虐待の連鎖とは

少なくとも、「私の親」と「私自身」に当てはまるであろうことをまとめておく。
そして私自身がいずれ子を育てることになった時、見返す為の「記録」である。

私がめいっぱいやってる自分との向き合い方も載せとく。参考になったらいいな。

親が「放任主義」だった

放任主義といえば聞こえは良いことだろう。
その実、「ネグレクト」と大差のない状態になっていることがしばしばあるような気もするのだ。
「子に関心を向けない」(向ける余裕がない)
「会話がない」
そういった行為は割と子供も察している。
その後の大きな禍根となるものでもある。



親の精神年齢が幼すぎる

上の子が妹弟の面倒を常に見る状態にも陥りやすいものだと思っている。

私の母は何かと感情的になりやすいタイプのアダルトチルドレンだった。
私の言動1つ、挙動1つ、失敗1つ、あらゆる全てに怒鳴り、殴り、「女の子(姉)はこうあるべき」を押し付けてきた。
代わりに私は感情を殺し、息を潜めて本心を偽り、誰にも言えずに黙って静かに1人で泣くようになった。

ネットでは吐けるし泣いてても怒ってても誰にも否定されないから最近はそうでもないけどね。

愛情表現を知らない

簡単なところ、「愛情表現を知らない」が1番大きいのではないかな。


被虐待児は虐待しやすい傾向にあるって言われるけど、

じゃあ被虐待児だった人に正しい表現方法を教えた人はいるのかな?って疑問。

子供が親に対して無償の愛を向けるってのはよく言われてるし、親から受けた暴力を愛情表現と「誤認」したままなら虐待の連鎖は続くんじゃないかなって、最近は思う。

だって親から向けられる唯一のスキンシップが暴力や暴言だったら、

暴力=愛情


だと誤認してもおかしくないでしょう?
本当は抱き締めて撫でて、「頑張ったね」「大丈夫だよ」「大好きだよ」って伝えるべきところで、伝えてもらえなかったんだから。
教えられてないことはできないのが普通だと思うの。


私が親と精神的に「決別」した時

本当は分かってほしかったし、謝ってほしい気持ちもあった。
嫌なことしたのそっちじゃんって文句言ったら開き直る母さんは、「人間」じゃないんだと思った。
私を、「人間」として見てくれていたなら、家事をして、弟妹の育児をして、ボロボロの母さんの介護をして、そんな中で1つでも感謝してくれたはず。
「言われなきゃ、分からないこと」を「言わなくてもわかるだろう」なんて態度を取られて、私は無理だな、分かり合えないなって思った。

だから、私は人間しか大事にしないことにした。

私を大切にしてくれる人、一緒に将来を考えてくれる人、フォロワーがかけてくれる「えらい」「頑張ってるね」「無理しないで」を大切にしてる。

嫌なことしてくる人は何度か文句を言って改善されなければ諦める。心を離れさせる。

そういう切り替えを上手く使って、今を生きてる。


でも、もしね、今正に過去のことで苦しんでる貴方がいたら、貴方が自分に向けてもいいんだよ。

「苦しかったね」「辛かったね」「痛かったね」

そう言って、自分をぎゅうっと抱き締めて、頭を撫でて、いっぱいいっぱい、嫌な気持ちも、苦しかった思いも、吐き出したかった悲しみも、嫉妬や怨恨も、容認していいんだよ。

だって私みたいに怨恨の塊で生きてるような奴が生きて笑ってんだもん。幸せになろうや。

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