
【社寺003】圓教寺
姫路駅からバスで約30分。
さらにロープウェイを乗り継ぎ、さらに20ほど山道をのぼったところにその寺院はある。

書寫山圓教寺。
天台宗の寺院である。
平安時代、性空により開山され、西国三十三所のなかで最大規模の寺院である。
私がこの寺院を訪ねたのは今年の9月、実に8年ぶりだった。
8年ぶりにここにやってきたのは、圓教寺の三大特別公開を拝観するためである。
三大特別公開とは、①大講堂(釈迦三尊・四天王像)特別参拝内陣拝観、②摩尼伝奥秘仏如意輪観音像御開帳、③チームラボ展「認知上の存在」である。
*①・②はすでに終了し、③も12月3日までの公開である。*
きっかけは、SNSでたまたまこの情報に出会い、②が今後いつ公開されるかわからないとのことだし、同所は8年前に行ったことがあるだけだったので、これも何かの「ご縁」ということで日曜日の休みに当地へ向かった。
②の奥秘仏は、開山の性空が桜の霊木に生木のまま彫った如意輪観音像(摩尼殿本尊、すでに焼失)と同木の如意輪観音像であり、2006年に「発見」された。今回は新住職晋山(新たな住職が寺に入ること)記念で初の特別公開とのことである。
奥秘仏はガラスケースに護られ、拝観者たちを見守っていた。
如意輪観音像では観心寺のものが有名だが、観心寺のものと比べても小ぶりで、かつ細身であった。
圓教寺は「ご自身の目で見えるものは自由にお撮りください」としており、個人の写真撮影を認めているが、なんと本像の撮影も可であった。
私も撮影はしたが、ガラスケースの反射でうまく姿をとらえることができず、撮影は断念し、この目にしっかりと焼き付けることとした。
見る者を惹きこむ洗練された姿をした如意輪観音像は、おそらく1000年以上も「そう」であったことを納得させる、何かがあった。
続いて大講堂へ向かい、①を拝観した。

大正期の摩尼殿の火災(先述の奥秘仏のみ被災を逃れる)で焼失した四天王像に代わり、大講堂にあった四天王像(1000年以上まえにつくられたもの)が摩尼殿へ遷されていたが、今回それが90年振りに大講堂へ戻されることになったものである。
摩尼殿の火災が1921年、その後、再建が1933年とのことだが、四天王像の新造は資金不足のために叶わなかったとの事情がある。
前後する形でいわゆる〈十五年戦争〉期に突入し、またこれに伴い、寄付されたばかりの法具も供出させられ四天王像新造どころではなかったとのことだ。
〈歴史〉が入れ子のように、重なっている。
〈歴史〉のなかに、〈歴史〉があるのだ。
今後、摩尼殿に四天王像が新造されれば、それも〈歴史〉の入れ子の一つとなろう。
〈いま〉は恒に、〈歴史〉の一部である。
当たり前すぎる、当たり前である。
