「子どもがいじめられる」という理由で選択的夫婦別姓制度に反対する人の醜悪さ

先日、選択的夫婦別姓制度を導入することを国に求めてほしいという請願を高校生が宇治市議会議長宛てに提出したことが話題になりました。その後、宇治市議会ではこの請願が採択されています。

高校生が積極的に行動し選択的夫婦別姓制度を実現しようとする動きに感激する一方、高校生に行動させてしまっているほどに、未だに選択的夫婦別姓制度が実現できていないことに憤りを責任を感じています。

言うまでもなく、私は選択的夫婦別姓制度に賛成の立場です。

理由は、他人の夫婦の姓なんてその夫婦が勝手に決めればいいと考えているからです。私は、夫婦(の姓)のあり方について、どうしても国が法律で縛らなければならない理由はなく、それぞれの夫婦が自由に、勝手に、決められるべきだと考えています。

一方、選択的夫婦別姓制度に対しては反対派が多くいるのが現実です。ちょうど一昨日、選択的夫婦別姓制度に関する世論調査が内閣府から発表され、支持が29.8%に留まったことが話題になりました。それに対し野田聖子が回答者の構成に異を唱え、現実との乖離を指摘していました。(そもそも夫婦の自己決定に委ねられるべきと考える私としては世論とずれがあろうが選択的夫婦別姓制度の意義には関係がないですが、制度実現のためには世論は重要ですから、悩ましいものです。)

ところで、反対派が選択的夫婦別姓制度に反対する理由の中に「別姓の夫婦の子どもがいじめられるから」というものがありますが、この主張はあまりに醜悪ではないでしょうか。

まずもって、どんな理由があろうと、いじめは加害者が悪いです。そこに疑いの余地はありません。両親が別姓であることでいじめられる子どもが仮にいるとしても、その子どもは被害者です。つまり、子どもがいじめられるという理由で選択的夫婦別姓制度に反対する人々は、いじめの可能性を理由に、加害者ではなく被害者側の権利を制限することを主張しているのです。

これはあまりにも醜悪で到底認められない主張です。いじめがあるならまず加害者を責めるべきであり、被害者の権利が剥奪されるべきではありません。それなら反対派の人は「特殊詐欺被害が発生するから、詐欺の標的になりやすい高齢者は電話の使用を禁止されるべきだ」とでも主張するのでしょうか。あまりに馬鹿げていて暴論なのです。

選択的夫婦別姓制度に反対するのはいいとして、そのために「子どもがいじめられるから」という理由を持ちだす人々は、加害者のために被害者の権利を制限すべきと考えているのですから、選択的夫婦別姓制度の是非の議論以前に、弱い立場の人々の自由や権利を不当な理由で攻撃する存在だと認めなければならないのです。

結局のところ、選択的夫婦別姓制度の反対派の根底には、他者に過干渉し、他者の自己決定権を認めず、弱い立場にある人々から自由と権利を奪いたいという感情があるように、私は思えてならないのです。

そういった意味でこそ、私は、自由や権利のために、選択的夫婦別姓制度は実現されなければならないと考えています。立場の弱い人々の自由と権利のために行動する人々が今よりも増えていくことを願って、私自身も行動し続けたいです。





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