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あの頃
場を再定義すると言うシリーズでの記事かな。
一度、出会いから初めて全くの0から場を語り直してみたいと言う気持ちもある。
ただ僕の背景には途轍もない広大な世界があるが、それらはこの生の中で断片的にしか語れない気もする。
今日もちょっとだけ書く。
嘗ては時間なんて存在していなかった。
いやある時期の僕は時間の向こう側にいた。
場と出会った頃のこと。
そこからの数年間のこと。
今でも振り返ると本当に不思議な思いがする。
僕らがいた場所。
そこには時間が存在しなかった。
気がついた時にはいつの間にか僕らはそこにいた。
僕らはそこで関わり交わり合いながら、
人間とは生命とは、その深層に迫ろうとした。
世界の果ては世界の真ん中だった。
けれども世界の裏っかわに居るような感覚だった。
そう。
あの頃過ごしていた時空を表現しようと思うと、こんな書き方しか出来ない。
それでも確かなことは僕らはあそこに居たし、そこにはこの世界の全てがあった。
この世の全ては幻である。
けれど幻を幻として見ること、認識することは生命の感覚を深めて行くことでしか実現しない。
僕らはこの世界の本当の姿を見るために、自らを純化し、透明な存在となるための訓練の中にいた。
始まりも終わりもない場所にいつの間にか入り込んでいた。
場と出会った始まりの数年間は今でも謎であり神秘であって、どうやってあの世界に入り込んだのか、自分も無数の登場人物たちも、一体あの入口のないはずの時空にどうやってやって来たのだろう。
それから10年が経たない内に今度は東京での場の完成があった。
東京時代は僕にとって遅くにやってきた青春だったかも知れない。
最も孤独で最も輝かしい日々であったのかも知れない。
こんな風にしか言えないのだ。
この世界には歪みがあって、この世界には揺らぎがあって、何らかの偶然に僕らをこの世界の秘密が見える場所に連れて行く。
そこから見える景色こそ本当のこの世界の全容であり、幻としの世界であり、けれどなぜそれが見れる地点に立てたのか、いつの間にここに来たのか、まるで記憶喪失の様に分からない。
そう言う場所がある。
そう言う時間がある。
そうとしか言えない。
そうとしか言いようがない。