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『浦島太郎のその後~乙姫の願ひと罪~』


はじめに

とあるSNSで「浦島太郎が玉手箱を開けてからのその後の話を創作してください」と言われ、書いてみることにしたのが始まりです。

物書きの端くれとして、真剣に書いていくうちに、気づくと超短編小説くらいになってしまいました。

浦島太郎の原型になったと思われる話は、平安時代などには見つかっております。

その後、何度も土地や時代を変えて、この話は随所で語り継がれていますが、「話の結部」を中心に微妙に異なっております。

今回の話は、色々な各地・各時代の結部からヒントを得、また、私自身が浦島太郎の物語を読んでからずっと疑問に思っていたことを、本来はこうであったのではないかと考えた物語です。

それではお読みください。

おっかぁだけがいない部屋

浦島太郎が玉手箱を開けると、真っ白な煙が噴き出し太郎を中心に、辺りを包み込みました。

すると、まるで太陽を近くで見つめてしまったかのように目が眩み、真っ白な世界に包まれているのか、自分自身の頭が真っ白になっているのか、わからないような不思議な感覚に包まれた。

目を細め、手で煙をかき分けてもかき分けても視界がはっきりしない。

自分自身が真っ白な空間に飛び込んでしまったかのように、目ははっきりと開けているのに、現実世界に煙が広がっているというよりは、ただただ眩しい光源のそばで照らされ続けているようなー。

どのくらいの時が経ったのか分からなかったが、気づくと太郎は浜辺に仰向けで倒れており、辺りを包んでいた煙もすっかり収まっていた。

酷い頭痛がするが幾度か瞬きをして、体を起こし、周囲の様子を確認する。

最初に感じた違和感は背中だ。

そこは確かに浜辺のはずなのに、その感触はまるで岩のように硬かった。体を起こして見てみると、太郎がこれまで見たことの無い、スッパリと刀で切ったような平坦で大きな大きな岩が広がっていた。どうしたらこんな大きくてまっすぐな岩を動かせたのだろう…。

それにここはどこだ?太郎は確かに少し前に竜宮城から戻り、玉手箱を開けたあの浜辺…だと思うのに。

何かが異なって、いや、何もかもが異なっていた。

浜辺から地続きに繋がっていた村。あの、大好きなおっかあがいる村への道が無いのだ。

それどころか、不思議な形をした岩が見渡す限り、海岸の向こうまでうずたかく積まれ

さらに、ことさら大きくて、まるで巨人が切ったような切り口の大きな岩の上には、奇妙な着物を着た人々が釣り糸を垂らしていた。

自分が今寝ているこの場所も、浜辺ではない。海はすぐそこに在るのに。

もしや夢を見ているのだろうか?

頬をつねろうと太郎は自分の顔を触ると、また奇妙な感覚があった。

竜宮城へ行ったのは、つい数日前のこと。太郎は年の頃は十と八。漁師として貧しい中でも、網を手繰って身についた逞しい腕に、豆だらけの手。ひげはほとんど生えておらず、浅黒く日焼けしていたはずの自分の顔。

しかし、顔に触れたものは紛れもなくひげだった。それも、村長(むらおさ)のような長いひげ。手も節くれだって、しわとシミだらけ。自分の手ではないようだった。

いってぇ、何が起きているんだ…。

頬をつねった痛みは本物だから、どうも現世(うつしよ)で間違いないようだった。

太郎はもう一度眠ってみたら、元に戻るのではないかと思い、仰向けに寝転んでみた。

すると、釣り人と同じような奇妙な着物を着た人達に、取り囲まれてしまった。

話し言葉も自分と同じような言葉を話しているようだが、訛り…とも違う。その多くが聞き取れないが、どうも自分を指して「おじいさん」と皆が口々に言っているようだ。

おらはまだ十八だが、おじいさんとは誰のことだろうか…?

