見出し画像

蒼い運命1991〈4〉完

#創作大賞2024 #恋愛小説部門


 歌にありったけの想いを


 エイジは、横須賀に来ていた。
 基地のそばにある、さびれた繁華街。バイクを降りると、狭い路地に入って行った。
 つぶれて閉店になったクラブや、薄汚い深夜喫茶のカンバンが立ち並ぶ。
 シャッターが降りたドラッグストアのわきに、地下へ降りる階段があった。
 エイジは迷うことなく、そこを降りて行った。
 木製の重いドアを押し開ける。60年代後半のソウルナンバーが、店内に流れていた。
 そこは、エイジにとって、古い思い出の場所だった。
 母のエミイが、かつて歌っていた店。
 あの頃の…、エイジのかすかな記憶に残る店とは、だいぶを姿を変えていた。
 エイジは、母がなくなって以来、ここに足を向けたことはなかったのだ。 
 当時、生バンドが入っていたのに、今は擦り切れたレコードで。バーの片隅に、おんぼろなピアノが置き去りにされていた。
 店内に客はまばらで、常連のようなおじさんたちばかりだった。
 エイジは、くずれるようにカウンターのスツールに座った。
 そこにいるバーテンに、話しかけた。
「ここさ、昔……。12年くらい前、サマーデイズっていうクラブじゃなかった?」
「さー。オーナーも変わってるし、そんな昔のことまではね」
 エイジの前にグラスを置くと、バーテンはそっけなく背を向けた。
 エイジは肩をおとして、小さくタメイキをつく。
 ここに来れば、何かがわかるかもしれないと思ったのだ。きららとのことが。
 どーしても、エイジは信じたくなかった。時間が経つにつれ、そう思えてならない。
 きららのパパが告げたことは、確かに本当だろう。
 だが、エイジが生まれたのは、ふたりが引き裂かれたずっと後で。きららのパパ自身、エイジの存在を知らなかったのだから。
 だが、真実を確かめる相手は、もういない。
    くそっ!どおすれば、いいんだ。
   何の手がかりもつかめない。
   きららは、99%、妹なんだろう。
   だが、その確証がつかめたとこで、この想いを押し殺せるもんじゃね
   え。
   アイツは、まっすぐオレを見続ける。
   たぶん……。オレがステージに立つ限り……。
   狩野との契約からも、逃れられない。
   本当のオレだって……。自分の心でだと……。
   オマエへの想いで、あふれそうなのに。
   どうして、そんなことができる。
   オレは…、自分の気持ちを押えこむのに、必死なんだ!


 エイジはグラスをつかむ。
 バーボンのオンザロックを、一気にのどに流し込んだ。
 エイジの胸が、焼きつけるように熱い。心のキズに、しみわたる。
 その痛みにエイジは、ジッと堪えていた。

 その時……
 エイジの心に、響いて来るものがあった。
 エイジは、その音の方を振り返る。
 ひとりの黒人が、あのピアノを弾きながら歌っている。
 “いとしのエリー”を歌ったレイ・チャールスみたいな、渋い老人で。
 しゃがれた声で、ソウルのスタンダードナンバーを歌う。
 CMソングでリバイバルしている、オーティス・レディングや、ベン・E・キングの曲を。客の半分ほどが、彼の歌に聴き入っている。 
 ピアノの上に置かれたアンティークのジョッキに、札を突っ込む客もいる。チップとして。 
 名も知れぬオールドプレーヤーの歌が、エイジの心を揺さぶる。
 ♪I've been loving you to long to stop now 
 
   すげえ……ズシンってくる。
   オレの心の底に、静かに溜まっていきやがるぜ。
   そのくせ、じんわりと照りつくように、胸の奥が熱くなってくる。
   母さんも、こんな曲を歌っていたのか… 
   今のオレの歌なんか、ざれごとで。とうてい、およびもつかねーぜ。
   すげえー、敗北感を感じる。
   ちくしょう……


 エイジは、静かに目を閉じて。
 しばらく、歌に聴き入っていた。

    オレは……今まで、何をやってたんだ。
   あれだけの観客の前で。自分のちっぽけな苦しさに負けて。
   好きだった音楽に背を向けて、前をみつめようとしなかった。
   そうすることが、きららへの罪滅ぼしだとでも、思い上がってたの
   か。
   アイツは、心のままに歌えと、言いに来てくれたんだ。
   それを……オレは……
   くそっ。今、オレは、むしょうに歌いたい。
   この熱い想いを、たたきつけたい。
   血がさわぐぜ。ゾクゾクとな。
   眠ってたオレの心に、火をつけやがる。


