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蒼い運命1991 〈3〉

#創作大賞2024 #恋愛小説部門


からっぽのハートをひざに抱えて


 きららの新しい日々が始まった。

 と、いっても。きららの中では、何ひとつ変わったことはなかった。
 一度、見失ったエイジは、二度と捜し出すことはできなくて。
 あき部屋になったあのアパートからも、ガラージュからも、何の消息もつかめないままで。 きららは今さらのように、後悔していた。エイジのことを何も知らなかった、自分を。
 探し疲れて、途方にくれて。
 カラッポのハートを抱えて、どうすることもできなくて。
 そして…ただ、人形のように…言われるままに、時を過ごして。
 新しい学校に転入した。
 きららは、新しい教室の教壇に立っていた。
 黒板に先生が、きららの名前を書いていく。
 カツ、カツ、チョークの音が響く。
 きららは、それを聞きながら、目の前の風景をボーと見ていた。

   ・・・変だわ。男の子がいるって。
   共学って、やっぱり違う。
   こんなにいっぱい男の子がいて、ちょっと、コワイ気がする。
   でも、同じ年のフツー男の子たちって
   なんだか、とても幼く見える。
   女の子のしぐさも、少しちがうみたい。
           わたしのいた、気ままな花園とは……。     
           この中で、わたしもいずれ変わるのかしら。
           パパが言うみたいに……。
   何か新しいモノをみつけるのかな。
   そんなのイラナイ。
   でも……それをはねのける力が……ないの。
   ただ、今のわたしがしなきゃなんないこと、やるだけ。
   エイジのいない時間を、新しい空間で、つぶすだけ。


 きららは、先生に言われて、窓際の空いてる席にすわった。
 先生の話が、続いていた。
 でも、きららの耳には、届いていなかった。ただ瞳は、窓の外の雲を追っていて。
 新しいクラスへの期待も不安も、今のきららの心には、なかった。
 授業が始まって、
 きららは、スッと差し出された教科書に気付いた。
    隣の席の男の子だった。
 前髪をくしゃくしゃにしながら、ぶっきらぼうに口をきく。
「オレ、稲村。教科書、まだだろ」
「あ、ありがとう」
 きららは、あわてて笑顔をつくった。
 ふたりの目が合う。
 稲村くんは、テレたふうに、プイッと視線を前に投げた。

 
 きららは、久しぶりに横浜に来ていた。由梨ちゃんと、ふたり。
 エイジと出会う前のように、あの頃のままに、元町のお店を見てまわる。
 ここは、何も変わってなかった。
 季節がひとつ、通り過ぎて。
 ワゴンに並ぶカットソーが、秋色になって。照りつける陽射しが、優しくなって。行き交う恋人たちの笑顔も、変わりなくて。
 きららたちは、カフェテリアでてんこ盛りのジェラードを食べる。
 唇からはみ出たモカクリームに、ふたり、笑いころげて。
「よかった。きららが元気そうで」
   由梨ちゃんは、さりげなく言う。
「うん」
 きららは、やっとつくれた笑顔を、こわさないようにうなずいた。
 それが、精一杯で。それ以上……、なにか言ったら、くずれてしまいそうだった。
 ふたりで、山下公園を歩きながら……。
 きららは、遠い海の彼方をみつめる。今は、澄んで高くなった空に、海が光ってる。
     あの日、ここで……。
   不安をいっぱいかかえて、エイジを待ってたんだっけ。
   やっとの思いで、彼の心に触れられて…。
   あの時のキズは、今はあとかたもなくて。   
          あ……だめ。
           涙がこぼれそう。由梨ちゃんが、心配する。
   で、でも……こうして、今でも、振り返れば……
   エイジが、 すぐそこに、立っていてくれそうで…。
   名前を呼んでくれそうで……

「星野じゃん」
 きららは、その声にびっくりして振り返る。
 目の前に、見知らぬ男の子たちが立ってた。
  もろ、ストリート系のクラブウェアの5人組で。
 キャップを後ろ向きにかぶって。
 ジャイブやアイスキューブのロングスリーブTシャツや、パーカー。
 ダブダブのイージーパンツに、ハイカットのスニーカーで。
 みんな、モノトーン系か、モスグリーンやネイビーカラーで。
 ズルズルとだらしなく立っていた。
 ラジカセを持ってるコが、きららに話しかける。
「おまえんち、この辺なの?」
 その声に、きららは初めて誰だか気付いた。
「え、稲村くん?」
 びっくりして、彼を見なおす。
「きらら、知ってる人たちなの」
「うん。彼は、クラスのコ」
 驚いてる由梨ちゃんの耳元で、きららはコソコソ話す。
 まるでちがう人を見ている気分だった。彼は制服の幼いイメージと、ほど遠くて。学校ではサラサラなヘアを、今は、ウェットにあげてて。額を出してて。
 ちょっと、おとなっぽく見える。
   教室では見せないキラキラした表情が、やっぱり、別人ぽかった。
「わたしたち、遊びに来てるんだ。家は、ふたりとも世田谷なの」
 きららは、稲村くんに答える。
「そっかー。オレ地元だからさ。コイツラ、ジモティ(地元の幼なじみ)なんだ」
 稲村くんはニッコリして、他の4人の男の子たちを指す。
「オイ、稲村。紹介しろよ」
「マブイじゃん。どこでみつけたよ」
 と、他の男の子たちが稲村くんを小突く。
「うるせーな。がっつくんじゃねーよ。同じクラスのコなんだからよ」
 稲村くんは、テレながら彼らにやり返す。
 そのやり取りに、きららと由梨ちゃんはクスクス笑ってしまった。
 すると、稲村くんがキョトンとした顔で、きららを見る。
「……オレ、星野が笑うの、始めて見た」
「えっ……」
 今度は、きららがキョトンとしてしまう。
「稲村、てめぇ、なにスカしたこと言ってんだよ」
「赤くなってんじゃねーぞ。コイツ」
「ち、ちがうよ。ただ、オレは……」
 みんなにからかわれて、稲村くんはうろたえる。
「あのさ、よかったら、オレらのダンス見に来ない」
 ふざけてる稲村くんたちの後ろにいたコが、きららたちに声をかける。
「えっ」
 きららは驚いていた。
      稲村くんたちがダンスを……。
   そっか、それっぽいファッションだし。
   一瞬、スケーターかと思っちゃったけど。
 
