覚えていない記憶に触れる
伯母と話して、私に対して親族全員が激甘な理由に気付いたかもしれないと気付いたので備忘録。
感情ぐちゃぐちゃなので乱文かもしれない。
伯母から聞いた話
・母が私に対して理不尽な扱いをしているのは今に始まったことではない。
・幼少期からずっと母は私をネグレクトしてご飯を与えることもなかった。
・それ故に伯母が何かしら買って食べさせると逆ギレしてくる人だった。
・咎めればどんどん扱いが酷くなっていく。そんな私を見て、何も出来なくなっていった。
・桜弥が熱をよく出す子供だったのに、保険証は持ち歩くし全く帰って来ない。
・義父と共に暮らすと決まった時、伯母が駅まで送ったが、私は「伯母も一緒に来て」と縋ったらしい。
・そして義父の元へ行った後、「桜弥だけベランダで食事している」等の差別を受けていた。
・それを聞いて、「あの時私が送ったりしなければ」と後悔したりもした。
・桜弥が私達に迷惑をかけているんじゃない。桜弥の名を利用して母親が私達に迷惑をかけているんだ。
私の傾向
私自身ご飯を与えてくれる人に懐きやすい自覚がある。
伯母に対しては意地を張らず涙を我慢することも無く、素直に話が出来る。
ご飯を食べるという行為は怖いし嫌い。
一人で食べるご飯はすごく寂しくて虚しくて苦しい。人と関わる中で、「一人でご飯を食べるのは虚しいもの」と理解していたからきっと誰もが思うことなのだと思ってたし、理由を考えるにもピースが足りないので放置してた。
それを踏まえた考察
伯母の話を聞いて、覚えてないだけで無意識の内にその「小さい頃にベランダで一人で食べていた」記憶がぶり返しそうになるから一人でご飯を食べるのが怖いんじゃないか?
食べ尽くし系とまでは行かずとも、「食べられる時に食べなければいけない」義務感は、理不尽に奪われるからじゃないか?
食事が嫌いな理由に「母からの虐待」があったとしても、幾らなんでも一人を怖がる理由はないだろうと思っていたところにこの事実を嵌め込んだら何だか腑に落ちた。
優しくされるのが怖いのも、暴力に安心してしまうのも、義父が怖くて嫌いで死ねばいいと本気で思うくらい恨んでいるのも、全部、「覚えてない記憶」に必要なピースがあるのかもしれないとも思った。
そりゃそうだよね、誰かが私に優しくしたら「母が怒る」んだから。優しくされるの怖くて仕方ないよね。
暴力に安心するのは「唯一の母との触れ合い」だったからだよね。
義父が怖くて嫌いなのも当然だよね、そんな理不尽な扱いを受けてたんだから。
けど、「忘れていた方がいい記憶」なのもわかる。「実子の弟妹と同じように扱ってくれた義父」の幻想が全て壊れる。
いいんだけどさ。今更期待はしてないけど幻想の父親に縋ってたっていいじゃん、と開き直ってるところがある。
伯母がそんなに私を気にかけてくれる理由は何なのかわからないけど、きっと伯母と私は似てるんだって思った。
責任感が強いから一人で頑張ってしまう人。
一緒に苦しんで、一緒に泣いて、一緒に悩んで、それでも「救う方法がないか」と模索する人。
甘やかすつもりでやってるのではなく、完璧主義だから粗を気にしてつつきたくなってしまうし、それで相手のやる気を削ぐことを理解してるから人に任せるってことが出来ない人。
伯母は母より母親の役割をしてくれてたから私が似たのかもしれないね。
母が言ってた、「伯母と伯父が一緒にいる時、桜弥は1番安心した顔をする」という意味が理解出来た。
小さい時からずっと、私が苦しんでる時必ずそばにいてくれるのは伯父と伯母だったんだろうね。
母のように脅しかけたり、傷を抉るような言葉を使わない。
ただ静かに聞きながら私を救おうと模索してくれる人。
私の為に泣いて、私の為に怒って、私の為に叱って、絶対暴力に訴えず、私の為に思考のリソースやお金を割いてくれる愛情深い2人だから、私はあの二人を信頼してるのだと思う。
親族にしてもらっていたこと
伯母は褒めてくれる。撫でてくれる。抱きしめてくれる。
伯父は言葉は少なくても感情の起伏が全然なくても、私に向けて発する声はいつも優しい。
祖父は私の顔を見ればとっても嬉しそうに笑ってくれる。インフルにかかった時、弟には何もしなかったけど私にはお粥を作ってくれた。
祖母は私が食べたがっているものを作ってくれる。
