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引く動きを知れ

美は引き算。綺麗なものとはそのものの最小単位。

技術においてさえそう。
色んなことを覚えて行っても、引く、と言う動き方を知らなければ片手落ち。

分かっている人間は引くことが出来る。
いや引くことが出来る人間は分かっている。

繰り返すけど、美しいものは引き算で生まれる。

この世界において、人生においても、引くことが出来て初めて活かすことが出来る。

不安な人間は引けない。不満な人間は引けない。
不信感を持つ人間は引けない。

更に言う。
引く動き、引く心得がなければ、幸せにはなれない。何事も上手く行かない。

自信を持てない人間は決して引くことはない。
引くと言うことは欲から離れること。
私利私欲に染まっていては引くことは出来ない。

場において、引く時に初めて何かが動く。
そして、引く時に初めて何かが見えてくる。

引くことを覚えて大人と言える。
大人とは引くことが出来ること。

満たされてなければ引くことは出来ない。
大人とは満たされた存在。 

場での仕組みを見て来て、今の社会は子供の社会で、子供の文化で、まだまだ未成熟な幼稚な世界だと感じている。
場においては引くことが出来てこそ1人前。
それは見ていれば分かる。

大人になっていても、余りにも立てない人間が多いからこそ、やむを得ず自己肯定感などと言う初歩の話をしたけど、これは本来は子供時代に卒業しなければならない。肯定感はもう当然の形になっていなければ。
そこから先、寧ろ自己否定出来て乗り越えて行けてこそ1人前と言うもの。

わがままになれ、とか、自分の好きなことをしろ、なんてことをいい年をこいて言わなければならない未熟な文化。そんなのはもっともっと若い時にやって、やり終えて、満たされて、いつでも引ける人間、いつでも譲れる人間になっていなければならないのに。
自分軸なんて、何を言うか、そんなものは微動だにしないくらいに固まってて、寧ろ他人軸で動けてこそでしょうが。
自分探しなんてせいぜいが10代で終わらせていないと。

年をとっても自分のこと、自分の為なんてみっともないことだと知らなければならない。

大人は他人のため、人の為に生きるもの。

ここ入りたい。これやりたい、なんてことをね、みんながみんな思うんです。誰も引けないから上手く行かない。言い換えれば、みんな満たされてなくて、自信がなくて、まだまだ子供なんです。

これも欲しい、あれも欲しい、ってみんなで取り合ってる。地位も名誉もお金も、ね、沢山必要なくらいに満たされていない。沢山仕事したいとか、それくらい自信がない。みんな、なんとか空白を埋めようとして、いっぱいくっつけて、塗り潰して、やっと自分を保っているから、他者に不寛容になる。
みんな何者かになりたがっている。何者でもないと心の奥で思っているからこそ。

単純なところで言うと、トップね、1番と言うのが見えたら、誰もがその立場に立ちたい。
でも、なぜ?みんな不安だからなんです。
なんとかそう言う場所に行って証明してもらいたいんです。だからね、早く大人になってね、早く満たされた人間がね、一人でも二人でもいないとね、これは取り合いが終わりません。

やり終えて、満たされた人間がね、その場でね、はいどうぞ、と、やりたい人はやりな、ってね。
あ、1番にね、なりたいのね、はい、どうぞ、って。

こう言う引くこと、譲ることが出来ること、これがね、例えば一人でもね、これが出来ればね、全体の流れが変わるんですね。

満たされた人間は引くことが出来ます。
立っているだけで根拠になりますから、塗りつぶす必要がないんです。自己肯定感もわがままも自分軸も要りません。そんなのはもう全部終わってますから、人の為に動けるし、何もしなくても根拠が失われることがありません。
はい、どうぞ、とね、譲る動きですね。
こう言うことは道徳的な説教でしか教わらないんですね。で、実際には綺麗事であってとても使える人はいません。仕組みがね、見えてないですから。
引き方はセンスです。

自分のことばかり考えて人は不幸になってます。

場ではこの引くと言う動きが出来ないと、全てが成り立ちません。

この世界も人生も不思議なものです。
何も要らない人間に全てが与えられる。

まあ、今日の話のこの引き算の動きは、成熟しきたったところのものです。まずは満たされる必要がありますから、ここへ行くまで色んなことがあって、やって、そう言う繰り返しですね。
でも最後のところには、こう言う引く動きがある、と言うことを知っておいて損はないです。

そしてね、場でのように、プレイとしてで良いので、引くと言うことをやってみるとね、色々なことを学べます。これはコツでも精髄でもあります。

場で人間を見れば分かるはずです。
色んなものを持ってても、色んなことが出来ても、引くと言う心得、その動きが出来なければ、なんにもなりません。

だからね、どうぞ、どうぞと、はい。
そう言ってね、さっとね、譲ってね、離れてね、みんな楽しめてるかな、って、こう言う見方が出来ればね、これはまずその人も幸せ、そして周りも幸せに出来るんです。

シンプルな話ですが、これもかなりかなり奥深いことなんです。
いずれね、これも対面でお話しましょう。
場における重要な重要な動きに、この引く動き、はい、どうぞと譲る動きがあります。
これは場を綺麗にします、気持ち良くします。
そして、それはこの世界、この人生、仕事でも、家庭でも、対人関係でも、あらゆる場面で必要なセンスなんです。いつまでも未熟な子供社会で、みんなで奪い合うだけでは駄目なんですね。
引き方、引くセンス、引くタイミング、ここに核心があります。

なんでもそうですよね。
あれも欲しい、これも欲しいで、子供の頃からね、通知表ですからね。テストですからね、100点取りたい、って言うのが大人になっても、ね。
賞が欲しいとか、ね。記録だとかね。
まだまだそこに居るんだね、って。
子供の頃からですね、譲ってね、はいどうぞが上手い子が評価されたりしないですからね。

はい。まだまだみなさん、よしよしされたいってところで止まってますからね。
ここを超えて行ったところにしか場はありません。
だからね、やっぱり場の話のって有効なんです、ってここが今日の結論です。

引く気持ち良さとか、引く面白さとか、引くことで実は得るものの大きさとか、ね。
ぜひぜひね、1人前のね、大人の面白さを知りましょう、と。これは場の教えですね。

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