10日間山に籠り言葉を発さずに瞑想してきた話
ちょっと前の話になるがヴィパッサナ瞑想というものに行ってきた。
ここではその体験を通し感じたことについて書いていく。
とりあえず分からない人はwikiを↓(これを見ても?かもしれないが笑)
ヴィパッサナ瞑想について
実はこの体験談、もともと連載していたが想像するにそこそこ難く、若干の気持ち悪さがあったためか打ち切りとなった。しかし、知り合いから「あれの続きまだ??」との声を聞くので、1年ちょっとぶりにその続きを記そうというわけである(記録自体は体験直後に残していたのでそれの掘り起こし)。それまでの記事は以下リンクを読んでほしい(フィクションとして読めば面白いかも)。
では、その続きから。。。
[10日間瞑想] 覚醒編
7日目
昨日の虫刺されの腫れがひどい。かゆみもだ。
しかし、いつの間にかそんなことも忘れて瞑想していた。
夜まではいつも通り痛みを無視し、感覚に集中していた。
瞑想は気づいたら終わっているくらいにまでなった。
夜の瞑想がまた良かった。
瞑想を開始して30分ほどだろうか、発光している人型のモノに頰から始まり身体中ペタペタと触られ、輪郭を確認されているかのような感覚に陥った。
触られた部分のみ感覚を感じる。
50分ほどが経った頃には両足が砂漠の砂のように風で吹き飛ばされる感覚があった。腰から下の存在自体感じない。
これが出発前に聞いていた「粒子まで細分化され溶ける感覚」なのか。。。
意味が分からないと思うが、そう感じたので仕方がない。
正直自分でも意味が分からないし、気持ち悪いのも自覚済みである笑
夜の瞑想を終えた後に講義があり、それが終わると今度は20分ほどの短めの瞑想が始まる。
ここでも最高に狂った感覚に襲われる。
右半身は正立しており、一面緑の広々とした草原にいる清々しい感覚。
しかし、左半身は上下反転しており、無重力で無限に暗いが瞬く光が美しいふわふわする感覚。
まるで宇宙にいるような気分にさえなった。。。
とても気持ちいいのだが平衡感覚が狂っているせいか猛烈な気持ち悪さを感じていた。
でも、その気持ち悪さすら確かに自分のものなので、素直に受け入れられる。
自分でもよく分からない。
とりあえず最高の夜だった。
未知すぎてその一言しか出てこない。
8日目
外は雨。
朝の瞑想は雨音と鳥の声のおかげで心地いい。
知らず知らずのうちに昨日の感覚を追い求めてしまった。
ヴィパッサナ瞑想において神や特定の感覚を追い求めていることはタブーとされている。
ありのままを受け入れるという元々の目的に反してしまうからだ。
このタブーを一日中犯していた。
おかげで集中もできなければ心地よさなど一切感じない。
「帰りたい」という気持ちがより一層芽生えるだけの一日であった。
めちゃめちゃ長いし辛い。。。
9日目
瞑想自体はまだ終わらないが、本日で午後で開口が許される。
最後の集団瞑想。
これで終わりかと思うととてもが清々しい。
集中できていたのかあっという間であった。
「ただいまをもちまして聖なる沈黙を終了致します。」
待ちに待った言葉を聞く。
「ふぁーっ」と一息つき、外に出ると参加者が輪になって話していた。
喉を鳴らすのが9日ぶりだと加減がわからない。
瞑想中に体験したこと、普段どんな生き方をしているか、ここにいる理由など様々な話が飛び交う。
このような異空間には案の定変わり者がいる。
ミュージシャン、人骨を洗う人、送り人、彫り師、SMクラブで女性にオ○ニーを披露する仕事をしている人(男)などなど。
当時はこのような人々に出会う機会がなかったので、とても新鮮で驚愕していた笑
この一日で視野がぐっと広がった。
10日目
開口してからは気が緩んだこともあり、オンとオフをより意識するように心がけ瞑想に臨んだ。
難なく時間が過ぎ、最後の瞑想。
最後の瞑想は全てに感謝を伝える瞑想らしい。
確かにここまでくると全てに感謝しかない、嫌悪感など一切ない...笑
そして、ついに帰宅。
開口の許しが出てから仲良くなった方の車で送ってもらった。
帰りに焼肉を食べた。
普段食べているものがこれほどまでにしょっぱく、甘く、美味しいが胃に負担がかかるものだったとは...
食べる幸福感と同時に7日目より深い瞑想には入れなかったことが悔やんでいた。。。
今回の出来事を通して、、、
当たり前の話だが、普段私たちが触れている価値観が全てではなく、全く違った価値観が広がる世界が(しかも国内にも)あることを改めて体で理解できた。
この場には、人生という尺度においてなんとなく
「お金が一番!」
などという人はおらず、自分理想や生き方を考えている人らが集まっていた。
もちろんそれらの実現においてお金はかなりの重要度を占めるし、仕事が嫌なものだとも思わない。
でも、
「やりたいことは今しかできない。いつ死ぬかわからない。安全だと思っててもそこは安全じゃないかもしれない。何が起こるかわからないからやりたいことをやるんだよ。自分に正直に。もう少し気楽に生きようぜ。」
という言葉を仲良くなった参加者から別れ際に授かり、ハッとした自分がいることも確かだ。
自分が生きていこう、やっていこう。
ぼちぼちやっていきます...!