映画日誌’23-38:クライムズ・オブ・ザ・フューチャー
trailer:
introduction:
『クラッシュ』『ヒストリー・オブ・バイオレンス』などを手掛けた鬼才デビッド・クローネンバーグが、『グリーンブック』のヴィゴ・モーテンセンを主演に迎え、「⼈類の進化についての黙想」を描いた異色の近未来SFドラマ。『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』のレア・セドゥ、『スペンサー ダイアナの決意』のクリステン・スチュワートらが出演する。第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部⾨に出品された。(2022年 カナダ,ギリシャ)
story:
そう遠くない未来。人工的な環境に適応し進化した人類は、痛みの感覚を失う。そんな世界の中で一人痛みに苛まれながら、体内で新たな臓器が生み出される”加速進化症候群”という病気を抱えているソール。彼はアーティストとして、パートナーのカプリースとともに臓器にタトゥーを施して摘出するショーをおこない、大きな注目と人気を集めていた。一方、人類の誤った進化と暴走を監視する政府は“臓器登録所”を設立し、ソールに強い関心を寄せていた。
review:
80歳になった鬼才デヴィッド・クローネンバーグ監督の新作である。第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部⾨に出品されると退出者が続出し、賛否両論を巻き起こしたという。1975年、肛門から侵入し宿主を操る寄生生物の恐怖を描いた『シーバース/人喰い生物の島』で映画監督デビューしたクローネンバーグは、奇抜で過激なテーマを独創的な世界観で描き、人間が持つ本能的な暴力性や狂気を炙り出してきた。鬼才、異端、変態と呼ばれ、数々の受賞歴とともに物議を醸してきた巨匠だ。
2014年公開の『マップ・トゥ・ザ・スターズ』以来ファンが待ち望んできた本作は、彼が最も得意とする「肉体の変容による恐怖を描くボディ・ホラー」に原点回帰している。私とデヴィッド・クローネンバーグの出会いは1986年の『ザ・フライ』だ。1958年公開の『ハエ男の恐怖』をリメイクしたボディ・ホラーだが、これまで体験したことのないおぞましさと恐怖を植え付けられたのを子ども心に覚えている。改めて当時の予告編を見てみたら「とても、とても怖がってください」だと。
個人的に、近年の『危険なメソッド』や『マップ・トゥ・ザ・スターズ』が(あんまり記憶にないんだが)どうも消化不良だったらしい。観に行くかどうか正直ちょっと迷ったりしたものの、クローネンバーグ真骨頂と言われたら観に行くしかあるまい。クローネンバーグは1999年の時点でこの脚本を書いていたが、世に出すのに適切なタイミングだと確信できるまで20年間温めていたそうだ。世界中の人々が社会問題に強い関心を寄せるようになった今こそが、その時だったということだ。
蓋を開けてみたら、クローネンバーグの世界観がみっちりつまったディストピアSFであった。彼が描く極度に発達したテクノロジーは有機的な様相を帯び、グロテスクで退廃的で耽美。我々が思い描く機能美を極めた無機質な近未来とはほど遠く、睡眠や食事も不快なものがつきまとうなんて悪夢だが、テクノロジーは不快を少しだけマシなものにするし、人間はディストピアなりに悦びや快楽を見出していく。人間が痛みを感じなくなった世界では、痛みは生きている実感を得るための欲望の対象なり、アートにもなりうるのだ。
プラスチックに汚染された世界でもし、人間がプラスチックを食用できるよう進化したら。しかしプラスチックを食べる息子を怪物と呼び、自らの手で息の根を止めた母親がそうであったように、同時に「それは人間なのか?」という問いを孕んでいる。変化していく環境に適応すべく自らの肉体を進化させようとする新人類と、進化を拒む旧人類との闘いは、何が間違っていて何が正しいことなのか、誰が正義なのか最後までわからない。すでにマイクロプラスチックが蓄積されてしまった身体で、老いによる肉体の変容に怯えながら、まだ見ぬ「未来の犯罪」に思いを馳せる。