私が知らないだけで、私が母から理不尽な扱いをされているのを一番見てきたのが親族なんだから、そりゃ贔屓もするよなって思う。
言葉を選ばずに言えば、甘やかされているのではなく「理不尽との帳尻合わせ」なのかもしれない。
皆、言わないだけで「桜弥をどうにか救えないか」とずっと試行錯誤していたのかもしれない。
高校生の従弟も、常日頃から沢山心配してくれているし、なんなら「伯父にちゃんと相談しようよ」って提案してくれてるし、「一人で耐えるのは違う」と言ってくれた。
そう考えたら、母の行動のせいで私が「迷惑をかけている」「心配をかけている」「甘やかされている」と一人で耐えようとするのはお門違いなのかもしれないとちょっと思った。
さらに、話している最中伯母の目を見れていた。
伯父も従弟も祖父母に対しても、目を合わせるのは怖くない。
けど、伯母が「母の目に黄疸がでてた時期があったじゃん?最近どうなの?」みたいな話をしてきた時、母の目はここ数年見てないかもしれないと気付いた。
そして、目を合わせるのが苦ではない人は「信じている人」だけであることにも。
不思議だなと思う反面、「そりゃ信用出来ない人間と目を合わせるのは怖いに決まってんだよな」と納得した。
少なくとも私は「母との信頼関係がない」と認識しているようだった。
助けてくれようと奮闘したのは伯母だ。
言葉が少なくとも心配していることを態度と声音で伝えてくれるのは伯父だ。
私への理不尽に憤慨してくれるのは叔母だ。
私が泣くほど苦しんでいる時に共に泣いてくれるのは、伯母と叔母だ。
私が傷付けられた時に怒りを顕にしてくれるのは伯父だ。
傷を抉ることは絶対にしないし、母のように脅しかける形で行動を制限しようともしない。
ただただ、「心配している」と伝えてくれるのが私の親族だ。
私の母への評価
母は有り体に言えば「人を頼ることを厭わない」人だ。
けれど、私は母のその行動で思い悩むことばかりだったように感じる。
親族に頼る時に都合良く名を使われることも、お金を貸してほしいと交渉する際に私が出向くことも、利用されてるようにしか思えなかった。
けれど、助けてもらう為に形振構わないところは嫌いではなかったはずだった。利用されることに嫌悪はしても、すごいなと思っていた。
「あの人は助けてと言える人なのだ」
それが、なけなしの愛情故に良いように捉えようと努力していただけだという認識に変わったのは
「伯父がいないなら従弟に金を借りてこい」という言葉だった。
母の行動は言い換えれば「プライドも恥も外聞もなく縋る他力本願な行為」だった。
母から見たら高校生の甥に金を借りる。
それがどれだけ己の心象を悪くするか、全く何も考えていないのだ。
目先のことしか考えてない。考えられない。
ただでさえプライドのない愚者かもしれないと思っていた母への認識が確信に変わってしまった。
私の持つプライド
余談ではあるが、私は余程辛い時にしか話を聞いてもらわないと決めている。
「助けてほしい」と言った時、助けてもらえない絶望を知っている。
だから本当に本当に耐えられない時、相手に何か出来ることがある時にしか「助けて」と言わない。
きっとそのせいでヤキモキさせるところもあるだろうが、それは私の持っている「お姉ちゃん」としてのプライドを捨てることになるのだと。
人としての何かを失うと思っている。
ずっと親族に心配をかけて、迷惑をかけているという認識がある分、軽率な「助けて」は身を滅ぼすことを知っている。
期待してその通りに動かれることで自責の念を抱きたくない。
勝手に裏切られた気持ちにもなりたくない。
嘘をつくのは嫌いだ。
守りたい親族を守れないのも嫌だ。
親より、弟より、妹より、私は他の親族の方が大切なのだ。
何をされようと、何を言われようと、私は私を殺そうとした人を許せない。
都合良く私を利用する母親を許せない。
多少の良い行いで「殺人未遂」が許されていいはずがない。
「私を壊したこと」を許せるはずがない。
それはきっと、愛してくれた人を守りたくなるのが人間だからだ。
これは私が「人間として生きる為の矜恃」なのだ。
譲れないこの想いだけは、誰かに蹂躙されて良いものなはずがない。
同様に、「他者の譲れない感情」を馬鹿にすることがない私であり続けたい。
言葉の重みを、行動1つで心象が180度変わることを、忘れずに生きていきたい。
そう改めて思った日曜日だった。