nippperに源内あお論が載りました
わぁい 源内あお あかり 源内あお だぁいすきー
わたしの源内あお論がnippperにのりました。わぁい。
nippperが投稿を募集してるのを知って、源内あおレビュー意外とないんやなと気づき、前から書こうかと思ってたあおちゃんのレビューをせっかくならちゃんと書いて送ってみようと思って、書いて、送った。で、載った。
写真が大変やった。文章はまだあれやけど、写真はほんとうになんのあれもない。大変やった。次があるなら写真はもうちょっとなんとかしたい。
仕事以外でちゃんとした・・・というか、よそゆきの文章を書くのが久しぶりすぎて、しかもプラモレビューも初めてで、nippper向けnippper読者向けに書かなあかんし・・・・みたいなことで苦労もあったけど、まあ結果わたしの源内あお論(レビューのはずやけどレビューなんかこれ)がnippperで世に出てうれしいです。
最初の段落は結構手直しされてて、かなり説明的になってる。わたしはもう「創彩少女庭園 源内あおは現実への逆輸入版」って言えばわかるやろみたいなかんじやったけど、そこを大変苦労して編集していただいたのであろうことがわかる(写真も・・・・)。
ちなみにわたしはタイトルを「「源内あお」を組み立て、源内あおのいる部屋を実現する」にしてた。それがちゃんとnippperっぽいタイトルになってて、なるほどと思った。そうやってタイトル(というかキャッチコピーというか)作られてるんやなーと。
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以下、補論的な。
あおちゃんと轟雷とは創造主(主体)-被造物(対象)ではなく「主体どうし」であるってことがアニメFAGにおいて重要やと思う。関係はゼロから組み上げたフルスクラッチラブかもしれんけど、轟雷じたいは被造物ではない。
あおはママとか言われることもあるけど、どっちかっていうと対等なパートナーとしての家族やと思う。
で、その「主体(どうし)」っていう関係が創彩版源内あおを組み立てるときにも感じられるのがすばらしいとこやと思う。
源内あおというキャラクターははじめからあるけど、完成品としてあおを買うのとキットを組むのとではだいぶちがう。キットを組むことはいわば世界の変容を自分の手でもたらすこと。
・・・・それこそが「フルスクラッチラブ」ってことなんじゃないかなーと。
アニメにおいて、フルスクラッチするのはあくまでラブであってFAGではない。それはあおがプラモ苦手っていう設定に従った結果かもしれんけど、すごくいい結果にもなってる。創造の瞬間ではなく、日常をパチリと重ねることじたいに意味を見出してる。それがすごくいい。
特別な瞬間ではなく、積み重ねにこそ重きを置くこと。それは正しく愛であり倫理であると思う。
なんとなれば、愛や倫理は世界の中にはなく、世界に生きる我々の行動や世界の質としてあるので。
アニメみたけどキットはまだのひとはぜひあおちゃんを組んでほしいし、創彩庭園が好きなひとはぜひアニメみてから組んでみてほしい。ほんとに「あおちゃん、いる!」って気もちになれると思う。
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ただしこれはキットとしての創彩庭園シリーズの欠点でもある気がして、たとえばFAGを組んでるときには創造主気分になれるけど、創彩庭園を組んでるときにはなんかいまいち気分が乗り切らない。
ロボの場合は創造主-被造物の関係が明確なのでガールをスクラッチすることがそのままフルスクラッチラブにつながるけど、人間の場合はスクラッチしてる気もちになりきれない(創造主-被造物の特別な関係が成り立たない)ので単にガールをスクラッチするだけになってしまいがち。
創彩庭園は組むものが人間であるぶんキャラクターありきであり、本気で楽しむならおそらくラジオとかも全部追ってまるごと楽しんでいく必要があって、そこがそのままネックにもなってる気がする(創彩庭園が他シリーズと比べてどんくらい売れてるかはわからんけど)。わたしにとってあおの場合はアニメみてたので完全に気もちが乗り切れた。
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理念を語ることを優先してしまった、というか理念しか語ってない。実現そのものとか思想としてマシかどうかとかはおいといて語ってしまった。そのぐらいちょっとこのキットとあおちゃんには気持ちが入ってしまってる。
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