スピリチュアルへの道⑤初めての妊娠と流産
初めての妊娠は6ヶ月で流産してしまった
それまでは運良くなんでもクリアしてたし
妊娠初期から出血あって、毎週通院したりしてたけど、なんやかんやで無事産まれてくるんだろうなと思ってた
切迫早産だと言われて、派遣のお仕事は長期休みせざるを得なくなった
出血は少量がダラダラと続いていたが
ある日大量に出血してさすがにヤバいなと思って産婦人科にかけこんだら
すぐに大きい病院に行くように言われた
そこで前置胎盤の疑いと言われ
翌日大学病院へ救急車で搬送された
検査をし、前置胎盤では無さそうだったが、出血の確たる原因はわからないまま
入院期間は2週間くらいだったか
お腹の張りを抑えるウテメリン(点滴)が合わずに
ずっと吐き気が止まらなくて苦しんだ後
点滴を変えてもらってた翌日のこと
偉い教授が回診にきた
お付きの若い医師が心音チェックするが確認できないという
教授が替わる
超音波モニターを持ってくるように指示した
注意深くモニターを覗く教授
一連の表情で、すべてを察した
わたしは個室に移された
お腹の子は21週をすぎており
薬で人工陣痛を起こして取り出すことに
前日まずラミナリアという綿棒のようなものを子宮口に入れて子宮口を拡げる処置をする
経産婦ではないので、子宮口は固く閉じている
そこに無理矢理入れるのだからこれが涙が出るほど痛いし、実際泣いた
翌日陣痛が起こったところで分娩室へ
助産師食べられそうなら食べておいた方がいいと言われ昼ごはんを食べた
ミートスパゲティだった
ウテメリンによる吐き気で食事を数日取れなかったので、ちゃんと食べれた
こんな時でも食べられてしまう自分の胃腸を忌々しく思った
陣痛の周期が速まるのを待ってるうちに
どうやら別の部屋で分娩が始まったらしく、助産師はそちらにヘルプに向かった
わたしは独り置いてけぼりで、痛みが増してくる陣痛に耐えていた
産まれてくる子が生きてたら、独りにされることはなかったのかなとかぼんやりと考えていた
お腹の子を取り出す前に病室で説明を受けた
子をみたいかどうか担当の助産師に聞かれ
夫は「見ることできるんですか?」と見たそうにしていた
わたしは「見れないと思うので見ません」と答えた
代わりに夫に子を見てあげてほしいと頼んでいた
陣痛のあと、我が子は静かにでてきた
遠くで産まれたばかりの赤ちゃんの泣く声がしていた
助産師は出てきた子を見ませんかとわたしにもう1度聞いた
わたしは「見たいです」と泣きながら答えていた
妊娠期間少しも母になる実感がなかった
が、この時わたしは母になったんだなぁと思った
とてもきれいな女の子だった
ステンレスのようなトレイに載せられた
800g足らずの小さい身体
手も足もちゃんと指が5本
外から見た限りどこにも悪いところが無さそうだった
用意されていた小さい木箱に入れられた子の周りを夫が買ってきた花で囲んであげた
処置が終わり、私にあてられたのは2人部屋だった
相部屋の人は遺伝的な糖尿病で、リスクの高い妊婦さん
糖尿病でもちゃんと管理して妊娠すればリスクを減らせるから、今回は諦めて次回にしないかと医師は説得する
どうやら赤ちゃんだけでなく本人の生命にも係わることもあるらしい
しかし本人の意志は固い
ご主人や家族も説得を試みるが彼女は折れなかった
カーテン越しに聞いていたわたしは
吐き気に耐えられずウテメリンをやめてもらうように頼んだ自分が情けなかった
それが流産の直接の原因ではないのはわかっていたけれど、命を繋ぐことより
自分の方が大事だった
わたしには親になる覚悟がなかった
これが運だけでのほほんと生きてきた私の33才にして訪れた初めての挫折
最後には何とかなると思って生きてきたけど、初めて何とかならなかった出来事
入院する少し前に長期病欠してたので派遣切りされて、仕事も退職していた
ここからしばらく傷病手当をもらい
引きこもり生活を送ることになる
暗くて重い話なのに
ここまで読んでくださりありがとうございました