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神の領域
以前にAIについて書いたことがあって、
今の世の中、いや、これから先にどんな世界が待っているのか、色んな意味でAI化は確実に進んで行く。
今でも多くの勘違いが殆どで、人とAIが何故か競っている。AI作る側も人と勝負しちゃってるし、AIを恐れる人間達もAIに負けまいとする。
ジャンルが違うってことが見抜けない。
まだまだ殆どの人は綺麗事は口にしても、
本心のところでは勝ち負けが全てと思っている。
勝ち負けなんてちっぽけなものなのに。
この世界のほんの僅かな一部に過ぎないのに。
AIを人間化して行くことにはかなりの力を入れてるけれど、人をAI化して行くと言う発想はない。
AI化された人のイメージとしてこれも殆どの人は機械的、合理的、無機質、冷徹、みたいなものしか浮かばないけど、AI的なものの本質はそこにはない。
1番重要なところはAI的なものは感情、及び私利私欲がない、そこに左右されない、と言うことだ。
つまりそこだけとるならそれは神の領域と言える。
名人達は実はそこを目指して来たし、僅かな人達はそこへ到達している。
個人を離れた俯瞰的景色で世界を見るなら、そこから見える景色は全く別のもの。
だから、今のAIと言うのは元々人間の中にあるAI的なもののまだ僅かな部分が形になって来た過ぎない。
AI的なものの本質には神の領域がある。
だからこそ本質を見極めずに使うなら危険性もある。
可能性と言うのは危険と隣り合わせだ。
あえて言うなら、感情を持つ人間がそれを超えて行くからこそ見えて来るもの、価値がありる。
山の頂きには歩いて自分の足で登らなければならない。生身の人間がAI的な領域まで到達してこそ、はじめて、AIの使い方も意味も理解出来る。
そこまで行けるのか、殆ど可能性はない。
盲目的に突き進むだけの今の世界の中では。
感情を離れ、個人が消えて普遍的な美の領域から、この世界の真実を見る時、その景色の圧倒的な素晴らしさ、それを僕は場に見せて貰った。
この世界は光と美に満ちている。
作品画像はここのページでは載せない様にして来たけど、今日はこの世界と人間の深層を示すみりちゃんの作品を。