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秘密の金沢、ルーツ、長町、石浦大神、犀川、三輪山
さて、最近何度か触れたけれど、佐久間メソッド、佐久間心理学の理論上の完成がやっと出来た。
やはり現場でのメインを離れて数年が必要だった。
これでやっとこれまでの特殊な環境から見えてきた人間と世界への見解を一般的な役立つ方法論としてお伝え出来る様にはなった。
なったけれどその機会があるのかはまだ分からないけれど。
やはり奥義だけでは駄目でもっと手前のことをやらなければならないと長年の感覚があったけれど、僕にとってはそこを埋める方が奥底へ到達するより難易度が高かった。
でもようやく落ち着いてスッキリ。
そろそろ、かなり個人的なテーマだけど、これも書いておこう。これは残して行けないテーマだから。
もしかしたらこれまで書いてきた中でも1番、自分にしか意味のないテーマかも知れない。
今回ばかりは読者を想像も出来ない。
なので覚書きと言う感じか。
秘密度もかなり高いので例によって有料記事で鍵を掛けようかとも思ったけれど、まあ良いかな。
ヤバい内容かも知れないけど。
再びルーツを語ろう。
何度か語って来た中で1番身近なところまで距離を狭めて、最小単位まで絞って。
墓場まで持って行く前に。
以前ルーツを語った時は白山と手取川がテーマだった。それは金沢から加賀、真っ白な白山そして手取川の流れに従って日本海まで抜け、韓国や中国、そしてロシアからベーリング海、バイカル湖、壮大な世界へと繋がって行く物語でもあった。
しかし、今語りたいのは逆のコースであり、より卑近なもの、家の庭から動かない様な話をしてみたい。
白山、手取川のテーマはまたTちゃんへのオマージュでもあった。もっとTちゃんに出会う前に遡りたい。
手取川ではなく犀川を、金沢をより縮小して長町を語ろう。
これは祖母の口伝であり、祖母の教えである。
やっとやっと個人の物語に帰って、やっとやっと僕にもその景色が見えてきた。
教えられ大切に育てられた頃に帰って来た。
やっと向き合うことが、やっと素直に戻ることが出来た。
僕の生まれ育った1番元の場所は金沢の長町だ。
祖母の教えは長町を出るなであった。
或いは長町をいつでも忘れるな、と。
祖母の家は長町一丁目にあった。
金沢で最も重要な場所である、と僕は言い切る。
現在の住所では長町一丁目。
過去の住所で言えば長町一番丁~七番丁までのエリア。有名な武家屋敷跡は旧2番丁。このエリアは今や観光名所だけど僕の友達は普通にそこに暮らしていたし、まだ整備される前は武家屋敷跡が普通の家だった。今でも普通に人が暮らしている場所ではあるけれど、武家屋敷跡エリアだけはかなり雰囲気も変わった。旧三番丁は最も重要な場所。
長町は旧一番丁~四番丁までは本当に特別な場所で、祖母が言ったようにそこは空気が違う。
長町の内と外ではまるで違う。
祖母が言っていたことが正しかったのかも知れないと気がついたのは最近だ。
文字通り僕が産まれた場所である精霊病院も長町一丁目。嘗ての仲間達のいた精霊愛児園ももちろん同じ敷地。3年前、僕はその場所に帰ってその景色を見つめた。全てが終わって帰って来たと実感する場面だった。
長町は特別な場所。
長町は守られていて神聖な空気が流れていて、その外とはまるで違う。
祖母はそこに生き、そこに留まる姿勢を教え、自ら実践した。長町の外は空気が重くなると言っていた。
長町を離れてから長くながく、僕は何も知らず、気づかず生きた。
あんなに有難い特別な場所を忘れていた。
僕は長い旅の中で多くの人や場所と巡り会った。
そんな中で心に強く響いて何度か通った場所は奈良の大神神社、三輪神社。そして三輪山とその信仰に興味と共感を覚えた。
祖父母が氏子だった金沢の石浦神社は元々は三輪神社だった。それに気がついたのはかなり後のこと。
祖父母は数日おきに石浦さんへ連れって行ってくれた日々もあった。坂道、何故か坂道の記憶が強い。境内はもっともっと広かったから砂利も沢山あって、そこを歩く感覚が今でも思い出される。
母は子供の頃にそこで転んで小さな砂利が膝の傷からくい込んで、今でも膝には石浦神社の砂利が入っている。
石浦神社へ行くと夢を見る。
何故か分からない。
ある時、偶然、金沢から加賀方面にかけての神社の分布図を見せて貰ってはっとなった。
線を書くようにズラーっと同一系統である日吉神社と三輪神社が凄い数で連なっている。
これは、と。
この連続体の大物主神、三輪信仰、この線上にこそ金沢最古の神社と言われる石浦神社は位置づけなければならない。
何故、金沢、加賀が三輪神社、三輪信仰なのか。
答えは謎に包まれているが、はっきり言う。
三輪山は元々金沢にあったもの。
奈良、大和の三輪山の大元は金沢の三輪山である。
三輪山は犀川上流域にある。
金沢市内からその三峰の山が見える。
現在、挙原山と呼ばれる山こそが3つの嶺をもつその姿からして三輪山だったろう。
何故、長町がそれほど重要なエリアと言えるのか。
何故特別な気配がするのか。
あの守られた清らかな場所は何処から来ているのか。
犀川の脇にあり、そして金沢最古の神社である石浦神社の最初の場所が長町であったから。
そう元々、石浦神社は長町三番丁にあった。
遠く遠く昔のそこが武家屋敷となる遥か前のこと。
石浦神社は大和の大神神社から勧請されたとされているが、それは恐らく違う。犀川上流域にある三輪山の神を犀川のほとりに祀ったに違いない。
その場所こそが、祖母が大切にした長町だった。
僕が生まれ育った、人生の始まりの場所。
この土地を忘れるな、と、この土地にいつか帰ってこい、と祖母に伝えられていたのだと確信する。
三輪山の神、石浦山王権現。
そして祖母の居る特別な場所。
嘗て沢山の映画館が並んでいたころ、あの場所で学んだことを忘れない。
僕はもう一度その場所に帰るだろう。