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実は

これも場って何なのか、ってところと繋がるんだけど、ズバリ言うと場って龍宮城とかあの世みたいなもので、生きてる内に行くような場所ではない。

はい。
これもね、言ってはいけないことなんです。
一応僕もこの世のルールの中でやってますから。
言ってはいけないんですけどね、まあまあ少しくらいはね。
実感としてはもうね、ずっと余生なんです。
全部終わったから残りの命をね、まあ余生です。

東京の仕事終わったからじゃないですよ。
あの頃は寧ろね立場上言えませんでしたね。

余生なんです。もうとっくの前から。

やり尽くしたっていうのも、満足したって言うのもあります。これ以上ないところで行ったって言うのもあります。でも、それ以上にね、場ってものがね、そこから帰って来たらね、もう余生になってるってくらいのね、まあそんなものなんですね。

だから多分、場と言うものに入る人間には、必然的に余生はすくにね、早くに来るんだと思いますね。

シンプルに言うならね、
物事のね、この現実の現れ方が変わりますね。

場はね、ここにあもの、見てるもの、見えて来るもの、ね、この世界のすべて、ここでこうしている何もかもが、はい、全部幻だよ、って、これ全部夢だから、ってね、教えてくれます。

そして、場から見たら、深い実感を伴って、ああ、そうだなぁ、ってね。ここは夢の中なんだな、ってね、分かる訳です。

そこが見えちゃうってことはね、あとは本当に余生になってしまうんですよ。

実はね、うん、間違っても情熱を燃えたぎらさない、なんてことじゃないんだけども、もちろん一生懸命やってくんだけどね。
実はね、って。これもうとっく余生なんですよ。

それは場に関わる人間の宿命なんです。
ギラギラした場所とかね、若さとか、要するにね、現役は短いです。

最初に見るのが終わりとか死とか極点とか、ね。
場はいつでも走馬灯を見せてしまう。

桜散る春みたいですね。

僕なんて最終回を百万回も見るような人生です。

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