「けーさつ呼んだ方がいいんじゃない?」

周りを取り囲む奇妙な人たちは、皆それぞれに小さな四角いものを持っていて、その中の一人がその箱を耳にあてて独り言を言っている。

不思議に思っていると、濃紺の同じような着物を着た男達数人に取り囲まれた。

「おじいさん、どうしたの?お家どこ?こんなところで寝てたら、ねっちゅうしょー(熱中症)になっちゃうよ」

ところどころ、やはりわからない言葉があったが、どうもおらを心配してくれているようだった。

おらは「おっかあのいる村へけえりてえんだけど、ここがどこだかわからねえんだ」というと、その濃紺の着物を着た男たちは黒くて小さな四角い箱に何かしゃべり始めた。

まもなく同じ着物を着た男たちがさらに数人来ると、全員に抱えられ、白と黒の見たことも無い荷車に乗せられ、どこかへ連れていかれた。

そこは石でできた見たこともねぇ、おおきくて立派なお屋敷だった。

さらに奇妙なのは、そこに居る人がみんな濃紺の同じ着物を着ているということだ。

入れ替わり立ち代わり、男たちが、太郎の入れられた白い石造りの部屋に来ては、あれこれ聞いてくるが、ほとんどが聞き取れない。

いったい、おらはどうしてしまったんだ…。

何度も同じことを聞かれる

「名前とじゅーしょは?」

「じゅーしょってなんのことだ?」

「どこに住んでいるかということだよ」

「だから言っているべ。おらは浦島太郎だ。おらをもと居たところに連れていけば、おっかぁの待つ村があるはずだ。おらはそこでおっかぁと住んでいる漁師だべ。亀がいじめられてたから助けたら、恩を返したいと竜宮城ってぇ、とんでもねぇお屋敷に案内されたんだ。海の底にあって、食べたことがねぇ美味しい料理を出してくれて、鯛やヒラメが舞い踊り、乙姫っちゅうべっぴんさんにも会ったんだぁ。んだけど、美味しいものをたらふく食べてたら、おっかぁにも食べさせてぇなと思っちまって。乙姫におらはおっかぁがしんぺぇだからけぇるって言ったら、”開けてはいけない”と玉手箱っちゅうものを土産にもらったんだ。でも、おらは我慢できねくて。気づいたら何にもおっかぁにお土産持ってけぇれなかったから、もしかしたらこの箱に何か入ってるんでねぇがって。開けたらあそこにいたんだぁ。」

何度も同じ言葉が聞こえる。

「にんちしょー」意味が分からなかったが、あれこれ書けと言われても「おらは漁師しかしてこなかったから、字が書けねぇ」というと、嘘つき呼ばわりまでされた。

結局、「調べたが、あの周囲の住民に浦島太郎なんていう人間はいない」と言われ、「そんなこと言われたって、おらは浦島太郎だ。何でこんなことになったんだが、おらが知りたいんだ。大体、あんた達のその奇妙な着物はなんだ?」

結局、日が暮れるまでその白い石の部屋に入れられてたら、最後におっかぁくらいの女の人が来て、「あなたの言った家はもうないから、新しいところを探すお手伝いをしましょうね」と言い、その人と一緒にそこから出て、今度は紺色の荷車みてえなのに乗せられ、また別の白い石の部屋に連れてかれた。

その荷車に乗るとき、小さな鏡みたいなのがついてたから、おらは興味が出てそれを見ると、そこには長い髭をたくわえたじいさんが映っていた。おらが自分の顔をなでると、その鏡みたいなものの中のじいさんも同じ動きをする。

一体何が起きたんだ…。

そのおっかぁみたいな年頃の女の話によると、どうも「せーかつほご」っちゅうものにおらはなったみてえだ。なんかの病の名前なんだべか。おらはあの煙を吸い込んで頭がおかしくなってしまったんだろか…。

その女の人に連れられて、「今日からここが浦島さんのお家です」と言われたところは、頑丈そうな3階建ての家で、部屋に入ると木の板が床一面に敷き詰められてて汚れ一つなかった。

綺麗な家、綺麗な部屋。

でもそこには、大好きなおっかぁはいなかったー。

太郎と海

ここでこれから暮らせって言われたけんど、「おらは漁師しかしてこなかったから、海にはどうやって行ったらいいだ?」と聞いても、女は困ったような顔をして「漁はもうしなくていいですから」と答えるだけだった。

