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まつりごとは誰の骸も必要としない

先週(10月30日放送、第41回「義盛、お前に罪はない」)、
義時がまた、おぞましいことを。

和田一族の乱。結果は北条の圧勝。
惨殺死体であふれる鎌倉の町を歩きつつ、涙を流す現・鎌倉殿=源実朝。

実朝「まつりごとというのは、かくも多くの者の骸(むくろ)を必要とするのか」
義時「鎌倉殿(=実朝)がお生まれになる前から、多くの者が死んでいきました。
それらの犠牲の上に、この鎌倉はあるのです」

ここだ。
半年前から私が、このダウナーなマガジンで言いつづけているのはここだ。

この論理に、だまされてはだめだ。

まつりごとは、人民の骸など、必要としない。
まつりごとというのは、システムだ。
JR山手線がおおぜいの骸を必要とするか?
水道局が、ガス会社が、誰の骸を必要とするか?
って話だ。

「かくも多くの者の骸」を必要としているのは——
義時だ。

義時本人だ。他の誰でもない。

システムを、独占しようとする人間だ。

この論理のすりかえが、私は、どうしても、許せない。

一部の政治家の言うことと同じじゃないか。

私の母方の祖父も、第二次世界大戦で戦死している。
だからあの戦争で亡くなった人びとの霊のために、私も祈る。
心から祈る。
お祖父ちゃんの尊い犠牲の上に、いまの私があると思う。
だけど——

お祖父ちゃんが、戦死しないでくれていたら、
母も私も、もっともっと幸せだった。

それだけは確かだ。
お祖父ちゃんたちが「尊い犠牲」などにならないでくれていたら、
当時のぼんくらなイキった政府が、
かくも多くの貴重な人材を、マンパワーを、
おもちゃみたいに使い捨てるという失策を犯さないでいたら、
いまの日本は、もっともっと良い国になれていた。
それだけは確かだ。

前回(「罠と罠」)、
「私は誰とも敵を作らず、皆で安寧の世を築いて見せます」
と言う泰時に、義時は失笑をもらしていた。
「口で言うのはたやすい」

私も、見ながら失笑した。
もちろん、たやすくはないが、
それができない人間に、そもそもトップに立つ資格はない。

リーダーとしての能力がなく、人望がないから、
他人を暴力でおさえつけるしかないんじゃないか。

どんどん人が死ぬのは、まつりごとのせいではない。
まつりごとが失敗しているせいだ。
あんたが無能なのだ義時よ。

みんな、この男のどこがかっこいいと思うんだろう?
私には、理解できない。
1ミリも萌えられない。



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実村 文 (theatre unit sala)
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