 きららは、フッと、ガラージュで踊るエイジの姿を思い出してしまう。
「星野、マジで来いよ。すぐそこの倉庫んとこなんだ。ギャラリーいると、気合はいるんだ。オレたちも」
 稲村くんが、まっすぐきららをみつめる。
 きららは、見てみたいと思った。彼らがどんなダンスを踊るのか。胸の奥が少しだけ、ドキドキしてくる。
 きららは、由梨ちゃんの顔をのぞきこむ。
「きらら、行ってみようよ」
「いいの?」
「だって、おもしろそーじゃない」
 由梨ちゃんは、ニッコリする。
「キマリ。こっちだぜ」
 稲村くんが、親指を立てる。
 
 倉庫街の空き地。
 アスファルトの上にラジカセを置いて。
 ガンガンに、ヒップポップ系のダンスリミックスをかける。
 ヘビーD。ロック・ザ・ボート。シュリンプ。
 多彩なISD(インターナショナル・スタイル・ダンス)のコンビネーションステップ。   
           なかなかだわ。高校生にしちゃ、かなり上手。
   5人の息がぴったり合ってるから、見てて気持ちがいい。
   一人一人のレベルは、まだまだだけど。
   誰かのコピーってイキを越えてないし。
   イケナイ……わたしったら、ついエイジのダンスと比べちゃう。
   だって、あんなに胸を熱くするDANCEは…
「フー、カッコイー。まるで、ZOUみたい」
 と、由梨ちゃんも感嘆のタメイキ。 

 カチャリ 稲村くんが、ラジカセをOFFにする。
 汗をパーカーのソデでぬぐいながら、きららたちの前にしゃがみこむ。
「どお、オレらの?」
「スゴイ!こんな上手だなんて。 これなら『DD』に出れるわね」
 由梨ちゃんは、めずらしく興奮ぎみに話す。パチパチと小さく拍手する。
「あ、やっぱ、わかってくれた?今度、あのオーディション受けにいくんだ。うまくいけば、本選に残ってオンエアさ。バッチリ、優勝決めちゃるぜ」
 ガッツポーズできめた稲村くんが、きららの顔を見る。
「星野って、ダンス、興味ないの?」
「ううん。好きよ。カッコよく踊ってるコたちって、見てるだけでドキドキしちゃう」
「へぇ、そうか。よかった」
 稲村くんは、ホッと笑みを浮かべる。
「あのさ……」
 彼が何かを言いかけたとき、きららのハートが、ドキンとした。
 仲間の男の子たちの会話だった。
  その内容がきららの心にピンときた。何かを予感させた。
「すごかったよな。先週の『DD』。ハンパじゃないぜ。アイツのダンス」
「たしか2番めに出たグループの一人だろ」
「アイツ、ハーフかなんかじゃねーの?ブラックの。あとの二人なんか、まるで付けたしだったよな」
 彼らは、ラジカセを囲み、好き勝手なポーズでしゃがみこんでいた。
 きららはその輪のなかに、突然首を突っ込んだ。
「ねえ、その人、どんな感じのコだった?」
「きらら……」
 きららのパワーに、由梨ちゃんが、そしてみんなも驚く。
「ど…どんなって……。ただ、スッゲエ、ダンスがうまくてさー。日本人なんだけど、あっちの血が混じってっぽくて、なぁ」
ひとりのコがたじろぎながら、となりのコを小突く。
「あー。背がゲストのMMより高くてさー、ルックスもいいし、とにかくカッコよかったぜ」   
         まさか……
 きららのハートがどんどん熱くなってく。ちいさな予感で、胸がいっぱいになってく。
  も、もしかして……いえ、きっとそうよ!……
  きららは、思いきってきいた。
「ねー。そのコ。エイジって名前じゃなかった?」
「そこまでは、わかんないよ。3人だったし。グループ名しかテロップなかったから」
 答えてくれたコが、困った顔をする。
 きららは、ハッと我に帰った。
「あっ、わたしったら……ごめんね。もしかしたら……知ってる人かと思って……」
 きららは、シュンと下を向く。
      そんなわけ……ないか……。エイジなわけない。
   彼は、パパに裏切られて……。傷付いて。
   あの世界を恨んでる。きっと……。
   自分から、『DD』なんかにでるわけない。

 その時、バイクの発進音が、風に乗ってきららの耳に届いた。
 そんな音でさえも、きららを振り返えらす。
      エイジのはずないのに。彼のバイクであるはず、ない……。
   どうして……こんなにもエイジのことが……、
   片時も、わたしの心からはなれないの。
   エイジ……会いたい。あの瞳をみつめたい。
        一秒ごとに、好きになるのに。
   たとえ、そばにいてくれなくても。

 きららは耐えきれず、空をあおぐ。
 夏のモワッとした空気が、今は青く澄んで、透明度をますように。
 きららの、エイジへの想いも。
 時の流れの中で、どんどん色あざやかに、よみがえる。
 きららは、必死で、こみあげる涙をこらえていた。
 みんなに気付かれないように。
 笑顔をつくろうとしていた。


