映画日誌’20-30:グレース・オブ・ゴッド 告発の時
trailer:
introduction:
『8人の女たち』『17歳』『2重螺旋の恋人』などで知られ、フランス映画界を牽引する映画監督フランソワ・オゾンが初めて事実を元にした社会派ドラマに挑み、フランス全土を震撼させた神父による児童への性的虐待事件「プレナ神父事件」を映画化。若き天才グザヴィエ・ドラン監督の『わたしはロランス』で存在感を示したメルヴィル・プポー、『ブラッディ・ミルク』でセザール賞を受賞したスワン・アルロー、ヴェネチア国際映画祭で監督賞を受賞した『ジュリアン』の父親役が印象深い実力派ドゥニ・メノーシェらが出演。ベルリン国際映画祭では銀熊賞に輝いたほか、リュミエール賞では最多の5部門にノミネート、セザール賞では7部門8ノミネートされ、スワン・アルローが助演男優賞を獲得した。(2019年 フランス)
story:
2014年、フランス。妻子とともにリヨンに暮らすアレクサンドルは、ボーイスカウトで一緒だった知人からプレナ神父について尋ねられ、少年時代に神父から繰り返された性的虐待の数々を思い出す。そのプレナ神父がいまだに子どもたちに聖書を教えていることを知った彼は、家族を守るため、バルバラン枢機卿に告発することを決意する。教会側は神父の罪を認めつつも、責任を巧みにかわそうとする。神父に処分が下される気配がないことに不信感を募らせたアレクサンドルはついに告訴状を提出し、警察の捜査が始まることになるが...
review:
フランソワ・オゾン監督作品のファンだが、観に行くかどうか少し迷った。きっと観る意義のある作品だと思うが、シリアスな社会的事件を題材に、淡々と静謐なタッチで描いてあるものは大抵、観る側の体力と気力が必要だ。ほら、延々と独白したり、分析解説しがちじゃないか。瞬発力はあるが集中力と持久力がない子なので、思考が別のところに飛んだり、意識が飛んだりするんだよ。しかも、オゾンが「これまでのスタイリッシュな映像と、挑発的かつ幻惑的な作風を封印」していると。これはハードルが高そうだと思いつつ、観ないで後悔するより観て後悔するべく、劇場へ足を運んだ。
ヨーロッパを震撼させた「プレナ神父事件」は、2016年1月に捜査が開始され、現在もフランスで裁判で係争中である。一人の勇気ある告発者に端を発し、80人以上もの被害者が名乗りをあげ、プレナ神父が教区を変えながら長年にわたって信者家庭の少年たちに性的暴力を働いていた事実が白日の下にさらされた。2020年3月の一審で、プレナに禁固刑5年が求刑されている。フランソワ・オゾンはこの事実をもとに、数十年経ってもなお虐待のトラウマに苦しむ男たちが告発するまでの葛藤、沈黙を破ったことによる代償、それでも未来を生きようとする彼らの姿と、それを支える家族の愛を映し出した。いわばフランス版『スポットライト』とも言える。
驚くべきことに告発された神父は、あっさり事実を認めて「病気だから仕方ない」と言い放つ。素直に認めるところが唯一いいところだ、という関係者のセリフには、思わず失笑した。聖職者に呼び出されることで「自分は選ばれた」と思ってしまう子どもたち。自らの信念の中核となるキリストの教えを司る神父が間違いを犯すはずがない、というバイアスで、身体に刻まれる性暴力が認知される。このあるまじきエラーによって、彼らの心と体は引き裂かれ、人生を破壊するほどのトラウマを残していく。「魂の殺人」と呼ばれる性暴力の恐ろしさ、それが神の権威のもとで行われることの罪深さ。そして、まるで手応えのない教会の隠蔽体質と無責任な態度が、淡々とした語り口で紡がれていく。
確かにいつものアクの強さはないが、これは確かにオゾン作品だった。2時間20分、終始緊張感を漂わせながらも無駄のない構成で、心に深い傷を負った被害者たちの闘いを緻密に描き上げていく。輪舞のように語り手が入れ替わり、物語がバトンされていく脚本が見事。過剰な演出、性的な映像表現は徹底的に排除されているにもかかわらず(しかも、オゾン作品にもかかわらず、だ)、これからおこなわれる神父の蛮行を匂わせる演出は、観る者に途方もない嫌悪感を抱かせ、感情移入させる。子ども時代の健やかであるべき日々を奪われた被害者たちの魂の慟哭が直に伝わってくるようで、心の奥深くを激しく揺さぶられた。さすがフランソワ・オゾンだ、としか言いようがない。傑作。
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