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魔法使いに出会って、魔法が使えるようになりたいとおもった話


去年の12月末、とある人数の多い忘年会で、魔法使いに出会った。

魔法使いとは、30歳まで童貞だと云々・・・とかではなくて、ほんとうのほんとうに、「魔法使い」。

𓂋⟢˖⊹ ࣪


お店に入ってきた瞬間から、なにかの達人っぽいな、というオーラのあるかっこいいおじさんだった。白髪混じりの長い髪に髭を生やし、和服をカジュアルに着こなしている。

ひと目見て、大木のような安心感があるな、とおもった。

縁あって大木さん(大木さん)の目の前の席になったわたしは、気になって根掘り葉掘りいろんなことを聞いてみた。大木さんは、合気道の達人であり、写真家でもあり、誰もが知っているような海外の有名な大学で教鞭まで取っているらしい。聞いたはいいものの、何者?

最初は大木さんがなにを考えているか掴みきれず、探り探り話を聞いていたが、そのうち大木さんの、思慮深く、まるで”凪”のような安心感にすっかり心をひらいたわたしは、自分のやっていることやかんがえていることなども、ざっくばらんに話してみることにした。今年大学を卒業して、広告の企画の仕事を毎日真摯にがんばっていること。目まぐるしい日々を、転ばずに走りつづけるのがけっこう大変なこと。大人に、社会に対して絶望したこと。うれしかったこと。等身大の気持ちを忘れずに、ずっと生きていたいこと。初対面の人に対してわたしがいつもやるように、相手にも話を振りつつ、自分の話をしすぎず、上手な会話ができていた。つもりだった。


気がついたら、わたしは泣いていた。
酔っ払って簡単に感情を振り回すひとに対して斜に構えた気持ちでいるようなタチのわたしは、たいして酔っ払ってもいないはずなのに思考より先に出てきてしまった感情に驚いて、ポロポロと涙をこぼしながら謝った。恥ずかしくて、くすぐったくて、申し訳なくて、不思議な気持ちだった。

そんなわたしに対して大木さんは、すこしも驚かず、「話を聞いているだけで、僕の前でひとがよく泣きます」と笑っていた。その様子がなんだかおかしくて、つられて笑ってしまった。   


𓂋⟢˖⊹ ࣪


数日経って、わたしは大木さんのとんでもない「魔法」に気がついた。
大木さんはたぶん、ほんとうに、ほんとうの意味で、わたしの話を聞いてくれていた。わたしが”気を遣っている風”にこぼした強がりや寂しさを、ただ受け取って、心の深いところでじっくりと抱きしめていてくれていたのだった。


わたしたちは通常、ひとと会話をするとき、自身の常識のパターンに当てはめて相手を見つめる。アドバイスを求められれば自分の経験則から話をするし、雑談をしているときですらも、自分のなかから引っ張り出したもので、相手の発話に呼応する。

そして大抵の場合、わたしたちは、そのパターン自体に自分のエゴが織り込まれていることに自覚的でない。相手よりも上でありたい、認められたい、理解者でいたい、愛されたい、仲間外れになりたくない、ノリがいいとおもわれたい、優れた自分でありたい、など。

わたし自身は、元々の性質である負けず嫌いが由来して、他者からの視線や評価を強烈に気にしてしまう性格なので、ずっと心の奥底に「多くの人に認めてもらえるような、インパクトの大きい仕事をしている自分でありたい」「賢く優れている人間であるとおもわれたい」という気持ちがあり、それ故に素直でないコミュニケーションをしてしまう節がある。

ベースが無理をしているから、ひとと関わるときに、どうしても力みや強がりが生じてしまう。そして、そんなチクチクの鎧をまとった人間がまわりから愛されるとおもえるはずもなくて、自分に対する信頼が貯まっていかない。言わば、底抜けの貯金箱みたいなものである。

無理やり図にするとこんな感じ



そんなわたしは、大木さんの傾聴力の高さと精神の静けさに気がついて、「力を抜くって、こんなに簡単なことだったのか!」と拍子抜けした気持ちになった。心をクリアにしてまわりと向き合い、常にあたたかくて深い繋がりやよろこびと在ること。自分が愛せること、たのしいとおもえることを積み重ねて、そのフィードバックを素直に受け取ること。


無理やり図にするとこんな感じ ②



わたしは、物事を深くかんがえて、構造化・言語化することが好き。ひとと、深くてあたたかい気持ちを共有することが好き。かわいいものが好き。

「好き」を見つけて、そこに向かうエネルギーをつかって、仕事や生活をする。愛をもって、世界と関わっていく。そして、その愛の循環の堆積が、わたしの生きた軌跡になっていく。それだけで、とんでもなく幸せ。

そしてたぶん、一連の過程に無理がなければ、そのうち大木さんのように、触れるだけでひとを幸せにしちゃうような魔法がつかえるようになる。怖がらずに力みをなくして、赤ちゃんみたいな心で世界と向き合えば、写し鏡のように、澄んだ気持ちでひとの深いところに触れることができるようになる。

2025年、わたしは、そんな魔法がつかえる、素敵な魔法使いになりたい。


𓂋⟢˖⊹ ࣪


ちなみに、そんな大木さんの存在が不思議すぎて、「大木さん(←ほんとは違う名前 木ではない)も、誰かに聞いてほしい、さみしい、みたいな気持ちになることはないんですか?」と聞いてみた。

大木さんは、「自然はいつも聞いてくれているからね」と一言だけ放って、さっぱり笑っていた。信じられない。深い、深すぎる。かっこよすぎる。

チクチクとセカセカに溢れる俗世でこんな素敵な人に出会えたこと、自分の力みや弱さに気づかせてもらえたことに感謝しつつ、わたしも愛とよろこびと納得感を持って、毎日を大切に生きていきたい。



p.s.
早速、力を抜いて相手と向き合う、たのしく毎日を過ごす、がうまくなってきたのですが、ついでにフィジカルの鎧も弱くなってしまい、おとといは靴下を履き忘れて家を出て、昨日はブラジャーをつけ忘れたまま外出しました 爆笑
魔法使いへの道のりは、長い______。


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