ほどきかかった赤い糸


「おはよ!」
 翌日、学校で。稲村くんは、きららに、はにかんだ笑顔を向ける。
 トンと、机のうえにデイパックをおく。
   いつものサラサラヘア。に、制服。
「また、来いよな」
 稲村くんは、デイパックの中身をゴソゴソさせながら、ポロリと言う。
「えっ」
「由梨ちゃんだっけ。彼女もつれてさ」
「ふーん。彼女、かわいくて、いいコでしょ。まだ、彼ぴいないみたい」
 きららは、いたずらっぽく言った。
「バ、バカ。オレじゃねーよ。藤沢だよ。あのニット帽かぶってたヤツ」
 稲村くんは、ムキになって言う。
「わかったわ。そーゆーことにしとこ。協力するからね」
「オイ、カンちがいすんなよ。オレは……」
  稲村くんは、そう言いかけて、きららをジッとみつめた。
    えっ、わたし、何か気にさわること、言っちゃったかな……
 彼はちいさくタメイキをついて、デイパックの中から、ビデオを取り出した。
きららの前に、それを差し出す。
「これ、このあいだの『DD』だぜ。知り合い、映ってんだろ」
「あ……」
 きららのハートがキュンと音をたてる。
 たった、それだけのことなのに。ささやかな予感に、体が震えてくる。
 もしかして……の期待がふくらみ始める。あきらめたはずなのに。
 きららは、そっと、ビデオを受け取る。指先の震えを、こらえきれずに。
「……どうも、ありがとう……」
 そう言って、ビデオを胸に抱き締めた。まるで、エイジのかわりみたいに。
「すごく……うれしい……」
 きららは、稲村くんの顔を、感謝をこめて見上げた。
 彼は、何かとても…、言いたげな表情をしていた。
 でも、きららの心は、芽吹いた予感でいっぱいで。それ以上、感じとる余裕はなかった。

    きららは家に帰るなり、制服のまま、ビデオの前に座り込んだ。
 バックから、ビデオテープを取り出す。PLAYしながら、バーと早送りした。
 ゴトリッ 
   きららは、手に持っていたリモコンを、床に落とした。
 エイジだった。
 31インチのモニターに映しだされた姿は、まぎれもなく、彼。
 きつね顔をこんがりやいた男の子二人と、踊っていた。
 サイドの添え物に比べ、やはり、エイジのダンスはハンパじゃなくて。
 だけど、何かがちがう。きららは、そう思った。
    エイジらしくないのだ。
 やっと、エイジをみつけたとゆーのに、きららは、哀しくなった。
      何なの……この気持ち……。
   エイジなのに。あんなに会いたかったエイジなのに。
   どうして……。
   あの予感のタネは、
   わたしに幸せな気持ちをくれるんじゃなかったの?
   エイジ、何があったの?
   たしかに、あなたはエイジだけど。
   あの…わたしのハートを釘づけにした、あのエイジの瞳が…。
   あの輝きが……。
   エイジから、まったく光が消えてる。
   エイジ、お願い。やめて。こんな、あなた、見たくない。
   あの頃のあなたは、どこへいってしまったの。

 
 

 表参道、青山アパートの裏手。
 ファッション関係のオフィスや、ブティックがめだつ、住宅街。
 グラスストリートを、一台のバイクが走って行く。
 白い大理石貼りの高級マンションの前で、スピードが落ちる。地下駐車場に入って行く。 バイクを降りたエイジは、エレベーターの中に姿を消した。
 『703 K`sPLANET』
 と、プレートのついているドアを開ける。
 ここは、狩野のプランニングオフィスだった。 
 エイジは、無表情で中へ入って行く。
 グレーのカーペットの廊下を抜けると、奥の部屋に、狩野が座っていた。
 でかいデスクに、山のような資料を積み上げている。狩野は、コードレスフォンを片手に、エイジを見上げた。
「また、エスケープかい?エイジ」
「オレが、空き時間。どこに消えよーが、あんたには関係ねーだろーが」
 エイジは、ムッとして、手前のソファーにすわった。
 テーブルにコーヒーが差し出される。
 エイジが振り向くと、 24才ぐらいの見知らぬ女が立っていた。
「エイジ、紹介しておこう。君のマネージャーになる麻生玲子くんだ。彼女は有能な私の右腕だ。君のことは、全て任せてある」
 狩野は、自慢げに彼女に目をやる。
 玲子は、トラッド系のラフなファッションに、肩にかかるストレートヘア。すっぴんのさりげない笑顔を、エイジに向けた。
「よろしく、エイジくん。あなた、すごい反響よ。彼は誰だって、『DD』に問い合わせが殺到してるそうよ」
「それが、何になるんだよ」
 エイジは、プイッと玲子から顔を背ける。
 玲子の表情が一瞬こわばるけど、すぐ大人の微笑に変わる。
「いいかげんにしないか、エイジ。少しは、大人になったらどうだ」
 狩野は冷やかに言う。
 エイジは、その言葉にキッと唇をかむ。キツイまなざしを狩野に投げる。
「オレは、もうガキじゃねー。だから、あんたの首を絞め殺さずに、じっとガマンしてやってんだろーが」
「フフッ、ぶっそうなことを、言うなよ」
 狩野は、さも愉快そうに笑う。
 その態度が、いっそうエイジの感情を逆なでしていく。
「……まさか、あのコトを忘れたわけじゃねぇだろーなー」
 狩野は、タバコにゆっくりと火をつける。
「ふっ、何のことかな。君になにも強要した覚えはないよ。契約書にサインしたのは、君だろう」
 狩野は、まったく動じたそぶりを見せない。余裕の微笑みで、いらだつエイジを見る。
「ビジネスだって言うんだろ!聞き飽きたぜ、そのセリフ。いつまで続けるつもりだ。こんな猿回しを!」
「君がホンモノになるまでサ。そうしたら、あの件は一生伏せてやる」
 狩野は、無表情にそう突き放して言った。
 
