そこにいるだけで
祝日挟んでの水曜日。
駐車場から職場までの道は、桜並木。
せかせか歩くのはもったいないのでゆっくり歩いて出勤しました。
一本一本木によって、開花具合が全く違います。
もう7分咲きになっているものもあれば
まだ2分咲きのものも。
今週末が満開?なんていわれているものの
木によってこんなに個性があれば、満開はどこを基準にするんだろう
なんて疑問も。
毎年、こうやって「桜が咲さきますよ」とニュースになることは当たり前と思っていましたが不思議。
春の象徴だからなんでしょうか?」
一足先にある「スギの花粉」はどちらかというと厄介な存在。
同じ花でも「喜ばれる」のはさくら。
桜以外は特に全国的には開花宣言はなし。
(私の暮らす地域では、梅や桃の花、サクランボも花が。というプチ地域ニュースがありますけど汗)
醍醐の桜や、吉野。
ずいぶん昔から尊ばれていた存在なんだなぁと思います。
最近知った禅語に
百花春至為誰開
花はいったい誰のために咲くのでしょうか
誰のためでもありません
何のためでもありません
そういった計らいは、微塵もない。
自分の生命の赴くまま
自分の全生命を無心に発揮して
天地いっぱいに
ただただ、咲いている。
…という意味だそうで。
確かに、今朝の桜もそこにただただ生きています。
春は見事な花を咲かせ、散り
若い緑の葉っぱを茂らせ
初秋に赤くなった葉っぱに変わり、散り
厳しい冬を耐え、温かい気配に花芽を膨らませる
そう。その時々「今を生きている」だけ。
誰に忖度することもなく、ただただ。
そんな風に生きていきたいなぁとゆっくり歩きながら
朝からしっとりした気持ちになってしまいました。