スピリチュアルへの道③ソウルメイト
①を掘り下げて②を書いたのでここで話を戻そう
新卒で大手広告代理店に入社
バブル期だったので、他にも数社内定もらえていたが決め手になったのは
始業が9時30分と遅め
通勤 余り混まない電車で20分 楽
なんて軽い気持ちで選んだため
社風に馴染めず3年足らずで退職
当時付き合ってた4つ年上の彼氏は大学院生だったから、まだ結婚できそうにもないし、何かやらないとと応募したのが某派遣会社が募集していた
女性の海外留学を応援するプログラム
渡航費、滞在費、語学学校の学費を助成してもらえるのだ
3ヶ月のサンフランシスコ留学
作文(日本語)と面接で見事合格💮
(ここでも持ち前の運の良さ発揮)
単身サンフランシスコへ
「絶対日本語喋らない」と決めていた
それには日本人と交流をなるべくしないこと
語学学校で仲良くなったのはブラジル人で20歳のエレナ
年の差は6つもあったけど、すぐに意気投合
エレナと夜のサンフランシスコの街を
繰り出す 夜遊び楽しいっとなり
遅咲き夜遊びデビュー
3ヶ月のプログラムでは短すぎると
全日コースから
午前の半日コースに現地で交渉して変更を許可してもらい
滞在を6ヶ月に延長することに
(こういうダメ元に挑戦するのは得意とするところ)
ホテル滞在費は当初の予定通り3ヶ月分しか負担してもらえないので、節約のため一旦友達の紹介でホームステイに変えるが、連絡ミスで1ヶ月で退去させられ、エレナの家に転がり込むことに
エレナの家と言ったが正確にはエレナの兄ホゼの家
ホゼはイタリアンレストランでウエイターをしていた
ゲイでカトリック教徒の多いブラジルで生きにくさを感じて、単身渡米
ビザなしで安い賃金で働いていた
ブラジルから来た妹を住まわせて
その友達まで居候することになったのだ
休みも少なくいつも不在だったホゼは
妹エレナに陽当たりのいい広い方の部屋を与えていた
大きめのダブルベット2人で寝て、エレナと2ヶ月寝食共にした
女子大であまり遊べなかった分
サンフランシスコでは遊びまくったわけだ
エレナ以外の仲間はメキシコ人のアナベル、スペイン人のマリア、スイスイタリアンのアントニオ…ラテン人ばかり
中でもやっぱりエレナとは一番仲良くて
エレナは私をソウルメイトと呼んだ
ソウルメイト 魂の友
この時初めて聞いた言葉だった
エレナは10歳の時、病気でお父さんを亡くしている
家族愛が深くお父さんっ子だったエレナは10年経っても時折お父さんを思い出し泣いていた
私はまだ身内の死を経験したことがなくエレナの気持ちに寄り添うことはできずにいたけれど、いつもハグして慰めた
ある日、日本から祖父が末期のガンだと連絡が来た
私は気が滅入ってしまった
それでもいつも通りにしていたら
なぜ感情を押し殺すのかと問われた
泣きたい時は泣いていいんだよと
ハグしてそう言ってくれた
いつから私は泣かなくなったんだろう
幼い頃はいつも母の後ろでメソメソしていたのに…
幼い自分が浮かんできて、私は泣いた
号泣した
大人になってから初めて泣いたかもしれない
この時わたしは心の深い部分で解放を味わった
サンフランシスコでは挨拶の時必ずハグをする
ハグした時、魂が近い人がわかるのかもしれない(仮説)
エレナは未来を少し予知できるらしく
別れても私たちはいつかまた必ず会うよ
といつも言ってた
帰国後、しばらく文通していたけれど
やがては途絶えた
Facebookのおかげで10年ほど前にまた繋がることができたが
今のところまだエレナと再会はできていない
私もいつかまた会えると信じて疑わない
ソウルメイト
その言葉はずっとわたしの心にあった
本当の意味で分かり合える存在を
この後もずっと探していたのかもしれない
今日もここまで読んでいただきありがとうございます