存在を知り、ガシガシ掘り起こす
年齢のせいか、まだ週末の疲れが残っている気がする…
眠い。とにかく眠いのです。
7、8年前くらいはややブラック寄りの企業でそれこそ「毎日全力投球」であっちこっち走り回ったり、イベントで人がいなくなるから昼食取りながら電話番(労基的にNGなやつ)なんて日常茶飯事だったのですがそれでも毎日ここまでの疲労では…なかった気がします。KAREI…ですかね。
もしくは「こんなにガシガシ働いても大丈夫だと」思い込もうとしている節があったのかもしれません。みんな必死になっているのに自分だけ根を挙げてはいけない。とか、人を駒のように使われていることにほんのり傷ついている事もなかったことにしていた。とかすべてにおいて見ないふりをしていたのかもしれません。
当時は疲れは感じなかったのですが、その会社を退職したあとぐっと体にきました。腰はすべり症になるし、一日倦怠感が抜けないし、やる気が出ないし…。ドーンとまとめてやってきて大変参ったことを思い出しました。
そうか、今回は「うん、走り回ったからそりゃつかれるよな」とか「以前某大学の講座の教えてもらう方々が一緒の実行委員でそりゃ緊張するよな」とか、自分が感じた事をちゃんと受け止めたからこそ、ため過ぎずに疲れがやってきたからむしろよかったと感じます。まぁKAREIが9割ですが。
その時自分の感じたことをそうか。そうだよな…と「いい」とか「よくない」とか評価は置いといて一回受け止めることって大事。
ちょっと話がずれますが、週末にアルバイトに協力してもらった学生さんの一人が相談に来ました。
いやぁあんなコスパいいアルバイトないですよ、ありがとうございます!と現金な発言もありつつ話がスタート。
詳しくは割愛しますが、チャレンジな業界志望なのですが今回就活時期ではうまくいかず進学を決めたのですが‥‥目指し続けることに迷いがあったようです。奇しくも今回のアルバイト中に「やっぱり目指すことにしよう」と思った出来事があったようです。
ただ気になったのが今回の就活時期で選考に落ちた時の「淡々さ」だったのです。自分が至らなかったからとか、自分に”落ち度の理由”を見出し「原因究明」だけの話をしていました。
うーん…ここまで年単位で取り組んできたんですよね…
今回は一歩踏み込みました
「ここまでなりたい気持ちがあって頑張ってきたけど、うまくいかなかった。その気持ちは〇〇さん自身では感じるものはありましたか?」
そんなことを問かけてみると…
ああ…そう。自分あんまり感情ががーっと落ちることはなくて
むしろ他者が落ち込んでいる方が気分が落ち込むことはあります。
でも…なんでだろう。自分のことで感情が揺れないの…
…としばしだんまり考え込みました。
実は自分なりには「本当は受かりたかったな」とか「同じレベルの友達とどう違ったんだろうか」、「本当にこれで自分はうかるのかな」
そんな不安や叶わなかった残念な気持ちはそこにあるけど…
感じないことにしたのか…
見えてなかったのか‥‥
その存在が「あることだけでも」知る。それって次につながることも多いのではないかな、と。
例えば「採用試験が通らなくてショックだったなぁ。なんでこんなにショックなんだろう。ああ、今まで頑張ってきたことが無になったような気がしているんだ。まてよ、でも全部無になったんだろうか。いや違う。自分に向き合って自分の知らない大事な信念が掘り起こせたもんな…、じゃぁこの掘り起こせたことがもっと企業やその職種の熱意につなげられないかな…」
こんな風にまずは評価云々はおいといて「ショックだったな」から始められるといいですなぁ。
今日の相談のテーマとしていたことは、こんなことが根っこにあったことを話しながら気が付いたその学生さんは、40分間みっちり自分と向き合い「いつもどおり」私に深掘りされぐったりして帰っていきました。
でも、これが大事なんですよね
疲れながらも、深く自分を知ることを毎回実感し相談に来てくれています。
悪いな、学生さん。自分を見る覚悟をした人には私は腹をくくってがっつり掘り起こしていくから毎回しんどいかもしれないが、悪いようにはせんから頑張っていこうな。
私の相談にあたると、こんな目に合うこともあります。という話でした。