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同じなのかい?どうなんだい


あっという間に日が暮れる昨今。早い
今日最後の相談枠の学生さんが相談室から出ていくときには
外は夜みたいな暗さ。ひえ~

今日は冷えるのに、昨晩は思いっきり腕を蚊に刺されて目が覚めるという
安眠妨害工作にあいました。どうなってるんだ。


寒暖差がひっちゃかめっちゃかになっているのでついていくのも必死。


そして相談も久しぶりに多く学生さんが来てくれたのでこちらもついていくの必死。結構「自分を振り返る」系の相談が一日通して多い。


そういえば、数週間前に資格の更新講習で「傾聴」をやり直したから
これを活かさない手はない。と神経を集中して聞きます。

そこで邪魔するのが「わかるー」という自分の声。


人が苦手なのに、「人との関り」に身を置いて四苦八苦している


「本当は人と関わるの苦手なんですけどねー」

あ~、それ何っ度も私いったことあるぅー


心の中で「は~いわかるわかる私も」ともう一人の私がぐいぐい主張。


ところがどっこい、これ大変危ないんですよね。
似ている状況の人が来ると「共感」じゃなくて「同感」に足を突っ込みかけます。


自分の「過去」に引っ張られると、もう「相談者」の世界でモノはみれていません。完全に自分の視点やその時の感情に寄せられてしまうのです。


今日は「わたしもぉー」と内なる自分をそうそう、なんてなだめて
あくまでも「相談者」の視点でという事をポイントに話を聴いていきました。相談者の感じ方は全然私の「感じ方」と違いました。


同じような状況、や感じる部分でも見え方ぜんぜん違う。
「同じだね」→「わかるわかる」という思考になりがちですけど


わかってないよー


同じだからわかるのでしょうか?本当に???
同じだからこそ「違うのでは」と疑う事は大いに役立つことだなぁと感じました。


そう「どうせ同じでしょ、わかるよ」と言われたときの
一っミリもわかってねぇー

という心の叫びをあげたことがありますがまさにそれだ。

気を付けよう、わかっているが、一番危ない。


そんな標語を掲げて一日を終えようと思います。






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