 エイジは熱いまなざしで、老人をみつめた。
 彼はエイジをみつけると、
「ヘイ、ボーイ」
 そう言って、手招きをする。
 彼のそばに立ったエイジに、スタンドマイクを向けてやる。
 そして、『スタンド・バイ・ミー』を弾き始めた。
 映画でも、ジーンズのCMでもおなじみな曲。原曲はソウルナンバーで。
 知ってるだろうとでも言いたげに、老人はエイジを見上げる。
 エイジはニヤリとして、歌い始めた。
 ありったけの想いをこめて。
 心のままに……。

 ♪Whenever you`re in trouble. Oh Stand by me, 
  oh Stand, oh stand by me

 曲が終わる。クラブは拍手で包まれていた。
 エイジは、心地よい脱力感と、軽いめまいを感じていた。
 それは、今まで味わったことのないもので。胸を熱く満たしてくれる。
 エイジは、老人に握手を求めて、その場を離れた。

 すると、目の前で玲子が拍手している。
「やるじゃない」
 そう言った玲子の瞳は、潤んでいて。
「玲子さん、どうしてここに……」
「私は有能なマネージャーよ。私をまこうなんて、10年早いわよ」
 フッと、エイジから微笑がこぼれる。
「サイコーだったわ」
「やけのやんぱち。開き直りだよ」
「テレるな。テレるな」
「うるせーよ」
 エイジは、苦笑しながら、玲子と並んでスツールに腰掛けた。

 すると、隣にすわっていた年配の男が、エイジに話しかける。
「なかなか聴かせるじゃないか。まだ、若いのに」
「オレなんか、まだまだですよ」
「いや、たいしたもんだ。昔、ここで歌ってたソウルシンガーを思い出したよ。まだ、若い娘なのに、ちゃんとハートがあってな…」
 その男は、しみじみした口調で言う。
「えっ!もしかして、その人……エミイって名前じゃなかったですか?」
 エイジの気迫に、その男はたじろぐ。
「あ、あー。たしか……、そんな名前だったかな……。黒人との混血娘で……」
 エイジは、運命のイタズラに驚いていた。
「何でもいい。教えてください。その人は…オレの死んだ母さんなんだ!」
  
 エイジは、店を飛び出していた。
 バイクにまたがったエイジの前に、玲子が立ちはだかる。
「待って! 明日のドームはどうなるの。せっかく、本当の心をつかんだのよ。ためしたくないの?」
 エイジは、ぐっと唇をかんで下を向く。
「……知りたいんだ。何かがつかめるかもしれない。神戸に行けば……」
「……わかったわ。私が行って、捜し出す。だから…エイジは……」
 玲子は、真剣な表情でエイジをみつめた。

 あの店の客は、こうエイジに話してくれたのだった。
 サマーデイズの元マスターが、神戸に移ったらしいと。同じ店名で店を出したと、遠い昔、案内が届いたそうで。たぶん、波止場の近くでクラブをやっているはずだと。
「玲子さん……。ありがとう」
 エイジは顔を上げる。
「その代わり、しっかりやってよ。きららちゃんが、ドームのどこかで、あなたのことを見ているのよ」
「あー。やるよ。今度こそ、本気で」
 エイジは、玲子をみつめて言い切った。

 
 『エイジ・RAVEin東京ドーム 』

 初日、きららはアリーナのセンター、最前列に座っていた。
 関係者以外、手に入れられない席だ。
 その日、差出人不明のチケットが、バイク便できららに届いた。
 きららは、直感していた。あの玲子が、くれたものだと。

    きっと、そうよ。あの女は、許してくれるんだ。
   わたしがエイジのファンでいることを。
   何万人の中の…ただひとつの想いなら……
   わたしは、エイジを愛してもいいんだ。
   そうでしょ……エイジ。
   なんて、遠く離れちゃったんだろう。
   わたしたち……こんな形でしか……
   みんなのものになった、あのバラード。
   あの誓いの言葉を……わたしは、ここで聴くのね。
   エイジ……がんばってね……。
   いいステージになりますように。

 きららは、静かに目を閉じて祈った。
 左手にあのポージーリングをして、胸元で指を組んで。 

 歓声が、ドームを包む。
 スタンドの一番上まで、ファンがあふれる。
 みんな、総立ちになってビートをきざむ。
 タイトルのRAVE(野外クラブパーティ)のように、そこはクラブさながらで。
 レーザー光線が、ドーム中をかけめぐる。
 6人の黒人ダンサーを従えて、エイジがコンビネーションダンスを見せる。

