
#3 初めての学生起業
大学は日本大学経済学部に推薦枠でさらっと入学。いかにも器用貧乏の私らしい入学方法である。
さて、三木谷社長の衝撃以来、大学入学してからというもの本格的にビジネスに興味を持ち始めていた。もちろん最初は具体的な何かをできるわけでもないので、起業を目指す人が良くやる行動パターンからスタートだった。
①自己啓発系の本を読み漁る。
②起業セミナーに片っ端から参加する。
③異業種交流会に片っ端から参加する。
④学生なのに意味もなく名刺を作る。
といった具合だった。いわゆる「意識高い系大学生」に間違いなかった。
異業種交流会はやセミナーではいろんな人に出会い、刺激も受けたが今思えばあれは詐欺師だったかなという人にも多々であった。
だが、そういう出会いの中で大学3年生ごろからビジネスごっこもスタートしたのだ。
まず1つ目のビジネスごっこはウェブ上に街を作るSNSだった。
アメーバピグとFacebookを合体させたようなイメージである。
今思えばかなり壮大で、当時の自分にできるはずもなかったのだが、やはりこういうのに憧れていたのであった。
メンバーは同じく意識高い同級生と、プログラミングができる友人の3人でスタート。いろんな社長にプレゼンしてみたり、出資のお願いに行ってみたりしたが、一向に進まず発足3か月程度で自然消滅。
2つ目のビジネスごっこはfree Wi-Fiの販売代理店だった。
今でこそどんなお店に行ってもfreeWi-Fiは置いてあるが、当時はそれがまだ珍しかった。今回は1人で初めたのだが、これが意外とうまくいったのである。
大学の近くの飲食店やカラオケ、服屋さんなどに片っ端から飛び込み営業の連続をしていた。確か1件導入してもらうと私に1万円ほどマージンが入ってくるような感じだったと思う。
大学の前後や空き時間を見つけてひたすら営業。幸い学生街だったためお店も多く、営業先は果てしなくあった。
トータルで50万くらいは稼いだのではないだろうか。だが、ご存じの通りあっという間にfreeWi-Fiは普及していったので気づいたら営業先がなくなっていた。
更に、追い打ちをかけるように私に仕事を下ろしてくれていた大本の会社から在庫を買い取れみたいな話をされ、私はちょっとした借金まで背負わされたのである。これも今思えば私が背負う必要は絶対になったはずだ。学生で無知であることを理由に完全に騙されたのだと思う。
結構詰められたので泣きそうになったのを覚えている。笑
これも半年程度で終了。
それ以外にも、
・パワーストーン販売
・下北沢で間借りカフェ
・カーシェアの販売代理店
・フリーマーケットへの出店
などなど、いろんなものを試しがどれも生活していくだけのお金になる事は無かった。
背水の陣~最後の学生起業~
そして学生時代最後に始めたのが、路上ミュージシャンと近くの飲食店をマッチングさせるビジネスだった。
私の地元柏駅は路上ミュージシャンや路上パフォーマーが非常に多い街で、市としてもそれを斡旋していた。
また、飲食店も非常に多く、個人のバーや喫茶店が乱立している街だった。
簡単に言うと、路上以外で歌う場所がないミュージシャンに、飲食店の暇な時間を使って場所を提供するというものだった。
キャッシュポイントは飲食店での売り上げのマージンと、ミュージシャンと飲食店をつなぐコミニュティサイトの会員登録費であった。
私はこのビジネスで食っていく覚悟だったため、学生時代最後の起業とし、背水の陣で臨んだ。
このビジネスに巻き込んだのが、熱い青春時代を過ごした高校の同級生だった。当時から高校が楽しすぎたので、「みんなで起業したくね?」みたいな会話は良くしていた。もちろんみんなは冗談で言っていたと思うが、私は至って真剣にその夢を描いていたのだ。
だが、結果的にはこれも失敗に終わる。
お小遣い程度の収入が入ってきたこともあったが、いかんせん大学4年生の冬。もう卒業が間際に迫っていたこともあり、就職のためメンバーが一人ずつ抜けていった。4人で始めたのだが、最終的には私一人になった。
この時のメンバーで最後の2人残ったが、今の副社長の渡部である。
ちなみに私も親のために就活はしており、ちゃっかりファーストリテーリング(ユニクロ)をはじめ3社ほどから内定をもらっていた。
多分ビジネスごっこで得た営業力などで面接はとても得意だった。だが、内定式の日にやっぱり自分にサラリーマンは無理だと思い内定を断っていた。
なので、他のメンバーと違って私には就職という選択肢はなかったので熱量の差もかなり大きかった。
私はこれに欠けていたので寝ても覚めても仕事の事ばかり考えて動いていたのだが、他のメンバーはそれなりに遊びも満喫していたようだった。
一度、私が仕事のことで焦ってバイトもせずに営業行きまくっていた夜に、私以外の3人で遊んでいたことを知った時はかなり悲しかったし怒りもあった。
誤解を招かないように言っておくが、今でも彼らとは普通に仲良く遊んでいる。当時は僕が半ば強引にビジネスの世界に引きずり込んだ部分もあったので全く恨みも無ければ怒りもない。
むしろ大好きな友達をそれによって失わなくてよかったと思っている。
僕にはとても良い思い出だし、笑い話である。
次に、私がどのようにして本格的に飲食の世界で生きていくことを決めたのかを書いていきたい。