 
しばらくして……
 きららがエイジの消息をつかむより早く、街中が、エイジであふれかえった。
 テレビ、ラジオ、雑誌、街頭ポスター。
 アチコチで、エイジの姿が見られるようになった。
 新飲料のイメージキャラクターになって。
 テレビをつければ、いつでも彼のCMを見ることができた。エイジが黒人ダンサーをしたがえた、ダンスシーンで。
 CMソングになった彼の曲も、オリコンでいきなりトップ10入りした。
 きららは、ただ、なすすべもなく。
 マスコミがつくりあげたエイジを、見ることしかできなかった。
 そして、あの思い出のバラードが、シングルCDとして発売された。
 きららのパパが、エイジのママに残したラブソング。
 『I`m on your side.』という、タイトルで。
 エイジが、きららのためだけに歌った曲。
 いつも君のそばにいるからと、愛を誓ってくれた曲が。
 さらに、きららの心に追い打ちをかけた。
 きららは、そのCDを何度もリプレイして。涙を止めることなんか、できなかった。
    エイジ……どおして……
   これは……エイジが望んだことなの?
   エイジは、変わってしまったの?
   これは、あなたの歌なんかじゃない。
   わたしに聴かせてくれた、
 
  切なくて…胸の奥がシンと痛くなるような……
   あのバラードじゃない。
   ただの、歌謡曲みたい。
   音楽評論家のオジサンたちは、たしかに、エイジを誉めてた。
   日本でホンモノのブラックを歌える逸材とか言って。
   本当のエイジは確かにそうだけど……。
   今のエイジは、ちがうわ! 魂を売り渡しちゃってる。
   そんなにしてまで、なんで…。
   歌わなくちゃいけないの? 踊らなくちゃいけないの?
   エイジ……あなたに会って、確かめたい。

 
「パパッ、エイジのこと教えて」
 きららは、パパが帰って来るなり、そう言って詰め寄った。
 もう、深夜になっていた。
 パパは、お酒と、女の人の香水の匂いをさせていた。
 きららは、思わず顔を背ける。
「……知らないんだよ。パパは何も……」
 パパは、きららから視線をそらす。
「うそよ!」
 きららは、パパのしぐさから、うそを見抜いていた。ずっと、何かを隠しているのを感じていた。
 あの日から。あの、エイジと引き裂かれた日から。
 パパは、きららの瞳をまともに見たことがなかった。
 仕事にかこつけて、きららを避けて来た。ハウスキーパーのオバサンに、家のことを全てまかせて。
 きららは、ずっとそんなパパを見て、悲しかった。憎しみよりも、そうせざるをえないパパの弱さが、哀しかった。
   パパ……パパも苦しんでいるのね。
   どおして……こんなになってしまったんだろう。
   あの頃……エイジと三人で楽しかったのに。
   まるで、本当の家族みたいで。
   ママを失った後、エイジのおかげで……、
   パパとの距離が縮まったのに。
   全て、コワレテシマッタ。
   どおして……何があったの?
   それは、今のエイジと……何か関係がある気がするの

「パパ、隠さないで教えて!」
「詳しくは……、わからないんだ。ただ……、エイジのデビューの陰に、アイツがいるらしくて……」
 パパは、ひたすら言葉をにごす。きららの視線から逃げる。
 きららはその態度に、さすがに頭にきていた。仮にも父親なら、男らしくきっちりしてもらいたい。
 その答えの先に何があろーと、真実を知らないよりはずっとましだ。
「狩野のオジサマでしょ。そんなのわかりきってるわよ。どうして、エイジが心を売ったのかよ。わたしが知りたいのは!」
「それは、パパも知りたいと思ってるよ」
 パパは悲しい瞳で、初めて、きららをみつめて言った。
 きららは、パパも真実を知らないのだと、悟った。
   パパも悲しんでるんだ。本当のエイジを知っているから。
   心を痛めてて、それから逃れられなくて。
   わたしとも、顔をあわせられなくて、
   だから、家に帰れないんだ……。
   そんな弱さは、優しさの裏返し……。
   あーやって、お酒と女の人とで。ずっと、ごまかし続けてるんだ。
   かわいそうだわ……パパ……


恋は綿菓子みたいに… 


 放課後。きららは一人、教室に残っていた。
 窓にもたれて。校庭でサッカー部が練習してるのを、目で追いながら。
 心は、ひとつのことをジッとみつめていた。
   エイジにどうしたら、会えるかしら……
   あんなスターになって、回りのガードが固いはず。
   いえ……、そんなことより、エイジ自身が、わたしを拒んでる気が  
   するの。
   住む世界、そして年齢。それが、わたしたちを引き裂く理由なら。
   今は、立場が逆転してしまったし、大人になるのを待てばいい。
   それに、エイジがまだ少しでも、わたしを必要としてくれるなら、
   きっと、彼から連絡をくれるはず……。
   エイジの心を思うと…あの頃のまっすぐな想いにブレーキが、かかっ
   ちゃう。
   いてもたってもいられないほど、会いたいのに。
   なぜか、会うのがコワイ。どうしたらいいの?

