母は、"少女"であった

少しだけ思い出したことを忘れないように書き記す。




私の母は"母"としての面はあまりない。それよりもずっと"女"であった。


或いは、未だ幼い部分が残る"少女"かもしれない。

40代半ばの女性に対して少女と記すのは少々おかしいかもしれないが、私から見たら母は"女"であり"少女"である。

私がなりたいと思う理想の母親像が所謂「母性神話」と呼ばれているようなものである部分に強く影響を与えたように感じている。

母は基本的に発言や思考に年齢とは不相応の幼さがある。

・苦言を呈したところで自分の言動に反省をしない。それどころか「全てお前が悪い」と言う責任転嫁をする

・意地を張るような、見栄を張るような発言も多い
「片親だからどうのこうのと言われたくない」→だから子供を放置してでも働く、子供達がどう思うかは度外視

・途切れることの無い男性関係、伯父〜祖父母くらいの年齢の男性が多かった
母の依存気質なところ、「父性を求めている」ところが強く出ていると思う


これだけ連ねたら結構やべぇ奴だなって思う。前に話をしていた時、軽く「私らも祖父母に放置されて育ったから向き合い方が分からない」と零していたことがあった。恐らくそこに原因があると私は推測する。

祖父は体が弱く、働けば人よりは稼げるが働くことが困難な体質だった。


私達が一緒に暮らしていた時も祖父はずっと家にいることが多かった。
その代わりに家計を支えていたのが祖母や伯父達兄妹は。中学くらいで母達も飲み屋で働いていたとか何とか。まだ規制が緩かった時期だったとかで働いて稼いでいたそうな。
30年くらい前だとそんなもんなのかなーと考えていたけれど、そもそもの元凶祖父母では?産めや増やせやの世代だからか?とか考えても詮無きことではある。
それに同じように育った叔母達は、ヒステリーのような状態は起こすことあったけど「わからないからやらない」という選択は取ってない。何ならただの姪っ子……もしかしたら妹のように思われてるかもしれないが、私の悩みにもちゃんと向き合ってくれるし客観的な意見も言ってくる。
「『やられなかったからわからない』じゃなくて『してほしかったと思うことをする』ものじゃない?もちろん、子供に押し付けるのではなく気持ちを尊重しながら。私褒められたことないけど褒めまくるし」と叔母が言ってたのが頭に残っている。確かに叔母は私のことも「頑張ってる」とか認めてくれて、「何でママは桜弥がそんな状態なのに何もしないの?」と怒ったり、父親に犯された話をしたらボロボロ泣き出したり、自分のことのように感情を表してくれる。
叔母の方が自分の過去とちゃんと向き合いながら子供育ててるじゃん……!?とビックリしたのをよく覚えてる。

しかしまぁ、過去と向き合って飲み込むのは難しい。私も直面してるのでよくわかる。
立ち直れないほど深い傷を負っているのだろうし、私はそれに対してとやかく言わない。
人によってペースも順序も違うしねその辺。

ただ、言われて悲しかったことを思い出すと、それは私自身が母を思ってやったことを否定された時だったなぁと強く感じる。

以前軽く書いた、私の目の前で母が刺された時、

(この記事で少しだけ触れてます)

