あなたのことを、つれづれに No.4
No.4 沓名先生
市街地から南に下り鴨川にかかる橋のたもとを少し歩いた路地の狭間に東洋医学の学校がある。沓名先生は当時その学校の教員で、私は東洋医学の一科目を教わった。私はマッサージ師の課程を専攻して先生は鍼灸師だったので、実技の講義はなく先生と関わる機会は本来少なかったはずだ。それにもかかわらず先生の顔をよくお見かけしたのは、いつも練習時間になると根気強く(辛抱強く?)学生たちの練習台になってくれたからだろう。
先生の輪郭を思い描こうとすると、とある漫画のゆるくてかわいい菌のキャラクターたちが線を重ねる。菌や発酵にまつわる話が展開されるその漫画は当時学校の一部で流行っていた。最新刊の発売日に登校して廊下で先生と顔を合わせると、朝一番にゲットしたという特典絵本を見せてくれた。先生の手にいつもの重厚な学術書ではなく色彩豊かなゆるいキャラクターがおさまっているのが印象深く、それから私はどんな東洋医学の専門書よりも真っ先に『もやしもん』を見ると先生の顔が浮かぶようになった。
最終学年を迎えた年、十代の頃に発症したアトピーが再発して顔にも症状が現れたので私は憂鬱だった。ステロイド剤の使用は昔経験したリバウンドの怖さから控えていて、にっちもさっちもいかず途方に暮れていた。そんなとき沓名先生が手渡してくれたのが、漢方の軟膏だった。その軟膏は「当帰膏」という、ごま油と生薬の当帰、蜜蝋から作られた先生(正確には先生の先生が古典籍研究により調合を復元した)お手製の軟膏だった。
軟膏はステロイドと違い即効性はないもののアトピーの症状は緩やかに治まった。当時学校では多くの先生たちが心配して声をかけてくれた。どの先生方にも心から感謝しているが、沓名先生は「教員」の立場からではなく「医療従事者」として、私を「学生」ではなくたまたま学校という場で出会った一人の「患者」として扱ってくれた。患者にとって、希望が0であることと1あることとは全く違う。ステロイド剤を除外した時なんの治療法も見出せなかった暗闇に沓名先生は一つの光を与えてくれた。
今は症状に合わせてステロイド剤と非ステロイド剤とを併用しているが「もしもの時は当帰膏がある」と思うだけで随分と心が軽くなる。沓名先生から学んだものを振り返るとき、東洋医学の知識のみならず当帰膏を通じて「医療従事者とは常に医療従事者であるのだ」とその在り方を見せてくれたことを思い出す。
時を戻して鴨川の両岸が桃色の絨毯に覆われる頃、授業初日のアンケートで先生から「東洋医学をどんな風に学びたいか」と問われた時、私は「一生学びたい」と答えたことを忘れてはいない。今では現場から離れすっかり不肖の教え子となってしまったが、学んだことはこの先なにかの形で他者に還元したいと考えているのでどうかご容赦願いたい。
(2021.5.1 左京ゆり)
※この記事は自分のWebサイトからnoteに転載したものです。記載内容は2021年時点のものとなります。