何にもねぇところに寝っころがってると、腹が鳴った。飯炊きはおっかぁがやってくれてたから、手伝いはしたけど、ろくにできねぇ。

「そういえば、さっきの女が弁当を家に届けてくれる人がまだ準備できてねぇから、腹が減ったらこれを食えって言ってたなぁ」

太郎の目の前には、筑前煮などのレトルトパックが置かれていた。

それが何かも分からないが、女は信じてもいいような気がした。何より、腹が減っていた。開け方も分からなかったが、見たこともない袋を開けてみると、おっかぁが作ってくれていたような煮物らしきものが入っていた。

器もないので直接口をつけて、それを流し込むようにして食べると、腹の虫がおさまった。

太郎はフローリングに仰向けに寝っ転がり、玉手箱を開けてからのことを思い返してみた。

乙姫はおらに「恩返し」として亀を使いに寄越し、もてなしてくれた。それなのに、こんな爺さんになったのはどういうわけだろうか。

それに、おら以外の人間はみな奇妙な着物を着て、まるで違うくにに来ちまったみたいだ。

太郎は少し頭を振ると、外に出てみることにした。そこは、少し小高い丘にあるようだったが、今の家からでも海は見えた。

節々が痛むが、漁師として鍛えた体は歳を重ねても、十分に動いた。

太郎は自分の目と潮の香りを頼りに、また海へ行ってみることにした。

すると、そこには釣り糸を垂れている人が何人かいた。奇妙な着物は見慣れたものの、釣り道具も竹竿に糸を結んだものではないようで、キラキラ光るいろんな釣竿を使っているようだった。

「今日は何が釣れるんだ?」

声をかけてみると、「今日はまだ釣れないね」「こまかいアジが少しだよ」との返事。

太郎が漁師をしていた時は、この海は沢山の魚が釣れたのに…。

太郎は勇気を出して、村人に釣竿を貸してくれないかと声をかけてみた。

すると、(じいさんの)太郎より少し若い男が「おぉ!じいさんも釣りやるのかい?じゃあ俺のを使いな」と貸してくれたが、使い方がとんと分からなかった。

「おらの時は竹竿か網でやってたから、どうするのか教えてくれねぇか?」と聞くと、気の良い男は使い方を教えてくれた。

太郎は目が良かった。

確かに昔の海とは違っていたが、それでも沢山の魚がいるのがよく見えた。

何度か借りた釣竿を使ううちに、手になじんでくる。

最初は一匹。
そこからどんどん釣り上げていくと、気づいたら周りに釣り人が沢山集まってきて、「どうやったんだ」「俺にも教えてくれ」「爺さん凄いなぁ」と口々に言う。

太郎は最初に釣竿を貸してくれた男に。

そして、ひとりひとりに魚がどこにいるか。その魚は何が好物か。どうやって誘うかを伝えていくと、教えた釣り人からどんどん釣れるようになった。

そんなことをするうちに、あっという間に日が暮れた。

太郎は釣った魚を捌くことはできたが、家にはまだ包丁もないからと、男達に配っていった。

すると、何人かから「だったら家に来いよ!」と誘われた。

太郎は久しぶりに村人と関わり、また漁しか知らない自分が人の役に立てた満足感でぐっすりと眠ることができた。

お伽話の主は誰ぞ?

その日から、太郎はある家では夕飯をご馳走になり、ある家では包丁や皿を分けてもらい、ある家では「すいはんき」という、ご飯を炊くものを「古いけどまだ動くから」ともらった。

