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千の目と千の耳
よく聞かれることだけど、制作を見る、作品を引き出す、って言うことはもちろん、誰がやっても同じ結果にはならない。いや、そこに立つ人間によって、全く違うものになる。恐ろしいことに。
これは何度も何度も言って来たこと。
でもね、もうはっきり言ってしまうけど、わけないことでもあるんだよね。簡単なこと。とても。
生命の方を見ている人間にとっては、ね。
だってねぇ、刃物振り回してる人達に囲まれてたんですから、曾てはね。そこでね立ち回る。
それはとてもとても研ぎ澄まされてなければ対処できない。
だからね、場に立ったらね、誰が来たってやれる、誰であろうと対処出来る、ってところまではね、修行してね、練磨されてないとね、これは最低限。
何でも同じです。
若い時に文字通り死ぬ気でやった奴しかものにはならない。
とんでもない話はもうとことんしました。
そう言うの聞きたかったら、やっぱりエッセンスシリーズをお読み下さい。
東京でやってきたトーク母川回帰シリーズも凄かったですね。どれ位の時間話したでしょうかね。
全てアドリブですよ。しかも内容は多少の重複くらいしかないで。1日に3時間を2回とかやりましたよね。
はい。やるとなれば何処までもやるわけです。
ましてやね、修行時代なんて言ったらね、やって、やってやってね、もうとことんね。
休まない、寝ない、食べない、もっともっと極限の中で掴んで行こう、ってね。
そんな日々でしたからねぇ。
基本のところは目を瞑ってても出来る。
寝てても出来る、ってところまではね、身につけましたからね。
そう言うのはね、もうオーラですよ、気配でね、わかります。やって来た人間なのかどうか、ね。
どの程度出来るか、ね。
有料記事で言う様な内容ですが、このページはこう言うのもたまには良いでしょう。
一回トンデモな話でも書こうと思ったりしましたけどね、感覚を酷使したりね、極限まで研ぎ澄まされていったりね、認識とか体感がめくるめく変化していく場の世界を知った日からね、実はそっち系の話ね、経験は沢山あるんです。誤解を避けてあまりしてませんけどね。「場と神秘体験」なんてテーマも面白いかな、とかね。いや、対面でのお話しではこっちのテーマは凄く望まれるんです。
ま、ほどほどにしますけどね。
繰り返します。ほんとそこはエッセンスシリーズがなかなか面白いですからね。
さて、例えばですね、無意識と言うか無自覚にね、時間と言うものをね、漠然と捉えていますけどね、流れる時間と言うのもね、1種類ではありません。
場に立ってきてね、音が消える時と言うのがあります。大体音が消えてる時はスローモーションの世界にいますね。
逆に加速される世界もあります。
世界が走るんですね。スピードがどんどんどんどん上がって行ってね。流れる景色も次々に移り変わりますね。そう言う時はもう立ってるだけでもね、リズムを刻んでますね。
スコーンと入って行くんです。
それで何処からでもね、ピタッとね。正確にね。
そう言う世界に入るんですね。
そうしないと場なんて感じられませんよ。
そうしないと人なんて見えない、世界なんて見えません。
だからね、手に負える範囲でやってたらね、いつまで経ってもそう言う次元には入れませんからね。
そこで、導入としてね、さっき言ったね修行時代が必要なんです。とことんやってある閾値を超えるとね、そこが見えてきます。見えちゃうんですね。
常識の範疇で生きてたら一生見ない世界です。
場は千の目を、千の耳を持つことを要求します。
千の目と千の耳を獲得して、千の目で見る、千の耳で聴く、鼻も口もね。
人間でも生命でもね、そう言う計り知れないものをね、正面からね、僕らは扱う訳ですから。
ここまで行けばね、確かに楽しいですよ。確かに幸せですよ。でもね、そこを最初に目指してなんかないですから。そんな個人の小さな快感ね、小さな幸せだとかね、そんなの望んでないんです。自分なんていとも簡単にね、かなぐり捨てて来てるんです。
ナメたやつ、甘いやつは入口で落とされてますからね。役得なんて無いです。役損しかない。
それって最高じゃん、て笑って言えるセンスの人間がやるべきジャンルだと思いますね。
でも、もう1回言いますけど、結局はね、幸せになってますねー。これって良いですねぇ。
不思議なことですけれど。