29年前の映画「ボディーガード」を初鑑賞
日本がバブルの頃の映画だったんだなあ・・。ケビン・コスナーがカッコよくて、ホイットニー・ヒューストンの歌がいいという予告編だけの印象のまま29年。映画・・・見てませんでした。何度もテレビ放送していたのに、録画もしたことあったのに、なぜか見ぬまま29年・・・。今さらですが、やっとAmazonプライムで「ボディーガード」を初鑑賞しました。
とにかくホイットニー・ヒューストンの歌声が、映画にパワーを与え、逆に彼女自身も歌からパワーを吸収し、相互にパワーのやりとりをしながらキラキラと輝く作品と、彼女自身が上昇していく過程を見させてもらいました。昔、NHK大河ドラマ「篤姫」での宮崎あおいさんを思い出しました。回を重ねるごとに、経験をバンバン吸収し、女優として頼もしく成長されていかれたように感じました。人が成長していく過程が観れるのは、何よりもラッキーで、パワーのお裾分け感があり、気持ちがいい。人が成長する時のパワーは本当に素晴らしい。この作品「ボディーガード」も画面から伝わってくる作品でした。
同時に、29年の人生の重みを感じた映画にもなりました。この映画の20年後に48歳でホイットニー・ヒューストンは亡くなります。波瀾万丈な人生とその最期だったと推測します。太陽のようなパワーと、無常感、虚無感を表裏一体に感じながら最後まで作品を鑑賞しました。
なぜかほとんど知識ないのに「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。」中学の国語で習った平家物語の一節が、浮かんできました。昔、栄華を誇り、今は荒れ果てた街に風が吹く 見たいな挿絵が教科書にあったような・・そんな感じです。木枯らしみたいな、寂しい風が、ヒューっと私の心の中を吹き抜けました。
演者さんにも私にも、同じだけの時間の流れがありました。29年前に観ていたら、もっと違った感想があったのでしょうね。作品は、変わらない。だからこそ、私の年月の流れで鑑賞することもありだなと思いました。変わっていく私の感覚で、変わらない作品を見ることは、様々な角度の感性に触れる瞬間を与えてもらえるんだ。そういえば、見たかったのに見てない映画があったような・・。きっと、今がタイミングって時に映画とも巡り会うんだと思います。変わらない物があるからこそ、変わっていく自分の存在も受け止める機会になるようです。今気がつきました。
そして「E・T」を観ていないことにも気づく。また、どこかのタイミングで!