その後、私は母と伯父が電話しているところに突撃して電話口で「ママが殺される!」と泣き喚いたせいで「実家に帰って来い」と命令されたそうだ。『一番上の伯父が言うことは絶対』のお家なので、まぁ当然と言えば当然だわな。
中学生くらいの時にママが誰かと電話しながら、「桜弥が兄に言わなければ私はあの人と一緒にいた」と泣きながら言ってた。
その時、私は自分が何を考えてたかも忘れるくらいショックだった。目の前で刺されて混乱と恐怖に苛まれて伯父に縋った私を悪しきように言うのか。私が傷付いたとは思わなかったのか。そしてそのSOSを聞いてただごとじゃないと帰還命令をを下した伯父が悪いとでも言いたいのか。私が余計なことしなければ良かったのか。未就学児の私は殺されそうになっているたった1人の母を見殺しにすれば良かったのか。この前言っていた「桜弥も殺されると思ったから」は嘘だったのか。
そんな思考の渦に巻き込まれた。
当時母は買い物に行く際
・帰宅時間
・何を買いに行くか
・どこに行くか
を報告させられ少しでも遅れたら電話がかかってくるような過度な束縛を受けても暴力を受けても逃げなかった。
今では私も色んな経験をして、被虐待児が起こりやすい依存、「この人しか私を愛してくれない」「こんなに私を必要としてくれている」と思っていたのかもしれないなと考えられる。
その気持ちが少し理解できるのと同時に、父親に犯された後言われた、「義父も『桜弥の処女もらっていい?』って言ってた」「どっちにしても桜弥の処女は奪われてたかもしれない」という報告を聞いた時、こいつは馬鹿かな?と思ったのも事実。
大事に思ってたら、わわざわざ傷を抉ることは言わない。
大事に思ってたら、その対象に責任転嫁しない。

大人になって、自分の意思と無関係なんてことはない。だって自分で選べるのに言いなりになる選択をしたのは自分でしょう。諦めた方が早いと自己完結して、誰に助けを求めるでもなくあの場に留まれば母が死んで「血の繋がらない娘だけが手元に残る」とかいう取り返しの付かないことになる可能性だって高かったし。私が"女"の役割させられる可能性だってあった。その場合、今大事に思ってる友達や恋人と出会うこともなかった。
無理無理きっつい死んだ方がマシ。

そう考ると嗚呼やはり母は"少女"なのだと頷いてしまう。
良くも悪くも、歪んだ愛を向けられていても言いなりになることでしか愛を確かめれない。働いていた時代からずっと金銭的・精神的に依存することで誰かを必要とする理由を作り、体で必要とされる理由を作る。
悪しきものに縋り付くことで失う何かには目もくれず、ただただ自分の安心の為に取り零した全てを直視しないように目を背けたまま捨てて行く。

そうすることでしか、彼女は生きられない。
私と同じ、無垢で純粋なまま、周りの影響を受けて壊され歪んでしまった"少女"なのだと、そう思わざるを得ないのだ。

だからこそ、私は母からの教えを取り零さないようにここに記す。


・暴力・暴言・余計な一言は全て攻撃である。
・目の前で親が攻撃される様子を見るのは子供にとって多大な影響を及ぼす。

・暴力が愛情だと勘違いしたまま認知の歪みが修正出来ない。

・子供に配偶者の愚痴を聞かせるな。子供の心も情緒も壊れるぞ。どっちを信じればいいかも分からないし親への不信感に繋がる。そしてその子が親になった時に同じことを繰り返す。なるべくやらない方がいい。

・攻撃してくる配偶者に関して「でもいい人だから」と言うな。子を同じ目に遭わせたくないのなら今すぐやめてくれ、頼む。洗脳と同じだからなそれ。

・「子供の為だから」とか「子供のせいで」とか「子供がいなければ」の類の言葉は絶対子供本人に聞かせるな。子供が聞こえる場所で口にするな。
ある程度分別がつく年齢になったら「私のせいで逃げられないんだ」と自分を追い詰めてしまう。必要とされてない、愛されてないと思春期に思い込んだら本当に自殺する可能性高いから危険極まりない行為。

・親子の距離感にもよるとは思うが、「今体調しんどいからこれやって」とか簡潔に状況説明した上で手助けを求める方が子供側の立場としては押し付けられた感がないので助かる。

・感謝と謝罪は忘れない。言わなければ「こっちがやって当たり前だと思ってる」、「間違ってるのはそっちなのに」と考えられてもおかしくない。普通に失望されるしその瞬間は激情に飲まれてて難しくても冷静になった時にちゃんと伝える努力をしなければ人として尊敬できないと思われて将来的に親側の得が何一つない。些細なことだけどめちゃくちゃ大事。


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