 きららは、胸のリングに指をからめる。
 学校では、エイジにもらった指輪は、はめられない。
 だから、きららはシルバーのチェーンに通して、そっとブラウスの下に隠していた。
「もう、先生にみつからないから、いいか」
チェーンから外して、左手の薬指にそれをはめた。
 優しくなった夕日にかざす。
 指輪はキラリと輝く。
 ガラリッ 教室のドアが開いた。
 きららは、あわてて左手を、自分の背中に隠した。
「あれ、星野じゃん。まだ、いたんだ」
 入って来たのは、稲村くんだった。きららはちいさく、ホッと息をつく。
「何か、今、後ろに隠しただろ」
 彼はそう言って、きららの方へやって来る。いたずらっ子のように瞳を輝かせて。
「なんでもないったら」
 きららは、両手を背にしたまま、首を振る。
「いいじゃん。見せろよ」
 稲村くんは、きららの正面からその両手をつかんだ。
 きららは、かたくなに手を放さなくて。まるで、きららは、彼に抱き締められるみたいな恰好になった。
 きららの目の前に、稲村くんの顔があって。
 きららは、一瞬ドキンとした。
 同時に稲村くんの瞳も、揺れる。ふざけた表情が、真顔になる。
「あっ、ごめん」
 彼は、パッと、きららから離れた。
「えっ、わたしこそ、ごめん」
 きららは思わず左手かざした。キラリと、リングが光りを射じく。
 稲村くんは、それを見逃さなかった。
「それって、もしかして……星野のオチコミの原因だったりしてな」
 彼は、半分ジョーダンぽく言った。でも、きららの心は大きく揺れた。
「や、やだ。ちがうわよ。だいいち、わたし。おちこんでなんか……」
「だって、元気ないじゃん。横浜にも来ないし。オレにまで、笑顔つくんなよ」
 きららの心に、グサッときていた。
    わかってしまったっていうの? 
   必死に押し殺して……隠してきたのに……

「確か…あのビデオ見てからだよな。星野って知り合いだったんだろ。あのエイジと」
「!……」
   きららは絶句してしまった。
    どうして……そっとしておいて…くれないの……
   誰にも知られたくなかったのに、わたしの大切な想い……。

「やめてよ……ひどいよ…」
 きららは、もう、こらえきれなくて。今まで、ずっとがまんしてきた想いが、せきをきってあふれる。きららは顔をおおって、泣き出していた。
「あ……ごめん。ごめんよ。泣くなよ。そんなつもりじゃなかったんだ。オレはただ…」  
 稲村くんは、困り果ててオロオロしていた。
 きららの気持ちが、わかるわけがなかった。どーして、泣き出すほど、悲しいのか。
 稲村くんは、どうやってきららをなぐさめればいいのか、知らなかった。
 まだ、翼を持たない少年なのだから。


 
 次の日の授業中。
 きららの机のうえに、小さく丸まったメモが転がった。
 きららは、振り向く。稲村くんが、片手をあげてあやまるポーズ。
 きららは微笑んで、首を左右にふった。

   稲村くんたら…… 彼は、ちっとも悪くないのに。
   わたしの方が、いけなかったのに

 きららは、きのう、あんなに泣いてしまったことを後悔していた。
「稲村、次、読んでみろ」
 先生が、イキナリ、彼を指す。稲村くんは、あたふたと、教科書を逆さに持ち上げた。
「ちゃんと、授業きいてろ。星野に見とれてんじゃないぞ」
 先生は、コツンと、稲村くんの頭をたたく。
 教室が笑いで包まれる。きららも、真っ赤になって、下を向いた。
   わたしと、稲村くん。どーやら、ウワサになってるみたい。
   ただの友達なのに……。
   共学って、おもしろい。誰かと、誰かのカップリングゲーム。
   ウワサのせいで、くっついたり。逆に、意識しちゃってコワレたり。
   綿菓子みたいなフワフワした恋。
   みんな、ちょっとしたことに、喜んで、悲しんで。友だちに相談し
   て……。
   わたしも、こんな恋がしてみたかった。
  
 エイジを好きになりすぎちゃって。彼が、わたしのすべてで……。
   どーすることも、できなくて……

 きららは、こっそり、そのメモを開いた。稲村くんの、右上がりの文字。
 『きのうは、ホントにごめん。あんなつもりじゃなかったんだ。
  ただ、やっとの思いで手に入れた、エイジのライブチケット。
  星野にやろうと思って、そう言おうとしたんだ。 
  一枚だけだけど、行くだろ。
  帰り、バイク置き場で待ってる。こっそり、来てくれ』
  

放課後。
 きららは、 校舎のわきにあるバイク置き場に行った。
 50 400CCのバイクが、何台もあって。
 その中の一台に、稲村くんは乗っていた。ポツンと、メットをかかえて……。
 彼は、きららに気付いて、笑顔を向ける。
「行くだろ。ライブ。アリーナだぜ」
 稲村くんは、ちょっぴり自慢気に、チケットをひろげて見せた。
『1stRAVEin代々木体育館 10/17(stu) S席 アリーナL-57』
「うん。ありがとう。でも、それは稲村くんが行って。
 エイジの生のダンス、見たがってたじゃない」
「えっ、だけどさ……、星野は……」
 がっかりしている稲村くんの目の前に、
「じゃーん」
 きららは、もう一枚のチケットを広げた。パパに、裏ワザで無理やり取ってもらった、アリーナの12列目。
「なんだ、持ってたんだ。オレの席より全然いいじゃん。これでも、頼みまくって、やっと手に入れたヤツなんだぜ」
 稲村くんが、マジでくやしそうに言うので、きららはおかしかった。
「一緒に行こうよ。席は別々になっちゃうけど」
 きららは、ニッコリして言った。
「おー」
 稲村くんは、スカッと爽やかな笑顔になる。そして、ポンときららにメットを渡す。
 きららは、キョトンとしてそれをみつめた。
「これから、DANCE見に来ないか? 由梨ちゃんも、藤沢が連れてくるよ」
「えっ、これから? だって、もう真っ暗になっちゃうわよ」
「今晩、ウェアーハウスパーティがあるんだ」
 きららには、聞きなれない言葉だった。
「何それ?」
「倉庫に機材持ち込んでさ、オレらで仮設のクラブにしちゃうんだ。横浜周辺のダンスフリークが、どっと集まんだぜ」
 稲村くんは、瞳をキラキラさせている。
「なんか、すごそうね。ダンスの発表会みたいなものなの?」
「発表会か、そりゃいいや」
 稲村くんは、笑いこける。
「でも、あながち、ハズレてないぜ。今、クラブとか行ったってさ、マジでISDやったら浮いちまう。オレたちは、フルに踊れる場所がほしいんだ」
 きららは、彼の言葉に感激していた。
   稲村くんって…本当にダンスが好きなんだね。
   きっと、エイジみたいに、カッコよく、踊りたいんだ。
   ハートを熱くしたいんだ。

