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石と僕
また随分経ってしまった。
初期ノート2の編集作業はノロノロだけど進めてはいる。
あと書きかけの記事で心境の変化も書いてたんだけどねぇ。
そう2024年も終わりが見えて来た。
色々変わったなぁって言う気持ちはあってね
ちょっとだけ差し障りのない石の話をしよう。
前に翡翠のことをちょっとだけ書いたかな。
石について書いたのはまあ、それくらいか。
でも実を言うと石とはかなり長い付き合いで、もしかしたら石なくして僕の人生はないかも、ってくらい。
そこは珈琲と同じかな。
とくに、水晶、翡翠、それから隕石、その辺りは好きで身近に置いたりポケットに入れてたりは良くしていた。
でも本当、ここ数年、今年は特に石とじっくり対話するみたいに向き合った。
こんなに石を意識して過ごしたことはこれまでもなかった。
確かに好きではあったけど、真ん中に持ってくることはなかった。
何故かと言うと石には何かしらの力が確かにあると感じてきて、その影響を僕は受けるし、かなり受け取るからだ。
最初の頃は殆ど本能的なものだったり、直感だったりした。
当時僕は過酷な現場を重ねていて、息付く暇もなく、緊張感の連続の中に日々あった。
船酔いみたいな感覚がずっとあったり、景色がグルグル回っていたり、錯乱状態の人を相手にする時は本気で内側まで入り込んでからなんとか一緒に出て来るみたいなこともやり続けてきてたし。
命の危険を前にすることも多かった。
気を抜く瞬間が殆ど無い中で、僕は草木に触れたり田んぼに足をっ込んだりして、何か毒気が抜けたり、ふと戻れると言う本能的な動きをしていた。
木に触る時は上と根っこでは感じるエナジーが違った。土を口に含むこともあった。
その頃は野山にある枯葉とかどんぐりとか石ころを握ってたりした。
そんな頃に翡翠とか水晶とか隕石の存在を知って、それは手に持つと凄い力を感じたり、その佇まいから、人以上に感動や学びがあって見惚れたりしていた。
幾つか自分のものにしてみたりもした。
しかし、石の力が強く感じられるからこそ、僕はそれらを日常的に持つことをしなかった。
何故なら僕の現場は相手次第であって、たった1人で立ち向かい付き合わなければならない。
そこにはどんな助けもない。
道具を使えば、道具が無くては対応出来なくなる。
そして、道具がない時に出来なくなってしまう。
道具がない場面なんて幾らでも想定できるから。
だから僕は純粋に凄いなぁと感じて来た石達をあえて普段は触らないでいた。
だからある意味で残された楽しみがここへ来て、と言う感じで。
2024年は僕が持っていてもじっくりとは付き合う時間を持たなかった石達とゆっくり向き合えた。
仕事の時もポケットに入れていたり。
石は人より凄い。人より賢い。
だから僕は石の存在から人からも学べない多くを学ぶ。