 ヘッドセットマイクをつけて、ステージ狭しとパワフルに歌う。踊る。
 エイジは、確かに今までとちがっていた。
 きららは、エイジから目が離せない。
 瞬きもおしいほど、みつめていた。
 ダンサブルなナンバーが続く。
 それが、サイコーに盛り上がった瞬間。
 ステージが、スパークする。強い光りに包まれて、真っ白に輝く。
 ドンと、暗転する。
 ステージは真っ暗になり、エイジの姿も消える。

 一瞬のブレイクが、アンコールの歓声にかき消された。
 きららは、じっと誰もいないステージをみつめて。そっと、席に座った。
 頬をつたう涙をぬぐうことすら、忘れて。
   エイジよ……これが、本当のエイジなんだわ。
   あのカラージュで見たときみたいに、いえ、それ以上よ。
   わたし、感電したみたいに、シビレッぱなしで。
   こんなにも、胸の奥が熱い。
   やっぱり、彼はすごい。
   狩野のオジサマは、正しかったんだわ。
   エイジは、この世界で生きるしか、ないのかもしれない。
   エイジは、アーティストなんだわ。
   他のものには、なれないのよ。


 ふっと、スポットライトが、ステージの中央を照らす。
 幾つものミラーボールが輝き出す。
 ドーム中の客席に、光の雪を降らせる。
 ブルーのライトが、ステージを、まるで海の底のようにする。
 あのバラードの前奏が流れる。
 『I'm on your side.』
 エイジがゆっくりと出てくる。静かに、心をこめて歌い始めた。
 エイジの歌は……。
 今までのどの曲よりも、きららの心をしめつけた。切なくさせた。
 歌いながら、ステージの先端に立つ。
 エイジを後方から照らすスポットライトが、きららの足元まで届く。
 きららもほのかな光りに包まれる。

   エイジ……。
   こんなにも、近くにいてくれるのに……。
   かけだせば、あなたに、触れられるのに……。
   ……やっぱり、寂しいの。
   今でも、こんなにも、あなたが好きだから……。
   でも、わたしの想い、伝わらない……。
   伝えられない……。


 きららは、左手をかかげて、薬指のリングをみつめた。
 ミラーボールの一粒の光があたって、キラリと輝く。
 エイジの歌が、フッと止む。
 きららが、見上げると、そこにエイジの瞳があった。
 瞳が重なる。
 きららの胸が、キュンとする。

   うそみたい。
   エイジ……わたしに、気付いてくれたの?
   あなたの瞳、あの頃のまま。
   優しく、激しく、あの夏の海に似ているわ。
   そして、波のように揺れてる。

 エ・イ・ジ……
 声にならないつぶやきを、きららは唇でなぞった。
 き・ら・ら……
 マイクなんかで拾えない、エイジのささやきが、伝わる。

「愛している」
 今度はマイクに、エイジはささやく。
 ドーム中に、女の子の歓声が響きわたる。
 エイジは再び、歌い始めた。
 きららは、あのエイジの腕の中にいた感触に、体中が包まれていた。
   エイジの歌って、不思議ね。
   こんなにも、わたしを暖かくしてくれる。
   まるで、魔法みたいに、わたしを幸せにしてくれる。
   ちょっぴり、切ないけど、ハートが満たされていく。


波間に消える愛のかけら


   東京ドーム、最終日。

 エイジはアンコールに応えて、楽屋に戻って来ていた。
 関係者がひとしきり、花束を持って訪れた後のことだった。
 エイジは、着替えをすませてひとりでいた。

 きららのパパが、楽屋のドアをノックする。
 エイジが、顔を出す。
    パパの顔を見るなり、スカッと晴れやかな表情が曇る。
「すばらしかったよ。今夜は。それだけが、言いたかった……」
 パパは力なく微笑して、エイジに花束を差し出した。
 エイジは無言でそれを受け取ると、バシッと、壁にたたきつけた。
「エイジ……」
「アンタって男は、つくづく人の気持ちがわからないらしーな。オレが…オレが、どんな思いでここまで来たと思うんだ。みんな、あんたの身勝手のせいだろーが」
 エイジは声を押し殺して、うめくように言う。

 きららのパパは、それでも、優しい瞳でエイジをみつめた。
「……すまないと思っている。おまえの力に、少しでもなりたいんだよ」
「今さら、父親面なんか下げるな。なぜ、母さんを捨てた。なぜ、一度も会いに来なかった。 母さんは、ずっと信じて待ってたんだぞ。あの店で、アンタを!」
「……本当にすまない。許してくれ。きららが生まれて……僕は……」
 パパがそう言いかけると、ダンと、エイジは壁をたたいた。

