幸せになる力

精神障害は生まれながらという人は1人もいません。発症する時期は異なりますが皆さん普通に生活していたのに、ある日突然発症します。

私は家族が生まれながらの身体障害を持っていますから、生まれながらのつらさも一緒に生活する中で私なりに感じています。

しかし、後から発症することのつらさも知っています。それは必ず何かを失うということです。
精神障害をお持ちの方々は皆、言葉にならないつらさを持っていますが、それは失ったものがあまりにも大きいということです
精神障害を受け入れるということは、その失ったものは、もう2度と取り戻せないということを認めることかもしれません。

その失ったものを埋めていく作業をしていく中で、ある程度普通にできることもあります。
しかし、それは健常者が普通に行うものとは全く異質のものです。
ですから、壁を感じることがあります。
この壁は人によって感じ方は違いますが、出来なくなってしまったことを受け入れることは容易なことでなく、とてもつらいものです。
それは言葉に表すことができない声無き慟哭です。

そのような中、私も自分がどうすればいいか考えました。自分の生きる価値や意義はあるのか?生きていく上での証はあるのか?と様々なことをしました。

私ははじめは散歩から始めました。10メートルも歩けないで、その場にうずくまり悔しさのあまりに動かさない足を叩いたこともあります。
ある時は木の枝を見ると死にたくなり、それを必死でこらえたこともあります。必死でこらえていたのでしょう。あとから太ももに爪が食い込んで血が出ていました。
とても酷い人達にも会いましたがあの人達より幸せになることが本当の復讐と思い生きてきました。

私は今はどのような生き方でも幸せになる力が人間にはあると信じています。
それは人によって違うと思います。
私の場合は元気な時に何をしていたか思い出して、筋トレや思いつくまま、そこから始めました。
筋トレは今も続いています。あとは歴史研究会も続いています。

私が思う幸せになる生き方とは一つのことに、こだわらないこともありますが、あきらめないことです。幸せの感じ方、幸せの捉え方は人それぞれだと思います。

私は私以外の精神障害の方々と接して、やはり皆さん真面目過ぎると思います。
真面目はいいことですが、過ぎるのはよくないと思います。
頑張ることも悪いとは思いません。頑張り過ぎるからしんどいのだと思います。
普通ならここまで頑張れないという限界を超えて皆さん頑張っているように思います。

私は今はある意味幸せですが、それでも現実失ったものが返らない悔しさや寂しさを感じます。そしてその為に普通できることができない言葉にできない慟哭も感じます。
でも必ず今より幸せに生きる術はあると信じています。あきらめないこと。自分を信じて、信じることをあきらめないこと。それがある限り自分で思う形で無くても幸せになれると信じています。人間は幸せになる力を持っていると信じているからです。

(今回こそ短歌は載せるのやめときます。お読みくださった方、最後までお読みくださりありがとうございます。)

#双極性障害 #精神障害 #精神疾患 #あきらめないこと

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