなのかもしれない。
人生100年時代と言われて久しいが、年を取ると能力が低くなり、使い物にならない。若い子の方が新しいこともどんどん吸収出来て、優秀だと言う考え方が一般的だ。50代以降でもまだまだ活躍できるという考え方が定着しているかというと決してそうではない。
100年生きるとしたら、50歳はまだ折り返し地点なのに……
私は、「いくつになっても挑戦し続けたい。そして成長することができる」と思っているし、よく宣言している。
実際に本当にそう思っていて、
45歳で転職して初めて営業という職種を経験したが、結果を残すこともできた。
苦手だった文章を書くことに挑戦して、こうして記事を書くことができるようにもなった。
やりたいこともいっぱいある。
今から料理を習ってみようかな。
「居酒屋ふじ」みたいなお店を持ってみたいな。
以前学んだ中国語をまた勉強してみようか。
等
でも、年齢のことはなるべく隠している。
流石に、聞かれたら答えるが、聞いてくる人はそんなにいないので、敢えて自ら言わない。
心の中では、とても年齢のことを気にしてしまっている。
特にネガティブなポイントに対して。
先日、「LIFE SHIFT2~100年時代の行動戦略」という本を読んだ。
その中に、脳について書かれていたくだりがあり、私に少しの希望を与えてくれた。
この年齢を重ねるには一定の上限もあるだろうが、強まる知能をうまく活かして生きていかない手はない。
脳は年とともに衰えるばかりだと考えていた私にとって、とても希望の持てる情報だった。
そして、この「LIFE SHIFT2」の中では「年齢に対する考え方を変えるべきだ」という論点が何度も主張されていた。
年齢というと、生まれてから現在までの年数(暦年齢)という誰もが認識する単一の基準だけに目が行きがちだ。
それ以外にも、
・生物学的年齢(肉体がどれくらい若いか?)
・社会的年齢(社会でどのように扱われているか?)
・主観的年齢(自分がどのくらい老いている、もしくは若いと感じているか?)
というとらえ方もある。
さらには、死生学的年齢(生まれてからの年数ではなく、現在から死亡するまでに何年残されているかという年数)という考え方が記されていた。
私は、暦年齢だけに引っ張られて、主観的年齢まで自ら下げてしまっていたし、暦年齢だけに着目することの弊害が起きていた典型例だ。
実際に本の中でも、「暦年齢は、生まれてから現在までの年数という指標にすぎず、本当に重要な要素を考慮に入れられていない点がある。それは、健康状態や行動習慣だ」と書かれていた。
さらには、年齢の考え方には、物価のインフレの考え方も考慮する必要がある。
現に、30歳転職限界説が、徐々に上がっている現状からも納得がいく。
ただ、定年退職後という考え方ではどうだろうか。
超高齢化社会の到来に警笛を鳴らす主張を目にするが、暦年齢ばかりに注目しまっていないだろうか。
長寿化が個人と社会に多くの機会をもたらすにはどうしたらいいか?
年を重ねることが楽しい!
自分も含め、このような考え方が浸透し、
人生を楽しめる人が多くなる世の中でありたい。
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