「汚ねーよ。……アイツの名前を口にするなんて……。オレをどこまで苦しめ 
  れば、アンタは気がすむんだ。頼むから、もう二度と、オレの前に現れな
  いでくれ!」
 バタン! エイジは、思いっきりドアを閉めた。
 そして、ドアに寄り掛かったまま、崩れるようにひざまずいた。

     なんで……あんな男が、父親なんだ。
   自分のことしか考えられない男が。
   たしかに……あの男の気持ちも、わからなくもない。
   オレに対して、愛情を持ってくれてることも感じられる。
   だが、オレはどうしても許せない。親としてじゃない。
          同じ男として……。
     あの自分本位の優しさが……。目の前のものしか愛せない、弱さが。
   女に守られなくちゃ、生きられない男だ。
   そんなヤツに、きららが守れる訳がない。
   きらら……今、どうしている……

 
 
 東京ドーム3DAYSは、無事終了した。
 エイジは、心地よい眠りの中にいた。
 ギンギンに上がったテンションを、クールダウンして。
 疲れとともに、すべて忘れて。
 何も知らずに、自分のベットで眠っていた。

 きららのパパがした軽はずみな行為が、こんなことになるとも、知らずに。

 ピンポーン 玲子が、エイジの部屋に入って来る。
 LDKを抜け、ベットルームのドアを開ける。
 作り付けのクローゼット以外、何もない殺風景な室内。
 グレーのリネンにくるまって、エイジがベットでまるまっていた。
「エイジ、おはよう!」
 まだ眠りこけているエイジに、玲子は元気よく声をかける。
 エイジは、薄目を開けて玲子を見た。カンペキに頭がモーローとしてる。
「……ん、玲子さん?」
「ドーム、サイコーだったみたいね。残念だわ。見れなくて……」
 玲子は微笑する。でも、表情がかたい。

 エイジは、ハッとした。
「どうだった!神戸はっ」
 ガバッと体を起こして、叫ぶ。
「これ……マスターの住所よ。それ以上は、時間がなくて…確かめられなかったわ」
 玲子は、努めて事務的にメモを渡した。
 エイジは、そんな玲子の態度を不思議に思った。
 何かがある。そんな気がした。
「サンキュー。助かったよ。なー、どうしたんだよ。さっきから。なぜ、オレの視線をさけるんだよ」 
 玲子はいたたまれず、瞳を中に泳がす。
「エイジ……ごめん。ごめんね。私が東京を離れたばっかりに」
「何だよ!何があったんだよ」
 言い知れぬ不安が、エイジを包んでいた。

 玲子は、バックからスポーツ紙を取り出し、エイジに差し出す。顔を背けたまま。
 それを開いたエイジの手が、ガクガクと震えた。
「ごめんなさい。押えられなかった。カンペキにスッパ抜かれたわ。すごいスクープですものね、彼らにとって」
 玲子は、心からすまなそうに、エイジをみつめた。
 エイジは、言葉を失ったまま……じっと、一面のカラー写真をみつめた。
 あの楽屋前で、きららのパパとエイジが映っている。

『エイジは、イラストレーター星野昴の私生児だった』
 そんな見出しが、デカデカと出ている。
『東京ドーム・コンサート3日間、満員御礼。海外アーティストにも、引けを取らない内容で…。このダンスブームの頂点に立つ……。』
 などのフォローの記事が、ごていねいに添えられている。

「まさか……狩野が……」
 エイジがうめくように言う。
「ちがうわ。彼じゃない。口では確かに、ああ言ってたけど。ただ、あなたの才能がおしかっただけなのよ。こんな成功を収めた今、そんな必要がどこにあるの」
 玲子は真剣に訴えた。
 狩野は、エイジと契約を結ぶため、ある脅しをかけたのだった。
 なんとしても、エイジのたぐいまれな才能を、世に出したかった。狩野は、プロデュサーとしての自分を、エイジにかけたかったのだ。
 だから、狩野はエイジをこの世界に入れるため、仕組んだ。ビジネスとして。
『きららが、君を兄だと知ったら……、どうなるだろーね。あの、純粋な子が…』
 と言って、脅したのだった。そしてエイジは、やむなく契約をした。
「じゃあ……だれが……」
 エイジは、玲子をみつめた。
「誰のせいでもないわ。みんな仕事としてやったことよ。それを知りたがる人がいる限り、ビジネスになるのよ。ここは、そういう世界。油断したら、誰かに足をすくわれるわ」
 そう言い切った玲子は、ひどく傷付いた顔をしていた。

