星の地図
東京時代、沢山の人に囲まれ、沢山の人に会い、沢山の場所に身をおいた。
或いは沢山の場所に出向いた。
この時代の中で伝え、繋ぐことを目指して来た。
僕の前半戦はひたすら個人の内面と向き合うと言う心の旅だったけれど、そこで得た普遍的テーマと同時に様々な問題を整備して行く使命を全うするには、この世の中のど真ん中に居なければならなかった。
全ての挑戦には全く後悔はないが、普及版をやるには別の適任者が必要と言うことはつくづく感じてきた。
先を行くことは孤独なことである。
しかし、東京時代は同じく先を行き過ぎた徹底的な実践家、見通す鋭い眼差しを持った人生の先輩に数名出会うことが出来て、しかも深く響き合うことが出来た。頂いた言葉も背中で見せてくれた姿勢も、この人生における最も大切な宝だと思っている。
そんな指標となる方達も亡くなってしまった。
正直なところ淋しくて仕方ない。
そしてますます偽物、まがい物が蔓延る底の浅い世の中に憤りを感じる。
ますます孤独は深まる。
ピグミーの歌が好きでもう何十年も要所要所で聴き続けたCD。
最近はアミ族の歌も良いなぁ、ともうひたすら聴いている。
人はいつでも変われる。
僕も最近になってまた1つ発見した。
もっと早く気づいていれば、と言うのは素晴らしいことを知った時はいつも感じること。
これは何かと言えば結構現場での微妙な種類のことで人に説明は出来ない。
でもそれは僕にとっては人生のライフスタイルにさえ関わる重要なことだった。
場でのことに関しては、1番核心は変わることはあり得ない。でもアプローチは角度をいつでも微調整してきた。その中でも今回はかなり大きい。
いや、年を取って面白くなることは確かにある。
これ分かってたらもっとやれたのにごめんね、と言うのは仕事面より殆どプライベートの部分である。
これからの残りの時間はこのスタイルが入って来るから、実は楽しみだ。
仕事ではない部分でももっと人のためになりたい。
宇宙エレベーターは建設中らしいが、凄い世界になってきた。
これも実はこの宇宙エレベーターと言う概念と言うかイメージはその現実を知る前に僕は昔夢で見た。
それも何度も。
そしてスケールが小さくなってしまうけど、スカイツリーのエレベーターに乗った時には、あ、夢で見てたやつ、と強いビジョンが来た。
高速エレベーターで真っ直ぐ宇宙まで登って行くビジョンや、渦巻きの真ん中で螺旋状に上昇して行くビジョン、これは夢だけでは無く場の中で、或いは日常の中で見えたり感じたりすることがあった。
アミ族のポリフォニー的な音楽も螺旋状の上昇を感じる。
前にも書いた話で、僕は全ての場、無数の瞬間を入れ墨の様にもう一つ身体に刻まれている。
それを星星の入れ墨とも言って見たけれど、道順が示されているのではないけど、地図の様だなとも感じる。何処かの目的地に向かうための地図ではない。
ただただ美しい地図。
星の地図が刻まれた僕のもう一つの身体は、今ここに確かに存在している。