本が読めない読書好き
私のことです。
読書。
私は本を読み始めると何故かソワソワしてしまうことが多くて、珍しく読める時があっても文字の羅列を読み続けると15分ももたずに目が疲れてきます。
最近は少しずつ読めるようになってきましたが、
2ヶ月に一冊、読めればいい方です。
でも好きです。
この特徴は他にも
カフェインに弱いコーヒー好き
運動音痴な運動好き
描きたいものがないお絵描き好き
コードがわからないギター好き
練習が嫌いなピアノ好き
…
全部私です。
不幸ですかね?
少し前まで、自分で不幸だと思ってました。
好きなのに、詳しくない
好きなのに、得意じゃない
好きなのに、集中できない
「それって本当に好きなの?」
自分でずっとそう思ってました
好きって、ハードル高くない?!
1人でに、そういう怒りのをようなものを感じたこともありました。
だけど、よくよく考えてみると、好きなことを好きだというのは自分の勝手で、ハードルなんて無いです。当たり前のことなのですが…笑
私はこのことに、大学で出会ったある友達の言葉で気付きました。
その友達と、昔していた習い事について話していたときです。
私がいつものごとく、自虐を織り交ぜて
「5歳から高校3年までピアノを習っていたけれど、今は一曲も覚えていない。年数だけはプロです。」
というお決まりのエピソードをお話しします。
すると友達は
「別に、上手くなくちゃいけないことないんじゃ無い?私は三線をやっていて、周りは大会に向けて熱心だったけど、私自身はただ楽しくやっていたよ」
なんということでしょう
私はこれまで、やることにはなんでも、ライバルと競い、上手くなければならないし、「みんな」に褒められる技量がなければと思ってました。
変な話ですが、それがなければ「好きなこと」とすら言えないと思ってました。
だから、ピアノ教室に10年以上通っていたけれど、どこか好きだとは言えない気持ちがありました。
実際、練習は苦手でした。
それなのに、どうして高い月謝を払ってまでも通い続けたのでしょうか。
親に強制されたわけではありません。
きっとそれも、「ここまで続けたんだから、有名なあの曲くらいは弾けるようにならなければ」と思っていたからです。
しかし、その友達と話して初めて、好きでいることに、果たさなければならないものはない、と気づくことができました。
私はずっと、心のどこかで、人に公表する目的で好きだと言っていたのかもしれません。
誰に言われてるわけでもないのに、ピアノが好きなら得意な曲一曲でも持ってないと!あの難しい曲を弾けないと!って思っちゃってました。
好きなことをするとき、いつも頭の中で誰かが「そんなレベルで好きっていうの?」って文句を言ってきました。
そんな言葉を気にするよりも、好きだと思うことをやってみた方が絶対にいい時間です。
そして仮に、現実でそんなことを言う人がいたら距離を取ればいいし、過去にそう言われたことが気になっちゃうなら、一旦追い出して、好きなことをしたらいいんです。
そもそも、やらないと上達なんてしないし、もっと好きになれる要素が沢山あっても気づけないですよね
そんなこと、みんなはとっくに気付いていたことでしょう。何当たり前のこと偉そうにって思ってるかもしれません。
でも私にとってはこのことに気づけたことは大きな一歩です。友達には、とっても感謝しています。
だから、下手でもいいので、やってみます。
なかなか進まなくても、本を読んでみます。
好きだからです。
もし、今この文章を読んでいるあなたが、「誰か」の声を気にして好きなことがわからなくなっているなら
難しいことを考えず、やってみたいことをやってみるのはいかがでしょう?
「別に、上手くなくちゃいけないことってないんじゃない?」
ついでに、いつか頭の中にいる「みんな」と、「誰か」と、仲良くなれたらなぁなんて
稚拙な文章ですが、読んでいただいてありがとうございます。これからも書きます。
好きだからです。
わらほ