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自主映画を、撮る。その13

本編の前にまずは、今週の「HIRUMESHI!!」のコーナーから。(2022年追記)

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銘店「三宮 サヴォイ」にて、ビーフカレー中700円也。30年以上の歴史を誇る、もはや関西のジャズファンなら知らぬ者はいない珠玉の一杯。美味い、美味すぎる。お昼時からこんな幸せな気持ちになっちゃって果たして午後勤大丈夫!?いっそ眠気に委ねて給料くすねてやろうか!?くらいな気持ち。勿論誠心誠意お仕事させて頂きましたよ!!

以下、本題。(2021年末執筆)

「令和版」編集記、その続きから。

今回、主宰が監督を(厳密には脚本、出演、演出、編集まで)務めたのは先述の通り『かぼちゃのパンケーキ』そして『大久保選手』の合計2作品…のはずでしたがしかし。詳細は次回に持ち越すとして、いずれにせよ編集の段階になって直面した課題難題の類があった。勿論「自分で編集する」と宣言した手前、それなりに覚悟はしていたつもりですけれど。

とはいえ被害軽微で済みそうな『大久保選手』から編集作業に入った。噂の「ムービーメーカー」後継サービスでサクッとOP風映像だけ拵えて、あとはVideoStudio一本勝負。元ネタである当時の国際映像と照らし合わせつつ適度に「パチモン」「劣化版」感を両立させるよう努力。敢えて、透過や合成は行わず。これくらいチープな方が良いんですきっと。

正真正銘、2テイクで決めました。

正味、脚本もOK/NGの概念もあってないようなもの。こんなバカバカしい映画に5テイクも10テイクも掛ける訳はなく。文字通り、カメリハ兼本番→やり直しで完成形まで。出たとこ勝負のテイク1は最終盤、惜しくも機材の不備により泣く泣くボツってしまいましたが。また折を見て、公開したいと思ってます。そりゃあ一番だしが一番旨いに決まっていて。

「一回やったネタは禁止ね」なんて嘯いたところ、テイク2はさらに混沌を極め。各人が何をしでかすかわからない状況下、撮れ高や振れ幅に応じオチを変える心の準備もあった。机上でどれだけ頭を悩ませても仕方ない、現場で出たものが答えだの気概でもって。瞬間の芸術。「居間でバラエティ番組観てる気分でした」映像チェックの段で共演者からもらった最大級の賛辞。

他方、『かぼちゃのパンケーキ』こちらはガチモン。

撮影中も実におちゃらけムードでしたが、編集の段となるとあれだけ楽しかった現場の雰囲気はどこへやら。例えば画のトーンひとつ取っても、明るめに見せるか暗めに見せるかによって180度印象が変わる。盟友カメラマンには予め「モノクロ映画」を打診し臨んでいましたが、想像以上に質感が良くむしろ全編カラーで行きたいくらい。

結果どうなったのかは本編をご覧下さい、察しの良い方には本作の元ネタとリファレンスとして用いた映画が何だったか即座におわかり頂ける仕上がりとなっております。「笑いは伏線」と申しますが、あくまで教科書的な演出技法は排除し素材の良さ一本で勝負してみました。盟友カメラマン、共演者へのリスペクトを込めまして白黒化以外はほぼ撮って出し。

本筋は2テイク撮了、あくまで鮮度重視で。

本編の根幹を担うパートは小細工なしの一発撮り、しかも「頭」「ケツ」以外ほぼ台本なし。これもカメリハ兼本番を経てテイク2で完成を見た、各人の出方をある程度把握した上で「さっきとは違うテイストでお願いね」とすかさず釘を刺す。それは監督であり出演者でもあった主宰の首をも締める決断、しかし制約の中でいかに遊ぶかそれこそがジャズなのです!!

つまり一発録り→パンチインという「レコーディング」現場の手法でもって映画撮影に臨んでみたという訳です。根幹パートの撮影後クルーには「インサート」と銘打って追加のカットをリクエストした、しかし実際は演奏してみて気付いた「足りない音」「トチったパートの手直し」的な意味合いで。撮り溜めた素材の中から何を作り出すか、ではなく。

浅瀬勢が仕掛ける「脱ギミック至上主義」。

例えば「モンタージュ」という考え方があります。すなわち「複数カットを組み合わせることで生まれる文脈や関連性」映画において意味のないシーンは存在しないという不文律。しかしこれまで一切理詰めで映画を作ってこなかった主宰には正直何のことやら。安易に奇抜な演出やカット割りを打ち出そうものならその全てについて「コンテクストが生まれる」責任を背負う。

「上手い映画」なんて到底撮れませんし、ハナっから撮るつもりもない。しかしながら、様々なベクトルから映画に精通した盟友を交え紡いだ映像には一定の「集合知」「美意識」が反映できるというもので。そのくらいの位置付けで、どうぞ生温かく本作をご覧頂けますよう。革新的な手法も、独自の構図も、社会的メッセージの類もありません。撮りたいものを撮りました。

「努めて語るべき」パートと「暗に感じ取って欲しい演出」の棲み分け。

「わかる人にはわかる」的視点を盛り込みつつ大衆映画としてアウトプットした、裏テーマについてはあくまで視聴者のイマジネーションに委ねる形。語り得ぬ作品性についてはとことん沈黙、気になった方は是非コメントで。大味に見えて実は細部まで計算され尽くしている、そんな映画を目指して。M-1グランプリにおける錦鯉の世界観はまさにそんな様相でした。

はからずも「定点長回し」スタイルが2作並びました、が話は冒頭の…に戻ります。つまり思いの外編集作業が巻きまして、生まれた時間的余裕。これはもしや「もう1本撮れや」との思し召しか。今一度アイデアノートやボツ案に目をやると、ありましたよ丁度良い塩梅の代物が。という訳で次回に続きます、自主映画制作番外編。たったひとりで挑む白昼の短期決戦。

(次回へ続く)


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