「来るだろ。乗れよ」
 稲村くんは、バイクのエンジンをかけ、タンデムシートを指す。
 きららは、自分の姿を見下ろした。ブレザーに、ミニのプリーツスカート。これで、バイク。さすがに考えてしまう。
「でも……制服で…」
「だいじょぶだって。見えやしないって……」
 ボッと、きららは赤くなる。
「あっ、ごめん。とにかく、行こうぜ。遅れちまわー」
 稲村くんは強引にきららの腕をひっぱる。
 きららは、そのパワーに負けてバイクに乗った。
 ブルルン バイクは、校門から、勢いよく飛び出して行く。
 きららは、久しぶりに風を切る感触を、思い出していた。
 この背中のぬくもりも。
    エイジ…ごめんね。
   今日だけだから……他の人のバイクに乗るの


あの瞳をかくさないで 


『・エイジ・1stRAVE』
 代々木体育館の入り口に、大きなタイトルディスプレイ。
 きららは、それを振り返って見る。
 まだ耳の奥が、キーンとしている。エイジのライブが終わったとこだった。
 稲村くんと、会場を出て来た。
 あたりは、満員電車みたいに、人でごったがえしてる。
 みんな興奮して、エイジの話を口々にしていた。サイコーにハッピーな表情で帰って行く。 稲村くんが、きららに話しかける。
「スッゲェ! 絶対スッゲェーよ、アイツ。やっぱタダもんじゃねーよ。ジャパニーズの誇りだぜい」
 カンペキ、キレた口調になっている。
 ライブの構成、演出は、海外アーティストに引けを取らない内容だった。
 エイジ自身、ダンスも歌も、そつなくこなしていた。
 そこにいた、全ての観客を総立ちにせ、夢中にさせていた。
 きららは、その中でひとり、取り残されていた。感動できなかったのだ。
 そして、なぜか、哀しくなった。
 初めて、ガラージュでエイジを見たとき、あんなにハートが震えたのに。 
 あの会場で、エイジを見ているのが、とてもつらかった。
   あんなに、会いたかったエイジなのに。
   あんなに近くで、見れたのに。遠い……。とても遠く感じた。
   エイジが、ステージの上にいたからじゃない。
   エイジが、わたしのいたことすら、気付いてくれなかったからじゃな
   い。
   エイジが、そこにいた全てのファンものだからじゃない。
   たぶん……。そんなことじゃないわ。
   この哀しさは……。いえ、くやしいのかもしれない。

 きららは、ずっと黙っていた。稲村くんが、そんなきららに気付く。
「……星野。どーしたんだよ」
 きららは、ハッとして笑顔をつくる。
「ううん。なんでもない」
 彼は、心配そうにきららを見る。
「来ないほうが……、よかったのかな」
「そんなことない。ただ、ちょっと……」
 きららは、少し言いよどんで、
「稲村くん。あのね……、これだけは信じてて……。本物のエイジは、こんなもんじゃないのよ。もっとスゴイんだから」
「え、どーゆーこと? スッゲェ、うまかったじゃん」
「なんてゆーのかな。みてくれじゃないの。ハートにくるのよ、ダイレクト  
 に。感電しちゃったみたいに、ビビッてくるの」
 きららは、自分でそう言いながら、ハッとしていた。
   いけない……。このままじゃ、だめよ。
   あんなに反対した世界だけど。今日、見てて思ったの。
   エイジが…、こんなにも多くの人に愛されるなら、
   わたしのそばにいてくれなくても……いいって……思えて……。
   でも、肝心のエイジが……
   きっと、何かあるのよ。エイジは、苦しんでいるわ。
   クラブで、客寄せに踊らせれてた時のように、自分を見失ってる。
   迷ってるばあいじゃないわ。確かめたい!

きららは、走り出していた。エイジの元へ。稲村くんを振りきって。
「星野!どーしたんだよ」
 彼も、訳がわからないまま、きららを追う。
 きららは、ちょうど会場の一階にあたる、プールの入場口の方に回った。
 そのわきに関係者の出入り口がある。すでに、エイジを待ちかまえるファンの群れができていた。
 その時、エイジが姿をあらわした。
 サングラスで、瞳をかくして。口元をキッと結んで、無表情で。
 きゃあー!! 
 歓声があがって、ファンがエイジに押し寄せる。
 関係者が、エイジをかばう。
 きららも、その波にのまれた。もみくちゃにされる。すごい力でつぶされそうになる。
 でも、目の前にエイジが……。
 きららは、必死に手を伸ばした。あと、50センチ。
「エイジ!」
 きららは、叫んでいた。
 ハッと、エイジがきららを振り返る。
    ! エイジ。
   気付いてくれたの? わたしのこと……。
   でも、見えない。
   涙で、あなたの顔が……サングラスで、あの瞳が……

 その瞬間、
 きららの足に激痛が走った。
 ハイヒールのかかとで、おもいっきり踏まれたのだ。
 足をとられて、転ぶ。
 ファンの子たちが、自分の上に倒れて来るのが見えた。
    コワイッ つぶされちゃう
 次の瞬間、
 きららにのしかかっていた人の重みが、ふっと薄らいで。
 きららは、顔を上げた。
 エイジが、大きな腕を、翼のように広げてかばってくれていた。
「星野!」
 かけつけた稲村くんが、きららを抱きおこす。きららは、やっと立ち上がった。
 その時はもう……エイジの翼は、閉じられていて。
 ファンのコたちの波にのまれていた。

 きららと稲村くんは、その場に取り残されて……。 
「エイジー!」
 きららは、涙をボロボロ流しながら、叫んでいた。
 エイジは、二度と振り返ることなく、ワゴン車に乗り込んだ。
    エイジ……あなたの瞳が、心が、見えない。
   でも、感じたわ。あの瞬間。エイジのハートウェーブ。
   唇が、き・ら・らって、つぶやいてた。
   たしかに、そう……声にならない、想いが聞こえたのに……
   どうして? エイジ!


