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細かく切って、ほぐしてみる

今日は珍しく水筒のお茶を飲む時間がある!
この数週間の忙しさの、あいだの、オアシスですね。


数年かけてやっと怒りの感情につながったという事を書いたのですが
怒っているという事は
「少なからず、相手にわかっててほしい」という願望や期待、が
含まれているんだよなぁと感じました。

願望も期待もしなければ、決して怒りという感情に繋がっていかないわけですよ。
そうなるよね。と納得しちゃうんじゃないかなぁ。

長年のままならない「相手とのやり取り」を
数年かけてあれこれ形を変えたり、受け取りやすい形に整えたり
工夫をしたわけなんです。(当社比)


これだけ工夫をしたのだからきっと受け取ってくれるのでは。
こんだけ苦しい思いをしたのだから1ミクロンで
受け取ってくれたのでは?


そんな期待があったんでしょうね。
今日こちらの記事を読ませていただいて
「私にも期待があったんだ」と気が付かされました↓


期待は勝手にこちらが抱いたもので
その後「その期待が事実を間違って捉える」ことがあるわけです。


私が「1ミクロンでも」と抱いた淡い期待の先に思い描いた
未来では今ありません。

結構残念な気がしますが
どこかで「まぁそうなりますわな」と腕組みしながら頷く私もどこかいるわけですよ。


まぁ期待しちゃうよねって。
期待したこと、きっと起きないよねって。


期待が外れて「なんだよ」と怒っているのかもしれませんし
自分で選択しないで「選んだのは私」という体になっている部分も大きいのも事実です。


だから期待するのやめる!とすっぱり言い切れたらいいなぁ
もうしない、はちょっと難しそうなので
期待はどこからやってくるのかとか
またしてもしつこく追求してみようかなぁと思います。


こうやってどんどん細かく感情を切り分けていく作業を
やってみる2023年にしたいもんです。


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