 エイジも、思わず言葉をのんだ。
 華やかな光りには、それだけ暗い影が落ちる。成功とリスク。
   そこに、傷付く心があっても…しょうがないって、言うのか!
   良心をマヒさせなくちゃ、やってけない世界なのかよ!
   ! きららが……

 エイジは、ベットから跳び起きる。
 そばに脱ぎ捨ててあったグランドコートを、ひっつかんで出て行こうとする。
 玲子は、あわてて彼の腕をつかんだ。
「待って!エイジ。マンションの前は、取材人でごったがえしてるのよ」
「あいつが……あぶないんだ。行かせてくれ」

「星野家にも、マスコミが押しかけてるはずよ。みすみすキズを深くするつもりなの?きららちゃんなら、星野さんがいるから、大丈夫よ」
「……あの男には、そんな力はないよ」
 エイジは、玲子をふりきって飛び出して行った。

 エレベーターで地下駐車場に降りる。
 バイクに飛び乗ると、フルスロットルで飛び出した。
 マスコミが、その勢いに驚いて、バッと道を開ける。
 とりあえず脱出は成功した。
 エイジは、きららのいる瀬田へ向かって、国道246を突っ走った。
 渋滞を泳ぐように。 
 得たいの知れない胸騒ぎが、エイジを責めたてる。焦らせる。
 
 
 きららのマンション前。
 やはり、マスコミが群がっていた。バイクを降りたエイジを、目ざとくみつける。
 あっと言う間にエイジを取り囲んで、マイクを突きつける。カメラを回す。
 質問を機関銃のように浴びせる。
「あの西スポのスクープは、本当だったんですね」
「星野さんを、恨んでますか」
「事実を知ったのは、いつ頃ですか」
 エイジは、かたく口を閉じ、マンションのエントランスに向かう。
 エイジに引きずられるように、取材の人達もついて来る。
「今、星野さんは、どこにいるんですか」
 その最後の質問にだけ、エイジは反応した。
「あの男は、いないのか?」
 エイジはいらだたしく、そのレポーターに向かってたずねた。
「ここには、誰もいませんよ。星野さんが戻るのを待ってるんです。さっき、娘さんも飛び出して行かれましたから」

「なんだって!」
 エイジは、そのレポーターの首を、危うく、つかみあげそうになる。
 SHIT! 心の中で、舌打ちをする。
   きらら……どこへ行ったんだ。
   いやな予感がするぜ。
   こんなことになって、どんなに傷ついてるか……
   まったく、あの男は何をやってやがる。
   保身かよ……。
   娘の気持ちは、どうだっていいのか!

 エイジは、バイクに飛び乗る。ブルルンと、アクセルをふかして叫ぶ。
「ひかれたくなかったら、どいてくれ!」
 バイクを急発進させた。
 マスコミを振り切る。
 その時、低く垂れ込めたグレーの空から、雨が落ち始めた。
 ザーと、音をたてアスファルトをたたく。
 エイジはうつろに空をあおいだ。
 エイジの胸騒ぎは、今、ひとつの確信になろうとしていた。
 それは、あまりにも……悲しいもので……。
 エイジは、第三京浜を、ひた走った。

 
 そのころ……

 きららは、ひざまで海につかっていた。
 波がザパンと、冷たく、足を打つ。
 平日、しかも寒さが増す冬の入り口。
 降りしきる冷たい雨。
 遠く景色が、霞んで見える。
 すべての色を失ったように、そこはモノクロームの世界で。 
 あたりに、人影はなかった。
 雨に濡れながら、心はひとつのことを思い悩んで。
 そして、今、結論を出そうとしていた。
 一歩、また一歩と海の彼方をみつめて、きららは波間を歩いていた。
 体が芯から凍えて、ガタガタ震える。
 でも、心はマヒしていた。


 その時……

 今にも止まりそうなきららのハートが、大きく揺れた。 
 エイジの声が、空耳となって届いて。
   ふっ、そんなワケない。
   エイジなワケないじゃない。
   でも……うれしい。
   たとえまぼろしでも、エイジの……

「きららー、やめてくれ!」
 今度は、はっきりと聞こえた。
   うそっ なんでぇ…ここに……
 きららは、驚いて国道の方を振り返る。

 エイジがバイクをその場に乗り捨て、ガードレールを越える。
 砂浜まで、3Mほどの高さのある道路から、飛び降りる。
 ズサッと着地するなり、波をけって、きららのもとへ走ってくる。
 きららは、どうすることもできなくて、立ちすくんでいた。
 凍りついたハートが、震える。
 エイジは、振り向くきららを、背中越しに抱き締めた。
「あっ……」
 一瞬、きららは暖かいぬくもりに包まれる。
 すべての決心が崩れそうになる。
 きららは、心の中で首を振る。
   だめよ……こんなこと……
   エイジに、甘えちゃいけないわ。
   そんな資格、わたしにはない!