 
 グワッシャーン
 エイジはカウンターテーブルの上を、手で払いのけた。
 飲みかけのバーボンのビン、グラス、氷が、フローリングの床に、飛び散る。
「くそー、どーすればいい!」
 エイジは、言い捨てると、テーブルに残ったグラスを手に取る。
 そして、リビングの白い壁にたたきつけた。
 ガラスの破片が、部屋中に飛び散る。
 そのひとかけらが、エイジの頬に赤いラインをなぞった。
 エイジはライブの打ち上げもそこそこに、自分のマンションに帰って来ていた。
 殺風景で、ただっ広いLDK。
 生活感のかけらもない、モノトーンの部屋。
 エイジは、頬の血を手でぬぐうと、黒いレザーのソファーにズサッと座る。
 そして、頭を抱え込んでうつむいた。
   あの日、横浜できららをみつけた時。
   やっと……、笑顔が戻ったと思ったのに…オレがコワしちまった。
   あんなに泣いて……。
   オレには…手を差しのべてやることもできなくて。
   他のヤツに、抱きとめられて……。
   SHIT!

 ガチャリ 玄関で、カギがあく音がした。
 玲子がパーカーを片手に入って来る。
 エイジはその気配に、あわてて顔を背けた。
「エイジ、わすれもの……」
 そう言いかけて、玲子は絶句した。その部屋のありさまに驚いて。
 エイジをみつめる。
「どーしたってゆーの。危ないじゃない」
「オレを見るな!これ以上、入って来ないでくれ!」
 玲子は、その場に立ちつくした。
「……エイジ…。今日……、きららちゃんに会ってしまったせいね」
「フッ、そんなことじゃねーよ……。あいつに会ったのは、今日が初めてじゃない。今までだって、何度か見かけてる」
 エイジは唇の端をゆがめた。
 きららの前から姿を消した後、エイジは彼女の様子をずっと見守って来たのだ。
 バイクで、陰からわからないように。そっと……。時間が許す限り。

 あの日も、横浜で。倉庫の陰からきららを見ていた。稲村くんたちのダンスを楽しそうに見ていた姿を。
「そう……。それでよく、バイクでエスケープしてたのね。メットで顔がわからないようにして……」
「……悪いけど、用が済だんなら、帰ってくんないか」
 エイジは感情を押し殺して、キツイまなざしで玲子を見上げた。
 玲子はその視線を避けようとはしなかった。そして、悲しい瞳で静かに言った。
「……狩野さんとしたことを、許しては、くれないわよね…」
 エイジはガッと立ち上がる。
「あたりまえだ! なぜ、ほっておいてくれなかった! なぜ、忘れさせてくれない。きららを。妹であることを」
 エイジは、玲子の目の前に立ちはだかる。
 彼女の首に手をかける。長い髪がからまる指先に、かすかに力を込める。
「私を殺したいの?」
 玲子は、落ち着いた声でいう。
「いや……、このガラスの床に、押し倒してやりたいよ」
「かまわないわよ。それで気がすむのなら」
 玲子は哀しく、そして揺るぎない瞳でエイジをみつめた。
 カッと、エイジの頬に血がのぼる。エイジは顔を背けて、玲子を突き放した。
「出てってくれ!」
「……わかったわ。明日14時に迎えに来るから」
 玲子は、何事もなかったように言うと、静かに出て行った。
 エイジは、その姿を見送って、ダンッと壁をたたく。
   くそっ オレは…、なんてヤツなんだ。
   玲子さんを傷つけてなんになる。
   この苦い想いが、断ち切れる訳がねえのに。
   あの人だって、仕事なんだ。狩野に従うしかない。
   ……オレは、嫉妬したんだ。
   きららをたすけた少年に。アイツを愛する資格を持つヤツに。
   オレはこうして、裏切り者として……きららに憎まれようとした。
   だけど……。他の男がきららに触れるかと思うと、耐えられない。
   そいつをぶん殴ってでもって、衝動にかられるんだ。妹なのに……。
   どうしたらいい。どうすれば、忘れられる。
 
 エイジは、CXテレビに来ていた。
 今夜、『D&Dファクトリー』にゲスト出演することになっている。
 6ST。一番広い、グランドスタジオ。
 クラブのようなダンスフロアのセットが、組まれている。
 その上で、司会者が台本片手に、本番どおりのセリフを話す。
 オーディションを通過したグループが、気合を入れて踊っている。
 ランスルー(通しリハーサル)が続く。
 エイジは、サブ(副調整室)の下の階段にもたれ、それを見ていた。
 2組目の高校生グループが踊り出す。
 それを見て、エイジはハッとした。どこかで、見覚えのある顔で……。

