『鎌倉殿の13人』小栗旬さんが痛ましくて見ていられない
小栗旬さんが好きだ。
小栗さんは『八重の桜』(2013)では吉田松陰、『西郷どん』(2018)では坂本龍馬を演じていた。
どちらも登場回は少ないながら、素敵だった。わしづかみ。
「この人をもっと見ていたい」
と思った。
俳優にとっていちばん大切なのは、そこだと思う。
演技が上手い、顔が良い、声が良い、いろんな褒め方があるけれど、ようするに、
「この人をずっと見ていたい、聞いていたい」
観客や視聴者にそう思わせたら、勝ちなのだ。
「この人が主役の大河を見てみたい」と思った。
「まだ一度もないなんて不思議」とずっと思っていた。
だから今年は、本当に楽しみにしていたのだ。
ちょっと泣いていいですか。
本当に、本当に、楽しみにしていたんですよ。
昨日の回(9月4日放送第34回「理想の結婚」)の冒頭で、
ぎょっとして飛び上がりそうになった。
まだメインタイトル前、瀬戸康史さん演ずる弟の時房との小話的なシーン。汚れた格好のまま、なにげなく縁側に寝ころぶ時房に
「そこでくつろぐな!」
怒号を発する義時。
そ……
そんな、逆上するようなシーンじゃないのに。
この程度のバランスが取れない役者さんじゃないのに。
なんだか、涙が出た。
こんな小栗さんが見たかったわけでは、決して、決して、ない。
他の人たちが大河ドラマに何を求めているのか、それは知らない。
私は平凡で愚鈍な視聴者だから、とにかくかっこいい人がかっこいいことをするところが見たい。ひたすら見たい。
「今夜もあの美男/美女のご尊顔が拝めた」
ってだけで次の1週間分の元気がチャージできるし、
「こんな素敵な生き方をした人(たち)がいたんだ」
と知ると、「世の中捨てたもんじゃないな」と思ってもっとチャージできる。
今年の大河は、憧れられる人が、
「私もこんなふうに生きてみたい」
と思える人が、一人も出てこない。
ただでさえ辛い現実に、これはきつい。
こんなのきっと、私だけなのだろう。
仁田忠常が「やればできる!」って言ったとか、そういう小ネタだけでは楽しめない私が悪いのだろう。
ああそうか、一人だけいる。この人をもう少し見てみたいと思える人が。
けなげに父・義時に抵抗を試みている、太郎こと北条泰時だ。(演・坂口健太郎さん)
「比奈さんを追い出しておいて、もう新しい女子ですか?」
嫁の「義父上だってお寂しいんですよ」などというよけいな口出しに対して
「自業自得だ!」
「父上には、人の心がないのですか?」
よく言った泰時。百パーセント、千パーセント賛成だ。
「比奈さんが出ていったのだって、もとはと言えば、父上が非道な真似をした……」
ああ、ここで、父が息子をひっぱたくのだなと思ったら、
なんと嫁が、泰時をひっぱたく。
顔をだ。
顔をひっぱたく。武士の、棟梁の御曹司の顔を。
凄いな。
手討ちにされないんだ。この嫁。
これはようするに、私のような視聴者の顔がひっぱたかれているわけですね。
天下のNHKさまと三谷幸喜さまに。
この嫁、もう少し前のシーンでは、泰時が
「父は自分のしたことに向きあって、苦しむべきなんだ」
と言うのに対して、こう返す。
「義父上のことを嫌いなんですね」
うわ、あるある。
学校でも腐るほどある。いじめられっ子がたまりかねて声を上げると、善人ぶった教師が言うのだ。
「そんなに○○ちゃんが嫌いなの?」
違う。すさまじい暴力をはたらいているのはそいつなのだ。○○なのだ。
すり替えるな。
思い出して、ひさしぶりに過呼吸の発作が起こりそうになった。
他の女(義時の嫁候補)も義時に言う。
「辛いご決断を、たくさんしてこられたんですよね」
これもあるあるだ。
暴力をふるうほうも辛いのだよ、というね。
だから暴力をふるわれてもがまんしろと。
黙って殺されていろと。
すり替えるな。
ようするに今年の大河は、
「長いものには巻かれろ」と言って魂を絞め殺された主人公が
やがて自分自身「長いもの」になって他人をつぎつぎ絞め殺していく
という、そういうお話であるらしい。
なんでそんな最低の話を、受信料をつぎこんで作るのだろう。
私はたまたま身近に俳優たちがいる。
「逆らえないよ」彼らはため息まじりに言う。「脚本にもディレクターにも。ましてNHKで三谷幸喜だったら」
「そこはスターでも同じ」
ますます、小栗旬さんが、北条義時その人だ。