ただ1つ。不思議なことがあった。

太郎は招かれた先々で「浦島太郎だ」と名乗ると、まず笑われた。それから「昔話に出てくる人と同じ名前だな」と言われた。

昔話…。

それは、おれがまだこまけぇ頃に、おっかぁが膝の上で聞かせてくれた話のことだべか。

太郎は、認知症による要介護認定を受け、ヘルパーが派遣されていた。

毎日、毎日、入れ替わり立ち代わり、1日3回女や男が入ってきては、料理や掃除をしてくれる。

ありがたいことだなぁと思うが、どうしてここまでおらにしてくれるのかさっぱりわからねかった。

太郎は少しずつ、ヘルパーに料理の仕方や、機器の扱い方。現代の言葉などを教わるにつれ、「読み書きができるようになりたい」と思うようになった。

そうすれば、乙姫とのことや竜宮城のこと。自分の身に何が起きているか。何より、大好きなおっかぁや村のみんなに会えると思ったからだ。

ヘルパーにそのことを聞いてみると、みんな「がっこう」というところに行って、童の頃から読み書きを教わっているらしい。

月に1度訪ねてくる、太郎のケースワーカーに「おらはがっこうというところに行って、よみかきができるようになりてぇ」と頼んでみた。

最初は渋っていたが、「確認してみます」と言って、その日は帰って行った。

数日後。この辺りはがっこうというところもわらべが少なくて、せんせーという人に聞いたら受け入れますと言ってもらえたというようなことを言われた。

早速、次の日から太郎は小学校に通うことになった。

子どもしかいない教室で、ひとりだけおじいさんの太郎は異質な光景ではあったが、次第に魚獲りや虫捕り、コマ回しなどを教えてくれる太郎に、子供たちも太郎が大好きになっていった。

ここの童は凄いなぁ。あ~んなこまけぇうちから、みんな字が読めるんだ。

太郎は圧倒されつつも、勉強をするたび字が読めるようになること、新しいことを知ることを心から楽しんでいった。

あっという間に6年間の時が経ち、卒業式。

子どもたちはみな着飾って親が来ていたが、太郎は町の人からもらった普段着で行こうとした。

すると、隣の家でお世話になっているおばあさんが、「これ家の父ちゃんが来ていたものだけど…」と、譲ってもらったスーツを着た。

なんでも卒業式というのは、めでてぇ日だってことだ。だから、童たちもいい着物を着ていたのか。おらはひとりだけど、でもこの学校で教えてもらったことは凄かった。ありがてぇことだ。

そんなことを考えていると、日頃お世話になっているケースワーカーから、ヘルパー、隣近所の人々。釣りを教えた仲間が続々と来て、太郎の卒業を祝ってくれた。

ありがてぇ。ありがてぇ。

そこには、子供達と一緒に最高の笑顔で写真に納まる太郎の姿があったー。

太郎はそのまま、中学まで進学することにした。

毎日学校に通いつつ、昼ご飯を食べ終わったら学校の図書室にまっすぐに通い、辞書を片手に本を片っ端から読んでいった。

小学校にあった本は字が大きくて絵が沢山あるものも多かったが、中学校の本は全く違っていた。太郎には難しい言葉が多かったが、それでも大好きなお母さんに会うため、太郎は来る日も来る日も本を読んだ。

土日は図書室で本を借りて家で読み、時には釣り仲間に立派な船にも乗せてもらって、船釣りにも出るようになった。

不思議な力はなんのため

ある時、船で遠くの海へ出た時、波がひときわ大きくなり、仲間のひとりが海に投げ出されたことがあった。太郎は何の迷いもなく飛び込み、仲間を助けて船にあげ事なきを得たが、太郎はあることに気づいた。

そう。海の中で呼吸ができることにー。

急に目の前に、竜宮城へ行ったあの時の光景が浮かんできた。

そうだ。おらはあの時不思議に思ったんだ。亀に乗って海へどんどん潜って行った時、おらは息が出来なくて苦しくなると思ったのに、気づいたらいつまでもいつまでも、海の中で過ごせていた。それどころか、食べ物を食べ、乙姫と話し…。

