黒須家 神様としてお仕事をしている一家で、当主が行き場のない子を拾って帰ってくるので種族に統一感がない。 りきや 力也 黒須家の当主であり、父である。 人間体では身長185cmほど。 本来の姿は大きな猫。3000m近くある。滅多に本来の姿は見れない。 過去に飢饉の中自分を大切にしてくれた飼い主を人間に殺され、その血を啜り猫又となった。 飼い主を殺した者が繁栄したことで復讐心に火が付き一家を惨殺したものの、得たものは虚無と虚構の畏れだけだった。 厄災を司る神と
伯母と話して、私に対して親族全員が激甘な理由に気付いたかもしれないと気付いたので備忘録。 感情ぐちゃぐちゃなので乱文かもしれない。 伯母から聞いた話 ・母が私に対して理不尽な扱いをしているのは今に始まったことではない。 ・幼少期からずっと母は私をネグレクトしてご飯を与えることもなかった。 ・それ故に伯母が何かしら買って食べさせると逆ギレしてくる人だった。 ・咎めればどんどん扱いが酷くなっていく。そんな私を見て、何も出来なくなっていった。 ・桜弥が熱をよく出す子供だったのに
良い節目なのでまとめようと思う。 これまでの自分はただのパフォーマンスや言い聞かせる為の言葉を使用していた。 決して全てが嘘というわけではないが、全てが本心だとも断言できないような上澄みを耳触り良く言葉にする癖があった。 それこそ、Twitterやnoteでは全てをさらけ出しているつもりだが、もしかしたら隠し通したい本音もあったかもしれないと私は思う。 母の誕生日に「ママの子供で良かった」「産んでくれてありがとう」と伝えたのも 「生きてて良かった」などと思ってもいない言葉
少しだけ思い出したことを忘れないように書き記す。 私の母は"母"としての面はあまりない。それよりもずっと"女"であった。 或いは、未だ幼い部分が残る"少女"かもしれない。 40代半ばの女性に対して少女と記すのは少々おかしいかもしれないが、私から見たら母は"女"であり"少女"である。 私がなりたいと思う理想の母親像が所謂「母性神話」と呼ばれているようなものである部分に強く影響を与えたように感じている。 母は基本的に発言や思考に年齢とは不相応の幼さがある。 ・苦言を呈
これまで割と重苦しい事案ばかり語ってきた。 そうしないと中々自分の中での心の整理が付かずやりたいことに気付けない危険と、確実に私は口よりも文の方が素直に語れる気がしたからだ。 しかし、今回もまた重苦しい内だと思う。 乱文、誤字脱字があったり、感情的になっているかもしれない。独白のようなものだと思ってくれたらいいなと思う。 まず、そもそも私は夢を諦めることに慣れてしまった。 小学生の頃から高校に入るまで、声優がやりたいと強く感じていた。憧れもあったし、自分のような生い立ちで
定期的に話題にはしているが、私は男性に襲われる事案がしばしばあった。 下心が見えると途端にその男性に触れられた場所が酷く汚く見えて掻きむしって血を出して『他人と同じだ』と安心したくなる瞬間が多くある。不慮の事故のような少し指先が触れた程度でも怖気立ち、泣き喚きたくなる衝動に駆られるのだ。 一種の自傷行為ではあるし、褒められた行為ではないと思ってる。でもその思考が一概に悪いものだとも私は思えない。 ある意味一種の防衛本能なのだろうと自分では分析している。異性に触れられたその事
「キモ」どシンプル悪口〜〜〜〜!!!!!! 新しいカチューシャ買ってもらってルンルンで付けて行ったらこれだよ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!ランドセルに即封印したよね〜〜〜〜!!!!!!!!! そこに追い打ちをかけるように友人が「付けないなら持ってきた意味なくない?」とか言ってきたのも腹立った〜〜〜〜〜〜!!!!!!お前私がキモいって言われた瞬間真横におったろがい!!!!!!!!! 「仮病だろ。湿布貼って痛いですって言ってりゃいいんだもんな」 「松葉杖はアクセサリーじゃねぇぞ」事
少なくとも、「私の親」と「私自身」に当てはまるであろうことをまとめておく。 そして私自身がいずれ子を育てることになった時、見返す為の「記録」である。 私がめいっぱいやってる自分との向き合い方も載せとく。参考になったらいいな。 親が「放任主義」だった放任主義といえば聞こえは良いことだろう。 その実、「ネグレクト」と大差のない状態になっていることがしばしばあるような気もするのだ。 「子に関心を向けない」(向ける余裕がない) 「会話がない」 そういった行為は割と子供も察している
注釈が長くなってしまった。Twitterのフォロワーは把握しているかもしれないが、私は今もまだ、親から受けた呪いに苦しんでいる部分が多くある。 正直に言うと、他人に向けて発言をする際、誤解のないように必死に「石橋を叩く」行為をしないと私は自分の意見を述べることができない。 それもまた、親から受けた呪いのせいだと私は思う。親の発言は全て自分にとって重く、暗く、世界の全てだった。だからこそ、この自分の親を否定する気持ちを人に「見せる」のが、余りにも怖い。 そして私は、複雑な