【しくじり経験談】能力以上の責任を背負っている1年前の君へ | 責任の棚卸しのすゝめ
こんにちは。こーじです。
近況は下記にまとめています。
今回は、鬱を患ってた去年の9月から1年経つので振り返っていきます。
「暗い話...?やっぱYoutube観よ!(そっ閉じ)」と思った方!
どこか明るい話ではあるので、社会人として立場を新たに任せられていたり、お給料が上がったりと...「外から見れば恵まれている人」こそ読み進めてもらえると嬉しいです。
ーー鬱の自覚|責任のオーバーワーク
去年4-6月あたり、コロナ禍が始まった頃に遡ります。
会社では月間の社長からの敢闘賞?もいただき、部も目標契約数を達成。プライベートも充実していて、波にのっていた気がします。
でも、それにも関わらず心のどこかでは「恵まれているけど、、、」と言葉にできない悩みをもちながらも、考えることに蓋をしさらに無闇に走り続けていた気がします。
しかし、その姿勢がたたったのか9月前後に急に精神を病んでしまいました。
きっかけは、いわばサードプレイスで仲良くしている人(鬱経験者)と話したことでした。
どこか悶々としていることを相談すると、
「頑張ることが存在意義になっていない??」
愛情でそう言われ、ハッと気づき、汗がだらだらと流れる。蓋されていた本音が湧き上がり、鬱を自覚しました。
そして一週間ほど休暇をもらったが正直その期間だけでは悩みの根っこがわかりませんでした。
復職しましたが、その後神経痛にかかり身体からも警告が鳴る。緊急脱出をせざるを得ない状況に自身を追いこんでしまい、10月末には退職を申し出ました。
振り回してしまった人がいるので、いつかちゃんと謝りたいです。
そんなこんなで急遽独立。フリーも活動はもともとしていたが、それだけで生計が成り立つほどではなく、Uber eatsの配達員がメイン。
Uberは自由ゆえ責任の軽い仕事です。いつ働くのも自由。縛られることはありません。そして稼ぎやすい。
でも、責任がないゆえのデメリットに気づきました。
それは責任が0になると人は弱くなるということです。
というのも、Uberがメインのころ前に比べて怒りっぽくなっていました。
おそらく背負うものがなくなっていたからだと思います。
何でもいいから役割があると人は頑張れるし、社会的な見られ方を少なからず気にするので精神の安定にもつながると思います。
調べていたらこんな記事がありました。
私は認知症ではないですが「生きがい=社会的な責任・役割」が脳に良い影響を与えるということです。
人生の目的=役割。そこから生じる責任が人を人間足らしめるのではないでしょうか。かといって、重すぎる責任には要注意。
つまり「ほど良い責任が人を着実に成長させる」と確信したのです。
ーー素のこーじは、マグロとマンボウのハーフ
よく「ありのままに生きたい」なんてフレーズありますよね?
それ自体は間違いじゃないんですが、ありのままの自分なんてろくなもんじゃないんですよ笑
素の俺は、マグロとマンボウのハーフみたいなもんです。
マグロは動いていないと死ぬ。マンボウは繊細すぎてすぐ死ぬ。
(マンボウ繊細説くつがえったらいいですが、これは例えなのでこのまま話を進めます笑)
よく動く癖に繊細(隠れ繊細)なのが石井康嗣なのです。
ちなみに、鬱になったとき部屋で泣きながら「強くならなきゃ×2」と唱えながら腕立て伏せをしていました笑 もはや狂気!笑
素の自分なんてろくでもないです。でもそんな自分を大切にしてくれる人を一番大事にしたい。
ーー「責任の棚卸し」をしよう
最後になりますが、もしあなたが「恵まれているけど、、、」などのしがらみをもっていたら「責任の棚卸し」をオススメします。
全てを捨てて0から始めるというのは、想像以上に疲れます。そして周りの負担にもなります。
なので、例えばノートを出して、自分がもっている責任を書き出してみましょう。
関係者と相談して、休みを取るなりして自分を労わってみてはどうでしょうか。
なかなか相談しづらいという方は、話を聞くくらいならできるのでお気軽にコメントでもLINEでもください。
なかなか相談しづらいこともあるかもしれませんが、結果的に自分や周り、組織のためにもなると思って、一歩踏み出してみましょう。(自分は当時できませんでした)
片足でもいいので地に足つけて歩いていきましょう。
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