おらはもしかしたらあの時、不思議な力をもらったんだろうか…。

そしてもう1つ。

おらは村長や旦那衆の集まりには若くて参加させてもらえなかったけど、何度も聞かされたある話があった。

それは、「海の向こうには蓬莱という国があり、神様や仙人が暮らすという。仙果という食べ物を口にすると、老いず死なない体になる」という話だ。

わけぇ頃は、そんなことあるはずなかんべと思っていたが、もしかしたら竜宮城がそれだったのだろうか。

乙姫は若く美しく、食べ物を供してもてなしてくれた女たちも皆若くて美しかった。

すると、おらは仙果というものをあそこで食べたんだべか。この力は…。

でも、老いて皺の深く刻まれた自分の手は、死なないということはあるかもしれなくても、とても「老いず」とは思えなかった。

乙姫への想ひ

太郎は、図書室や町の図書館での調べものの他にも、郷土資料館へ行き、今の町がどのように移り変わっていったのかも調べていった。

そして、小学校で読んだ本。

「うらしまたろう」

最初は自分と同じ名前の人に偉い人がいたんだろうかと思ったが、読めば読むほど奇妙なことに、自分の身に起こったことと全く同じだった。

いつものように、郷土資料館へ調べものに行ったある日。約700年前はこのくらいまで海が来ていたであろうという、時代ごとの地図や地形の変遷について展示をしていた。

おらの記憶と重なる光景。

村のあったあたり。浜辺の位置。

太郎の中で、ある考えが沸き起こる。

おらは、竜宮城で数日過ごしたと思っていたが、実は何百年もの時が経っていたのではないか。

妖術というのか分からないが、少なくとも竜宮城の中では太郎は何百年経っても姿は若く、そのままだったし、乙姫も何も変わることはなかった。

でも。でももし、この考えが正しいとしたらー。

おっかあどころか、村の皆も、もうとうに昔のこと。この世にいないということになる。

そして、乙姫がなぜ「玉手箱」をおらに渡したのか。そして、なぜ「開けてはいけない」と言ったのか。

おらはずーっと、乙姫が「おらがおっかあに会いたいと帰った」から、それを恨んでいたのかと思っていた。

でも、そうではないのかもしれない。

何かしらの不思議な力で、太郎は何百年という時を竜宮城という海の中で過ごしてしまったが、現世に戻った時、数百年、具体的には700年以上。時の流れに違いがある。

太郎が玉手箱を開ければ、こうして老人の姿になることで、現世との時間につじつまが合い、生きていくことができるためだったのではないかー。

でも、恐らくは乙姫のもつ不思議な力で、竜宮城では時の流れを遅くすることができている。

それはある意味では、「乙姫自身もほとんど止まっていると言える永遠の時の流れの牢獄に囚われている」と言える。

乙姫が玉手箱を渡したのが、何かしらの「きまり」で、出ていくものには渡さなければならないと言われていたらー。

それでも「開けてはいけない」とおらに言ったのは、本当は乙姫の「ずっとここで一緒にすごしていきたい」という気持ちの表れだったのではないか。

そう考えてからは、寝ても覚めても、乙姫のことが頭から離れなくなった。

乙姫に会いたい。乙姫は今もあの「海の牢獄」でひとり寂しく暮らしているのではないかー。

認めたくはない。認めたくはないが、おらにはもうおっかあも、村の人もこの世にはいない。

おらが知っているのは、あの頃を話し合えるのは、もう乙姫だけだろう。

それから、ずっと胸のうちでわだかまっている疑問があった。

おらは村長やおっかあから、海の向こうは黄泉の国があると教わった。人は死んだら黄泉の国に行き、ずっとそこで過ごすのだと。

老いず死なない姿ではあるが、蓬莱という神様や仙人が暮らし、楽しく暮らすのが天国だとしたら、黄泉の国は「あの世」だ。死んだら三途の川を渡って、その向こうに行く。その死人が暮らす国が黄泉の国だ。

果たして、海の底にあった竜宮城は、黄泉の国なのか蓬莱なのかー。
天の国か監獄かー。

考え事をしていたら、気づくと朝日が窓から差し込んでいた。

再びの邂逅

考えても考えても答えは出ない。

頭から離れないその疑問はどんどん膨らみ、居ても立っても居られなくなった太郎は、ある晩、何度か乗せてもらっていた友達の船にこっそり忍び込み、夜の海へ出た。

ポイントはすぐにわかった。

以前、釣り仲間が海へ投げ出された時、海の中に白くぼぉーっと光る場所を見つけたのだ。

太郎自身も、自分の中の何かに導かれるように船を操作し、海の底が光るポイントへ着くと、何の迷いもなく太郎は飛び込んだ。

泳ぎは得意だったが、深く深く潜っていくー。

やはりそうだ。太郎は息が苦しくなかった。

おら自身もまた、竜宮城で食べた物によって、現世の人とは違う何かになっているのだと「分かった」。

光を目指して泳ぎ続ける。

どのくらい潜ったのか。どのくらい泳いだのか。

光だけを頼りに泳いだ先にあったのは、あの頃と全く変わらない竜宮城の姿であった。

やっぱりあったんだ。夢じゃねがった…。

入り口を前に、一瞬足が止まった。

今の姿を乙姫が見たら信じないのではないだろうか?おらと分からないのではないだろうか?

