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消える溶ける瞬間

気が付けば9月が終わる…
あれ・・・この間9月はじまったばっかりじゃなかったっけ?
この1か月は記憶が切り取られたがごとくな感覚。

そんなに忙しかった…というか、このひと月何やっていたんだろうか
ちょっと遠い目に…

好きな多肉植物のお手入れしている時とは違う時間の消失の仕方。


この夏、かのドラッカー先生が日本画に「心を鷲掴」まれたという話をお聞きした。日本画のどんなところに惹かれたのかなぁ。

ドラッカーの奥様の一言に
「正気を取り戻し、世界への視野を正すために、日本画を見ていた」があるんですよ、と私を仲間と言ってくださる方がそれはそれは分厚い画集をみせてくださったのです。

正気…か。ということはいかにドラッカー先生は正気ではいられない環境に身を置いていたのだろうか…。
その”正気を取り戻す”日本画はなんでもいいわけではなく、禅画に心ひかれたとのこと、華美な狩野派よりも。欧米で大流行した浮世絵には興味を示されなかった…。

ドラッカー先生は「正気ではない」状態を
禅画に一種没頭することで正気を取り戻していったのかな。

私は多肉植物に没頭して、日常の中のアレコレに触れて「正気じゃない」状態になったところから正気に戻っている。
一種の浄化されてる感じはあります。(植物の力?)


ドラッカー先生は白隠の達磨を特段愛されていたようです。
禅画と言えば私はもう一人の禅画の僧、仙厓のかわいらしい作品が印象に残っています。


現代の「ゆるきゃら」のような作品がある一方で
「○△□」というなんとも謎の作品も…
作品解釈の文は一切ない。大宇宙を表すとも言われているそうですが
…。

解釈はご勝手に。ただの図形を描いたと解釈してもいいし、○に至る禅の修行を示したと解釈してもいい。
どうぞ。と仙厓和尚に作品を通して壮大なクイズを出された気が。

答えなんてないけどね。と追い打ちをかけるような言葉も。

ドラッカー先生も白隠和尚からの壮大なクイズと対峙しながら
”正気”に戻りながら、作品と溶け込んでいたのかもしれません。


多肉植物は何もクイズは出しませんが、言葉のないメッセージを
「どう解釈して」、私なりの「現在の解」を出すのか。
時間をどんどん消失させながら、没入しながら正気になっているのかなー。かーっ、なんて面白いのかしら!

とはいえ確実に9月が溶けてなくなった原因はわかりません…


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