想定はいつも
日々スムーズにいっているときも
そうでない「もうなんだっていうんだよ!」というときも
自分というやつは、つくづく物事を悲観的にとらえてしまうなぁと一種あきれつつもめんどくささを感じています。
年末に起きた猫ちゃんの体調不良の時も
(本日も絶好調に療養食を食べていました)
普段、相談を終えてから
「あの関わりじゃだめだ。ああ、学生さん〇〇さん(一緒に働く仲間)の方がよかったよな…」
そんなことばかり考えてしまうのです。
むかしっから
(身内以外には)もっとポジティブに考えなきゃだめだよ!とか
プラス思考で行かなきゃね!とか
耳にでっかいタコが住み着くくらい言われてはいるのですが
そもそもポジティブ…?プラス思考って何‥‥
そんな世界の住人なのです。
ところがどっこい、これはこれで生きにくさは否めず…
結局その「不安」や「絶望」は私の足を引っ張り
マジで眠れない!みたいなことまで出てくるのです。
そんなわけで「とらえていることを再度評価する」
リアプレイザルという認知行動療法?があることを知って
これだ!とこのひと月弱の課題図書として昨日まで読んでいました。
不安を感じるのは?という人としての本能の部分から
どうやってアプローチするのかということ
そして、ご自身の経験からなんだかじんわり響くことまで。
方法論にとどまらず、なんだか背中を押してもらった気がします。
人は感じ方に癖があるのは、当たり前の事。
そのくせってどこから、そして自分のどんな感情が奥底にあるのか。
猫ちゃんのことを思い出してみると
まず、食欲がないことへの焦りやいなくなることへの悲しみがありました。
そこから
なんでそこまで焦るのか?悲しいのか???と掘り下げていくと
猫、だけど大事な大事な家族。だからいなくなるのは嫌だ
その家族に何の役だつこともできていない。という自分に対しての怒りがありました。
ただ以前noteに書いたのですが
私は獣医さんではありません。一般ピープル。しがない猫好きおばさん。
そんなしがない猫好きおばさんが、役立つにも限界があります。
医療行為はできないよね。そうだそうだ。
じゃぁ「その時の猫ちゃんに役立つこと」しかできないよね。
焦りも、悲しみも当然あるはず。それはなくさなくていい。それだけ大事。
その中で家族としてできることを毎日観察していくことからなんだよね。
そうなるとその「怒り」とは?
まぁ、出来事が一旦落ち着いたのでこんな風に再評価できるのかもしれません。ただ自分の不安を増長させてしまうところを少しでも何とかしたいところです。
今日も
少し食欲ない?大丈夫???と頭を撫でたら
うるさいにゃっ
…はい。元気にかまれた次第です。