「離して!エイジ!
 わたしの存在が、あなたをずっと苦しめてたなんて……
 イヤよぉ……
 わたしひとり、何も知らずに……エイジを傷つけて。
 これからも、一生……。
 こんなわたし、いらないわ!」
 きららは、必死の想いで叫ぶ。エイジの腕の中であらがう。

「そうじゃない……。オマエがいたから、オレは救われたんだ」 
 エイジが、きららの耳元でつぶやく。暖かく、心の底から……。
 エイジの言葉が、きららの凍えた心をゆっくりと溶かしていく。
「まちがわないでくれ……頼む、きらら」
「……エイジ」
 きららは、全身でエイジの心を受け止めていた。感じていた。
 あのふたりで過ごした季節でさえ、こんなにもエイジを愛したことはなかった。
 引き裂かれた時の流れが……大きな運命の力が……きららの想いを変えていた。
   もう……わたし……
   エイジを残して、いけない。
   エイジがいなくなったら、生きていけない。
   気づいてしまったら……もう、後戻りはできないわ

 
 きららは振り向いて、エイジの瞳を探す。
 同じ瞳があった。同じ心が、そこにあった。
 エイジはぎこちなく、きららの頬を包む。
 その指先が、震える。
「きらら……。オレがコワクないか……。兄かもしれないのに……」
 きららは、はっきりとNOと首を振った。エイジの手の中で。
 きららは、もう……何もコワクなかった。
 エイジを失うことさえ、除けば。
 今は、血のつながりさえ…決して断つことのできない絆のようで。
 エイジをとても近くに感じる。
 フッ ひどく切なそうに、エイジは微笑む。
「オレたち、もう…離れられないな」
 エイジはためらいがちに、きららを抱き締めた。


運命のカギを探して 


 エイジときららは、神戸に来ていた。
 たったひとかけらの可能性を求めて。
 メリケンパーク。
 そこは、港が見える公園になっていて。
 石畳の上を、ふたり寄り添って歩く。
 もう、すっかり日も落ちて、かなり冷え込んで来ていた。 
 このあたりで、サマーデイズのマスターが、店をやっているはずだ。
 船着き場のそばに、小さなレンガ造りの建物があった。
 古めかしい木製の扉に、アンティークなプレートがついていた。
 『SUMMER DAYS』と書いてある。
 ふたりは、覚悟を決めるようにみつあった。
 エイジは小さくうなずくと、ドアを開けた。
 店内は、すべてアンティークの家具で統一されたレストランバーになっていた。
 古いソウルミュージックが、かかっていて。
 ふたりは、とりあえずカウンターにかける。
 エイジはバーテンに声をかけた。

 奥から、マスターが現れた。
 とても落ち着いた、渋い感じの紳士だった。
 年の頃は40代半ばで、細身で背が高い。
 ライトグレーのヘアを、オールバックにして、優しい微笑をうかべていた。
「オレ、葉山エイジと言います。お話しを少し伺えませんか」
 エイジは、ていねいにあいさつをした。
 マスターがそれを聞いて、ハッとする。
「……あの…エイジなのかい」
 目を大きく見開いて、エイジを見る。
「……あの小さかった…エイジか……。そう言えば、エミイの面影がある……」
 マスターは目を細めて、遠い記憶をたどるように優しくエイジをみつめた。
「オレを…、覚えてるんですか」
「ああ、もちろん。……よくおぶって、あやしたもんだよ。今……、どうしてるんだい。そのコは、彼女かい」
 マスターはきららを見て、深く微笑む。
「マスター。彼女はきららです。星野昴の娘さんなんだ」
 エイジは悲しいまなざしで、そう告げた。
 一瞬、マスターの表情がこわばる。
 エイジは、それを見て小さくタメイキをつく。
 そして、今までのいきさつを語った。

