キリンジ「君の胸に抱かれたい」各論C
「Baby Blue Jean 泣かないでどうか」
前回の積み残しから。青いジーンズを履いた彼女、との読み筋もなくはないところですが、主宰目線はDavid Bowieの同名楽曲からの引用ではないかと。「Remember they always let you down when you need 'em」つまり「覚えておいて/必要なときにいつだって彼らは見捨ててしまうから」という一節がこの曲に当てはまるモチーフでしょうか。
「Silly Love Song どうしたの?茶化してないさ」
「○○だよね、知らんけど」は関西人特有の婉曲表現。要するに言い切ると角が立つからお茶濁しとこう、でも本当は○○と断言したい、の時の台詞。だとすれば「茶化してないさ」は無論、茶化しているのです。意図的に男性側が精神的優位に立とうとしている。どうしたの?なんて嘯いて。馬鹿げた恋の歌というのはポール・マッカートニーを文字っているでしょうか。
「君のその胸に抱かれたいよ 甘やかな身体」
繰り返されてきたフレーズの中にも細かな変化が。「よ」の一文字が加わるだけでそれまでの景色が一変します。結論から申し上げますと女性の皆様、本当にごめんなさい。「甘やかな身体」と言うからにはハナっからそういう目的でしたというオチが突如用意される。主宰が冒頭から述べていた通り、健全と不健全が入り混じるキリンジの世界観が満を持して登場です。
「負けたよ 大きな赤ちゃん/見たよ 君は泣くふりも素敵だ/姿のいいひとよ」
解釈によってはこの大オチも相当残酷なエンディングと読むこともできる。非常に爽やかに楽曲が締め括られたように見えて、彼女は身ごもっていた。挙句、嘘泣きまでしている。男性側が鈍感なだけか、これ以上ない仕返しを食らっている。偶然街で出会った後日談なのか、別れを切り出した話の流れで飛び出したエピソードなのか。そもそも不倫関係だったという昼ドラ説。
もっと平和的な解釈としては、赤ん坊のように泣く姿を見て「誓うよ どこへも行かないと」と再び愛を確かめ合った、とする立場もあります。曲冒頭の「愛されんだ」は英文「I surrender(諦めたよ)」に掛かっているとの推理。「負けたよ」にも繋がっていそう、なかなか言い得て妙というか筋の通った解釈だと感じます。他にはどんな解釈があり得るでしょうか。
10歳が見た「君の胸に抱かれたい」
2000年当時小学4年生だった主宰のファーストインプレッションは、どちらかといえば「昼ドラ説」に近かったように記憶しています。カップル解消後に街で偶然すれ違い、あー結婚したんだーなんて話になり、あの時はごめんなんていうくだりで涙して。過ぎた時間がすべてモヤモヤを解決した。もう負い目を感じコソコソ逃げ隠れせずに生きていける。「誓うよ」の真意。
インディーズ盤『2 in 1』からリアルタイムで聞いてましたから。当然のことながら「高樹氏のことだから何か企みの一つや二つあるに違いない」の体で年甲斐もなく斜に構えてこの楽曲に向き合っていた、その当時の記憶を辿りながらなんとか結びの段まで漕ぎ着けました。聞き手の数だけ答えがある。人生観や時代背景の変化が解釈を無限に分化させる。だから音楽は面白い。
2020年10月12日
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