 曲が終わる。彼らはステージを降りる。
その少年はエイジをみつけると、 まっすぐものおじせず、彼の元へ歩いて来る。
 そのひたむきな、まなざしを見て、エイジは思い出した。
 彼の胸に、苦い想いがこみあげてくる。きららのそばにいた、あの……。
 そう、稲村くんだった。
 彼らのグループは、みごとに出演を勝ち取っていたのだった。
 稲村くんは、エイジの前に立った。そして、キッチリとエイジを見据える。
「エイジさん、星野きららをご存じですよね」
「……」
 エイジは、無表情のまま、YESもNOもしなかった。
 稲村くんは、それに動ぜず続けた。
「何があったのかは……、オレは知らない。だけど、星野を悲しませないでください。
 アイツ、言ってました。泣きそうな顔で、くやしそうに。
 本当のあなたは、もっとすごいんだって。オレも知りたい。
 本気のダンス、見せてください」
 そう言いきると、稲村くんはおじぎをして、控え室に戻っていった。
 玲子が、すかさずエイジのそばにやって来る。優しく、苦笑する。
「一本とられたわね」
「ケッ、なま言いやがる。ガキのくせして」
 エイジは、わざと憎まれ口をきく。
「あら、エイジだってまだガキじゃないの」
「玲子さんから見りゃ、誰だってそうだろ。Xマスを越えても、嫁の行き手がねーし」
「失礼ね。まだ越えてないわよ。そんなこと言うと、もうエスケープさせてあげないから」 
 玲子はムキになって怒る。
「大人げねーな。まったく」
「それより、本気出してよ。今度のドーム3連ちゃんは。これで、あなたの本当の評価が決まるかもしれないのよ」
 玲子は、真顔で言った。エイジは顔を背ける。
「興味ねーよ。そんなこたぁー」
 エイジは再び、ステージをみつめた。みんな、真剣に踊っている。
   本気か……。きららが…そんなことを、言ってたのか。
   てっきり、こんな生活をしてるオレを、軽蔑してると思ったぜ……。
   くやしがるって……、悲しんでるって……、どーゆーことなんだ。
   本当のオレって……

 
 南青山にあるエイジのマンション。
 緑のある住宅街の一角にあった。 
 イエローオーカーのタイル貼り。地下に駐車場がある。植え込みのある広いコンコース。 
 あたりは、静まり返っていた。 

 きららは、そのエントランスの外壁にもたれて立っていた。
 時間は、夜の11時を回っている。
 中の様子をのぞく。
 自動ドアを抜けると、すぐまたドアがある。
 そこにはカードキーがあって、入居者しか入れない。インターホンで、ルームを呼び出し、開けてもらうしか手はない。 
 さっき、エイジはマネージャーと一緒に、マンションに入って行った。
 きららは、彼女が出て来るのを待って、エイジを呼び出そうと思っていた。ただ、じっとそこで待つしかない。
    これじゃあ、まるで追っかけの女の子だわでも
   ……エイジは、会ってくれるかな。
   突き放されるのが、……コワイ。そして、とてもつらいの。
   また、あの悲しみの底に、落とされるかと思うと……。
   それに……あの女……キレイだったな。
   大人で、シッカリした感じで、ステキだった。
   エイジと仲よさそうで……。
   どれくらい、待てばいいのかな。
   もし……このまま……

 その時、エントランスに人影が見えた。
 エイジだった。エイジが、あのドアを開けて、出て来る。
 きららは、彼の前に飛び出していた。
「エイジ!」
「きらら……」
 エイジは、言葉をつまらせて立ち尽くす。
 きららも、彼の後に続く人影に、言葉を失っていた。
「きらら…ちゃん……」
 玲子がきららの名を呼ぶ。そして、エイジに寄り添うように立っていて。  
 きららは、混乱していた。
   どうして……マネージャーさんと、こんな時間に。
   それに、なんで、わたしのこと……。

 うろたえるきららに、追い打ちをかけるように、エイジは玲子の肩を抱き寄せた。
「もう、オレにつきまとうなよ。何でもありの、以前のオレに戻ったんだからな」
 エイジは、冷たく言い捨てる。
 サングラスで瞳をかくして、唇のはしを歪めて。
「エイジ……」
 玲子が、何か言いかけると、
「玲子は黙ってな。行こうぜ」
 エイジはさえぎるように言い、玲子の肩を抱いたまま歩き出す。
 きららの前を通り過ぎる。
 きららは、そのエイジの背中に向かって叫んだ。涙声になるのを、必死にこらえて。
「エイジ、自分をさげすまないで!あなたはそんな人じゃない。
 本当のあなたに戻って!自分の心で踊って!わたし……わたし、信じ…てる 
 から……」
 それだけ言うのが精一杯で。ダッと、きららは、走り出していた。
   ……もっと、言いたいことがあったのに。
   ……聞きたいことがあったのに。
   わたしは……。信じているなら、どうして逃げ出したの?
   エイジに対する想いは、それっぽっちのことで、くずれちゃうの?
   でも……でも……
   あの女は、ステキで、わたしなんか…かなわなくて……
   どうして、こんなに苦しいんだろ。

 きららは胸の奥で、熱い何かが、ドロドロとうずまくような痛みを感じていた。
 それは、今までの引きちぎられる痛みとは、明らかに別なもので。
 ひとしきり走ると、きららは立ち止まった。
 もう、エイジの姿もマンションも見えない。 
 息がきれる。のどの奥がヒリヒリする。
 街路樹の樹木の下で、きららはそっと、空を見上げた。かすかに、星が瞬いている。
 あたりは、とても静かで……。
 騒がしい雑踏の中なら、今の気持ちがごまかせたかもしれないのに。
 きららは、こぼれる涙を堪えることができなかった。
 
「エイジ、追わなくていいの?」
 玲子は、エイジの震える背中を見て、ささやいた。
 二人はマンションの前に、取り残されていた。グレーの敷石がしきつめられたコンコース。 
 エイジは、両手をかたく握りしめ、唇をかみ、うつむいていた。
「……追って……、何をしてやれるって言うんだよぉ」
 エイジの言葉の語尾に、力がこもる。押え切れない気持ちが、今にも……。
「だけと……あのままじゃ……」
 玲子は、そう言いかけて言葉を飲んだ。
 エイジ自身がそのことを、一番わかっているのだから。
 玲子は、エイジの心を思うと、いたたまれなかった。どうしてあげることもできない。
「オレの存在は、どのみち……アイツを苦しめるしか、ないのかよ!!」
 エイジは、そう叫ぶと、地下駐車場にかけ出した。
「エイジ!どこへ行く気!明日からドームなのよ」
 玲子が叫ぶ。
 エイジは、玲子の言葉を無視して、バイクで飛び出して行った。


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