「そうだったのか……そんなことに……。
 なんて皮肉な、運命のめぐりあわせなんだ。
 ……つらい想いをしたんだね。二人とも……」
 マスターはタバコの煙を、心の重荷を吐くようにくゆらせた。
 エイジも、きららも、マスターの次の言葉を待っていた。
「……すまないが、エイジ。それは、私にもわからないんだよ」
 マスターは静かに目を伏せる。
 エイジも肩を落として、下を向いた。
「エミイだって、君の母さんだって……、わからなかったんじゃないのかい」
 その言葉に、エイジは顔を上げる。
「マスター、それって……」
 マスターは苦笑して見せる。
「わずかだけど……、私が君の父親だという可能性もあるんだ」
「!……」
 エイジも、きららも、突然の告白に絶句していた。
「こんないいかげんな大人たちのせいで、君は……。本当に、申し訳ない。恥ずかしい昔話をきかせよう」
 マスターは、話し始めた。
 
 エミイは、マスターの恋人だった。
 マスターに見守られて、店で歌っていた。
 そこへ、当時ギター少年だった昴が転がりこんだ。
 マスターとのことを承知で、昴はエミイにラブソングを贈った。かなわぬ想いをこめた、あの曲を。エミイも、心を動かされ…。
 若いふたりは、たちまち盲目の恋に落ちて、店を飛び出した。
 だが、生活なんかできる訳もなく。半年もたたないうちに、昴は親に連れもどされた。
 残されたエミイは、サマーデイズに戻るしかなかった。
 マスターはすべてを許して、暖かく迎えてやった。エミイはマスターの優しさにすがらなければ、生きていけなくて。
 やがて、エイジが生まれた。

 エイジの出生は、時期が微妙すぎた。
 ただ、エミイは、エイジを昴の忘れ形見だと、信じていたかった。
 昴への想いと、マスターへの罪の重さに、エミイは耐えられなくなった。
 酒におぼれ、体をこわして……。
 エミイが死んで、マスターは悲しみにくれ、横須賀を離れることにした。
 その時、 昴にエイジを会わせようとした。だか、きららを連れた昴を見て、何も告げずに去ったという。
 マスターは、話し終わると深く微笑んだ。
「昴も、エミイも、私も、みんな真剣に人を愛していたんだ。エイジ……、それだけはわかってくれないか」
 エイジは、切なそうにうなずいた。
「そうだ、君に渡したいものがある」
 マスターはそう言って、奥から写真立てを持って来た。
 それは、銀製のフレームのアンティークで。中に、マスターとエミイと、赤ちゃんのエイジが写っていた。
 きららは、のぞきこむ。
「きゃー、エイジ。かわいい」
「持っていくだろ。母さんがずっと大事にしてきた形見だ」
 エイジは、写真をじっとみつめ、静かに首を横にふった。
「いえ、マスターが持っててください。そのほうが、母さんも喜ぶ」
「また、顔を見せに来てくれるかい」
 マスターの言葉に、エイジは深くうなずいた。
  
 エイジたちは、店を後にした。
 港の夜景を見渡しながら、公園を歩く。空気が凍てつくように冷たい。
 ふたりは、無言で。それぞれの想いで、胸を満たして。
「ねえ、エイジ……」
 そう言ったきららの言葉が、白い息となって形をつくる。
「ん……」
 エイジが振り向く。
「もし、わたしが生まれなかったら、エイジは今頃…、 パパと……」
「きらら……。よそうぜ、過去に振り回されるのは。もう、誰も恨んじゃねーよ」
 エイジは、ふっきれた笑顔を見せる。
「うん、そうよね。……でも、あのオジサマの微笑むしぐさ、エイジに似てたわ」
「そうか……。オレも、なんか懐かしい気がしたな……。きららのオヤジに感じたもんとは、ちがってたぜ」
「ホント? だいたい、あの情けないパパの息子なんて、信じられないわよ。エイジの方が、ずっと大人なんだもん」
 きららはクルリと、エイジの前に立つ。
「ハハ……、オレたち、希望的観測ってヤツ、ばっかだな」
「うふふ……。そうね」
 微笑みあった瞳が重なる。
 フッと、楽しさが陰をひそめて……。
 切ないふたりの瞳がそこにあって……。
 エイジの顔がゆっくりと、きららに近づく。
 きららの頬に、ぎこちなく指先が触れる。
 きららは、緊張して体をかたくする。
 そっと、瞳を閉じる。
 フッ 一瞬、感じたエイジの唇の気配が消える。
 きららが目を開けると、 エイジはもどかしげに、遠い海の彼方をみつめていた。
「やっぱり、できない。真実は、神のみぞ知るか……」
「エイジ……」

