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平野紗季子は良すぎる

楽しみ過ぎてワクワク待った。
生まれた時からアルデンテから10年、
平野紗季子の新刊は期待通りで、
読み進めるのが勿体ないほど大好きな世界だ。
まだ半分までしか読んでいない。

平野紗季子のことは「個性的であれ」と言うブログ記事で書いたことに、もう付け加えることはない。

刹那に生きること、
感性を守り続けられること、
この世界の中で惰眠を貪らないこと、
これがどれだけ困難なことか知っている。

頭は世界を止めようとする。
動かないもの、変わらないものを求め、
そんなものは存在しないと言う事実を恐れ、
妄想し錯覚し、心を閉ざすが、
五感は変化するもの、消えるものへと反応する。

殆どの人は頭で生きることを選ぶ。

五感と共に生きることは、
儚く消えて行く美しい瞬間を凝視し、
悲しみを胸いっぱい引き受けること。

傷つき続ける覚悟を持つこと。

強くなってしまうことは簡単なことかも知れない。
この弱さ、やわさ、細さに、
寧ろ磨きを掛けて行く勇気。

相変わらず繊細で愛のある平野紗季子の言葉は素晴らしく、冒頭のエッセイがやはりこの感性を維持するのはこの鈍感な世界との戦いだと言うことが語られていた。

食べることで世界と対峙すること、
食べることで世界を感じようとすること。
食べることで生きること。

食の記憶は性の記憶と似ている。
同じものかも知れない。
必ず終わるもの。
その瞬間だけ存在するもの。

新たなものに出会う感動は、
もう二度と味わえない消えたものの悲しみと1つだ。

16から23位まで、僕は自らの探求をノートに断片的にメモしていた。
それはある意味で外面的にも内面的にもフィールドノートと言えるものだった。
昨年、僕はそれらのメモを公開した。
最初の部分をほぼ時系列で写した。
初期ノート1として。
2は少しづつ進めて来たが、平野紗季子の言葉達を読んでいて、感性を刺激され、あ、シャッフルしよう、と思った。
時系列に写すのをやめて、様々な時期の言葉の断片をシャッフルして再創造しよう、と。

消えた時間、消え行く瞬間を、言葉に少しでも宿し残そうとする執着でも愛でもある平野紗季子の文章からインスパイアされた。



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