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眠りと死と再生
早いな~。もう12月。
もっと書く予定だったけど、それ言っててもしょうがないしね。
親方と僕、はあと10回とか決めようかな。
ダラダラ書きたくないしね、ここはしっかりと。
プロには締め切りってものがあるでしょ。
あれは良いことだよ。
外的な要素で区切られないと、やっぱり、ね。
そこで書けない、書き切れないってなるのは、それは仕方がない、と。
まあでもでも、このページ、マガジン3つ含めてね、それでも随分書いて来たな。
何気にこれまでの人生で1番語ったんじゃないかな。
対面でのトーク、母川回帰シリーズを除いて、ね。
どんな形になるか分からないけども、終わりは意識してるね、やっぱり。何処かでは終わりにするよ。
自分でいうのもなんだけど、これは読み返す価値は充分あるというか、いや、読み返さないといけないものが沢山あるからね。
労働の忙しさもあるけどね、年齢やら生活スタイルやら、精神的な或いは脳の変化、ね、。
最近は小説1つ読むのに数ヶ月掛かる。けど、それに寄って同じ読むと言う行為が違って来ている。
こう言う読書が出来るのも有り難いな。
人は変わるときは、意識していないところから変わる。人の心を扱う時も、相手の意識していないところに語り掛ける。
だからね、決定的に良いものをあげられた時ほどね、感謝や見返りはまずない。
良いのよ。それで。気づかせちゃ効かないからね。
まあ、その人間の元でありベースであるね、自覚していない部分、無意識、潜在意識、ね。そこにしかアプローチしないのが場と言うもの。
それを扱うのが僕の仕事だったからね。
教育だって本質はそこだよ。
だから国家公務員なんかに出来るはずがない。
あくまでも例えだけど、上っ面と言うか表ね、表面を触りながら少しづつ、奥へ奥へってね、或いは穴を掘るのもそうでしょ。最初は上から少しづつ、下へ下へ掘り進めて行く、ね。
僕も場において、最初の頃はそう言う感覚があった。掘るスピードは驚くほど早かったけどね。でも上から順に掘ってた。或いはまずは表面に触れてた。
それがね、ある時期から表面触らずにね、入りから奥を触れる様に、ね、穴で言ったら上をは掘らなくてもね、奥の方から始められる様にね。そう言う触れ方、動き方ね、触り方が出来る様になった。
ある意味で、自分の居方、佇まい、存在のベクトルが変わった。
それはさぁ、経験の絶対量って言うテーマで語ろうかな、と思っていたことなんだけど、経験は量より質といつも言ってるけどね、あるきっかけとしては量がね、それも圧倒的な量が必要な時期がある。
若い時にそれをやらせて貰えるか、どうか。
そしてそのチャンスを見逃さない感性があるかとうか、ね。
だからね、今でも思い出すけど、場を知った最初の頃の僕はいつも焦っていたと言うか、急かされてた。時間がないって。今のうちに、今しかない、って。もっともっとやっとかなきゃ、見とかなきゃ、って。
でねぇ、お馬鹿と言うか呑気な連中が言うでしょ、インプットとアウトプットのバランスが、とかね。なに寝ぼけてんのか、ね。そんなこと頭で考える時間なんて無いんだからね。
キャパオーバーってあるでしょ。それね、キャパオーバーしなきゃ、キャパオーバーして行かないといつまでもキャパがある世界に居るしかないの。
キャパオーバーしてね、もう自分と言うちっぽけな器に入りきらない巨大なね、なんだろう、データベースみたいなものがね、見えてくるわけね。
ある時期ね、とことんやってて、そう言うのを感じててね、毎日、自分が何処で何をやってるのか分からないくらいの感覚でね、まあ、全部使ってるからね、感覚からなにからね。もう流れも急スピードでね。ハイになってるから疲れないし。でも無敵なんだけど、何処かでふっと死んじゃうんだろうな、って。このままね。倒れるのか事故なのか分からないかど。ね。自分でコントロール出来ないなにかでね、このまま行けば死ぬな、と。
で、まあその時は死んでも良いとは思ってたんだけどね。
ギラギラなんだけど、ヘロヘロって言うのかな。
もちろん、その頃は殆ど寝てなかったからねぇ。
眠くもならないんだよね。
急に眠ろうとしても寝られないし。
その頃、関西の方にちょっと付き合ってた女の子がいた。匿ってもらってるに近い感じでね。
気がついたら電車でその子に会いに行ってたんだよね。それでね、いつも急でも時間作ってくれたり、合わせてくれてたんだけど、その日はどうしても忙しいと、部屋で寝て待ってて、って言われてね。
それでも違うことしようと意識では思ってたんだけど、ね。気がついたら、数日寝てたんだよね。人生であれだけ寝られたのはあの時だけ。
寝てる間に経験したこと、見てたこと全部がパーツとしてハマって行く感覚があって。意識はないんだけど、変な感覚だけはあってね。生きてるのか死んでるのかさえ分からないのに、起きることも出来ないのに、プロセスの自覚だけは、断続的なんだけどあってね。
あれは今思い出しても変化の場面だった。
目覚めた時ね、文字通り生まれ変わっていた。
そこから寝、触れ方、動き方、ね、変わったんだよね。順を追って行くと言う動きではなくなったからね。スッと奥から触れる様になったんだよね。
あれもだからそうなんだよね。
人にもそうなんだけど、自分もそう。
コントロールなんて出来ない訳でね。
もっと大きなね、プロセスがあって、自覚しないところ、ね、無意識とか潜在意識の方がね、勝手に変えて行く、ってことでね。
だからこそ、人を見るときもその人の流れを信頼する。ね、人生も全部そう。
これは別の文脈で語る予定だったけども、ね、大事なことなのでね、言うけども。
流れを信頼出来るかどうかが決め手だよ。
流れを信頼すれば、ね、良くなるよ。
これは本当に。
こう言う話はねぇ、まあ何度も言うけど、やっぱり対面でね、深いところをじっくりとね、やって行きたいなぁ、。
文字の言葉だけでも、少しは皆さんのお役に立てると良いな、と。はい。今日はこんなところかな。