vol.10 主治医について考える
何万といる医者の世界で
この先生に診てもらって良かった。
そう思える医師に出逢えたひとは
どのくらいいるだろうか?
そういう意味では
亡くなったパパは本当に恵まれていた。
これ以上ない!ほどに恵まれていた。
ワタシがもし同じ病になったら
間違いなくお願いしたいと思える。
だから闘病の末に亡くなった現実でさえ
家族は悲嘆に暮れることなく
直ぐにスイッチを切り替えられて今がある。
亡くなってから2日後には
三兄弟はみんな学校に登校していた。
判断を本人たちに仰いだら、
「いつも通りがきっと、パパが一番安心するから」
そういって家を出て行った小さき背中たちを
今もハッキリおぼえています。
云うなれば
ドラクエパーティーのように
勇者(パパ)は棺桶になって
ズルズルされながらも
後のメンバーで冒険を続けて行けてる。
↑
この世は教会でゴールド払っても
蘇生できないからずっとズルズル(笑)
①ワタシはきっとMPは持てない戦士
②回復呪文が得意な"僧侶"は長男
(成長すれば"賢者"に転職)
③しなやかに避けて闘う"武闘家"は次男
④秘めた可能性を持つ三男は"遊び人"
医者が患者を選べない以前に
案外、患者も医者を選べない。
だからこそ何事でも
"与える側"は
本当に献身的であるべきだと強く思う。
そしてまた"与えてもらう側"も
無勉強ではいけない。
それは医学的知識を学べ!ではなく
自分のカラダ、自分の生命は、
決して他人に譲れないものであることに
ちゃんと気付いて、正直に向き合うこと。
先日から
長男のアレルギー疾患において
注射治療をスタートしました。
二週間に一回、まずは一年間続けていく。
パパがお世話になった病院で(୨୧ᵕ̤ᴗᵕ̤)
パパと一緒に行った院内食堂とカフェを
長男とハシゴしながら
病院を満喫?してきました(笑)
本来ならまだ幼い頃に
自分の父親が亡くなった病院なんて
きっとココロ重くて行けないはずなのに
そこに行くと、なぜかものすごく安心する。
お世話になった先生に会いたくて
思わず眼で探してしまう(ˊᗜˋ*)
主治医って、きっと、
こうして真価が表れるものなんだと思う。
患者であったパパ本人だけでなく
その家族、子供たちのココロに
自然と感謝が紡がれ、勇気を与えてくれる。
思い出す度に
今日という日を迎えられた自分
生かして頂いている生命に感謝する。
そしてどうか自分だけではなく
世界中の人々や動物たちにとっても
幸せな今日と生命であるように強く祈ります。
最後まで読んでくださりありがとうございます。