「なにも知らずに……オマエを抱いてた頃がなつかしいな」
 エイジは優しいまなざしで、きららをみつめる。
 ボッと、思わずきららは赤くなってしまう。
    もう……エイジったら、なんつーことを。
   あーん。恥ずかしいよ。
   でも……あの、守られるぬくもりって……
   とても……もう…遠い日のできごとで……夢のようで……

 きららの体の中を、あの夏の陽射しが、潮風の香りが通り過ぎる。
 切なさが、心を満たす。
「わたしたち…どうなっちゃうの…かな」
 きららは、つぶやいていた。
 言葉にしてから、きららはしまったと思った。
 何か決定的なことを、口にしてしまったようで。ふたりにとって……。
 やっと今、心がひとつになったというのに。
 きららは不安をいっぱいにして、エイジをみつめた。
「……」
 エイジは無言で……。ずっと、遠くをみつめている。
   あ……どうしよう……まさか……
   わたし、もうイヤよ。エイジと離れ離れになるなんて。

「ロスにでも、行こうか……」
 エイジは、ポツリと言う。
「えっ?」
「誰も知らない街で、ふたりで暮らそう」
 今度エイジは、きららをみつめて、ハッキリと言った。 
「ほんと…に……。本当なの、エイジ……」
「あー。幸い、金だけは結構稼げたからな。当面は、なんとかなるだろ」
 きららは驚いていた。
 こんな発想が、エイジから飛び出すなんて。
 大体、エイジは見かけによらず、中身はオールドタイプのジャパニーズBOYで。
 だから、こんな過激で、前向きな答えが帰ってくるのが、信じられなかった。
「でも……せっかく……」
 きららは、そう言いかけて、あわてて言葉をのみこんだ。
 これ以上なんか言って、せっかくのエイジの決意に水をさすことになったら。
「……わかってるよ。音楽もDANCEも捨てない。オレたちの生活の糧だからな」
 エイジは、ニタリと不適に笑う。
「エイジ……」
「本場で試したい欲も出てきたんだ。どこまで通用するものか…。このオレが」
 エイジは熱い瞳で、そう語る。
 きららの胸も、ジンと熱くなってく。
   エイジ……なんて、大きくなったんだろ。
   自分への自信ね。
   ずるいよ。ひとりでそんなに、キラキラしてて……。
   わたし…、おいてかれちゃう

「きらら……」
 エイジはそう優しくつぶやくと、きららの肩を抱きよせた。それには、なんのためらいもなく、力強く。
「おまえがそばにいてくれるだけで、オレはパワーがわいてくるんだ。何だって、できそうな気がしてくる」
「エイジ……」
 きららは、エイジの胸に顔を押しあてる。
 ふたりは……。同じ瞳で、遠い水平線をみつめた。
 瞬く星と真っ暗な海のボーターライン。
   あの彼方に……、
   なにが待っているのかな……。
   でも……わたし、もう何もコワクない。
   エイジがいてくれるから。
   今は、それだけで……。
 


エピローグ


 数日後。サマーデイズで。

 バーテンは、カウンターの奥に置かれた、写真立てを見ていた。
「あの時の少年は、息子さんだったんですか」
 奥にいるマスターに話しかける。
「いや…、好きだった女の忘れ形見さ。さあ、店を閉めようか」
「そうですね」
 そう言ったバーテンは、振り向いたはずみに、写真立てを落とした。
 ガシャーン。ガラスが割れて、写真がフレームから外れる。
「す、すみません。大切なものを」
 バーテンはあわてて、それを拾いあげた。
 なんと、写真の裏に便箋が入っている。それをマスターに渡す。
「マスター、何か入ってますよ」
 マスターは不思議そうに、それを受け取る。
「まさか……こんなものが……」
 そうつぶやいて、ゆっくりとそれを開いた。
 オニオンスキンの白い便箋に、ブルーのインクで。エミイの書いたものだった。

『Dearエイジ
 あなたは、今、いくつかしら…。
 これをみつけてくれる頃、もうママはいないの。星になってるのよ。
 さびしい想いをさせて、ごめんなさい。
 悲しいときは、星を見上げてね。
 天国からいつもママは、あなたを見守ってるわ。
 それに、エイジは一人じゃないのよ。
 パパがいるの。
 あなたの本当のパパは、サマーデイズのマスターなの。
 ママはパパに真実を告げる勇気がなかった。
 パパに、とてもヒドイことを、してしまって。
 でも、心から愛していました。
 いつか、会いにいってください。
 元気でね……mamma』







いいなと思ったら応援しよう!