でもそんなことはどうでもいい。

ただ、乙姫に一目会いたかった。言葉を交わしたかった。聞きたいことが山ほどあった。

太郎は勇気を出して、足を踏み入れた。

入口からまっすぐの石畳の廊下を進むと、開けたドーム状の部屋がある。

あぁ、あの頃と同じだ…。ついこの間の出来事のようだなぁ。

明かりが見え、部屋に入ると、乙姫がいた。

あのころの姿のままだ。

あぁ、乙姫。会いたかった。本当に会いたかった。

しかし、乙姫は太郎と目が合うと、驚いた顔を一瞬見せたが踵を返して奥の部屋へ走って行ってしまった。

太郎は追いかけようと思うのに、足が動かない。

あぁ、やっぱりこんな老人の姿では、乙姫は分からないか…。そうだよなぁ。こんな老人がいきなり訪ねてきても…。

でも。でも、ここまで来たら引き下がることは出来ない。

太郎は乙姫が入った奥の部屋へ、広間を突っ切るようにして追いかけようとすると、数人の天女のような姿をした女が押しとどめようと向かってきた。

が、太郎の気迫に気圧されたのか、一定の距離を置いてそれ以上は近づいてこようとはしなかった。

太郎は足がもつれながらも、必死に広間を突き進み、乙姫のところへ向かう。

そこは狭く暗い部屋だった。

目が慣れるまで少しかかったが、見間違いようが無い乙姫の後姿がそこにはあった。

「乙姫…」太郎は近づこうとすると

「なぜ来たのです!太郎!」乙姫はこちらに背中を向けたまま厳しい口調で言った。

おらのことが分かるのか。覚えていてくれたのか。

「なぜっておら…おら…。」

言いたいことはいっぱいあるのに、聞きたいことも山ほどあるのに、陸に帰ってからのこと、乙姫のこれまでを想うと気持ちが溢れて、言葉がでてこない。

もどかしさを感じながらも、やっと言葉を振り絞る。

「おら、謝りたかった。あの日、帰るって言ったこと。乙姫に謝りたかった…」

他に言うべきことが沢山あるのに、最初に口を突いて出た言葉は乙姫への謝罪だったことに、太郎は自分でも驚いた。

すると、気丈に振舞っていたように見えた乙姫の肩が震えているのに気づいた。

太郎はためらいながらも乙姫に近づき、肩を抱くと、乙姫は押し殺していた声がもれ、やがて嗚咽に代わり、滂沱の涙を流した。

太郎は言葉もなく、ただただ乙姫を抱きしめていた。

乙姫の願ひ~その罪と罰~

しばらくそうしていると、落ち着きを取り戻した乙姫は振り向き、優しく懐かしむように、愛おしむかのように、太郎の老いた顔を撫でながら話し始めた。

「謝らなければならないのは私の方です。このような姿になることを分かっていながら玉手箱を渡してごめんなさい。大切なお母さまに会えないことも分かっていたのに、あなたの笑顔を見たら、どうしても言えなかった…。本当にごめんなさい」

「やっぱり…そうなんだな。おっかあも村の皆ももういないんだな」

太郎は噛みしめるように、一言一言ゆっくり言葉を紡ぐ。それはまるで自分自身を納得させているようでもあった。

「でも、私はずるい女です。太郎の他にも何人かもてなしたことはありますが、玉手箱を開けてなお、私にこうして穏やかに、会いに来てくれたのは太郎だけです。会いたかった。嬉しいと思う私は酷い女です。ごめんなさい…」

「いいんだ。あやまらねぇでくれ。おらはこんな爺さんになってしまって、それでも覚えていてくれたことが嬉しいんだ。おらには、もうあの頃の話ができる人は乙姫意外にもういねぇ」

それから、太郎は陸に上がってからのこと。

沢山の人々に助けてもらったこと。

学校に行って読み書きを習ったこと。

数日だと思っていた竜宮城での時間が、陸では700年以上の時を経ていたことを、乙姫に話して聞かせた。

そして、最後に一番乙姫に聞きたかったことを尋ねた。

「乙姫…。おらは一生懸命、童に混ざって学校で読み書きを勉強したら、本が沢山読めるようになった。色んなものを読んだら、おらと乙姫のことが本になって、童たちに読み聞かせをしていることも知ったんだ。でも、おらはどうしても納得がいかないことがある。おっかあと村長はよくおらに言って聞かせてた。海の向こうには蓬莱っちゅう、神様や仙人が住む山があり、そこでは、皆が不老不死で、永遠に楽しく暮らしていると。

確かにわけぇ頃のおらには、竜宮城は夢のような場所だった。でも、乙姫の今の姿はなんだ。あの頃と何にも変わらねぇ。美しく若いまんまだ。やはり妖術みたいなものなのか?でも、乙姫はここでずーっと過ごしているんだろう?

おらが来るずっと前から…。だとしたら、ここは天の国のような場所ではねぇではないか。乙姫はここでずっとずっと一人で暮らしている…の…か…」

最後の方は、乙姫の気の毒な生涯を想い、声にならなかった。

乙姫は驚きながらその話を聞いた後、静かに語り始めた。

「そこまで知っていたのですか。よく調べましたね。本当に…。ここは蓬莱というところではありません。蓬莱は確かにありますが、それは山の上。仙人や神様が暮らす神聖な場所です。私は太郎と出会うずーっと昔、普通の人間でした。同じ村で育った男と恋に落ちましたが、身分制度が厳しい時代で、私の知らぬ間に十五の歳になったらあるやんごとない方に嫁ぐことが決まっていました。でも、私と男はその話を知って、十五になる前の夜。駆け落ちをしようと太郎がちょうど亀を助けた浜辺で、待ち合わせをしていました。

でも、男は来なかった。私は裏切られたと思いました。でも、この夜を超えたら私は十五になり、嫁がなければなりません。夜の浜辺はとても静かで、綺麗で、凪いだ水面に映った月はとても美しかったのです。私は、あの月のように美しいまま。男との生活を想ったまま永遠にそのままでありたいと願いました。そして、この海へ入ったのです。

目覚めた時にはここにいました。しかし、太郎のようにすぐにはここの環境に馴染めず、ここの食べ物を一口でいいから口に含めと無理やり食べさせられました。すると、みるみる元気を取り戻しました。

それから数日した頃、蓬莱に住む神様の一人がいらっしゃいました。そして、男はたくらみを事前に村長に知られ、処刑をされたために海に来れなかったこと。私はそれを知らなかったとはいえ、自分の命を海に投げた罪を償わなければならないことをその方から聞かされました。」

ここまで話した乙姫は、太郎を見つめていた目線を落とし、ためらいがちにさらに言葉を継いだ。

「さらにもう1つ。神様は言いました。お前が人を信じられるようになったら、蓬莱へ行けるようにするとー。

お前はここで、沢山の人間を迎え、もてなしなさい。ただし、その人間が帰ると言ったらこの玉手箱を渡さなければならない。人間の時間と我々の時間は異なる。人間が生きていくためには、人間の時間に戻してやらなければならない。ただし、玉手箱を開けて年老いた自分を見た人間はお前を恨むだろう。そして、村も親も自分を知るものはすべていなくなっている世界で、老いるが死ねないまま生きていくことになる。そのことで、なおさらお前を憎むだろう。

私はお前の望み通り「若く美しいままのお前でいられる通り」にした。もし、お前を恨んで再びこの地を訪れる者があり、お前を手にかけたとしても、お前は死なず老いることはない。また、人間の歳も戻ることは無い。

だが、繰り返しなさい。それがお前に与える願いの対価だ。

ただ、続けるうちに、もしも玉手箱を開けてなお、お前に会いに来るものがあれば、お前を信じて恨まず、お前を想って再び訪れる者があれば、共に蓬莱へ招こう」とー。

乙姫はまた涙を流しながら、「ごめんなさい」と繰り返した。

太郎には痛いほど乙姫の気持ちが分かった。あぁ、こんなところで何百年も、人を招いてはもてなし、この人ならと信じ、戻ってくるのを待っていたのか。

太郎は、何を言えばいいか分からなかったが、乙姫を引き寄せ、ただきつくきつく抱きしめた。

すると、二人を暖かくて眩しい光が包み込む。

そのまま光の玉は二人を優しく包みながら、ゆっくりゆっくりと竜宮城を出て、海からも飛び出し、山へ誘う。

二人は蓬莱山へ着くと、美しい二羽の鶴に変化していた。

そして、いつまでも仲睦まじく、美しい蓬莱の山を飛び回って過ごしました。

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